災害の記録と記憶

 “東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島各県の42市町村の過半数で、被災時の対応や復興の過程で作成した「震災公文書」の一部が既に廃棄された可能性がある”と3月初旬の新聞に載っていました。新聞では、当時のメモや写真なども10市町村が保存しておらず、保存のルールが統一されていないのが原因で、対策が必要になりそうだと締めくくってありました。

 災害だけに留まらず、自分たちの地域の過去にどういう事件や問題があったのかを把握することは、農村づくりを進めていく上で大変重要なことです。そのためには、公的に正確な情報が保存されていることはありがたいことで、もし、重要な過去の災害情報が消失しているなら、早急になんとかしてほしいものです。でないと、亡くなられた方や被災された方にも申し訳が立ちません。(最近、公文の信憑性も危ういような・・・困ったものです)

 しかし、公文の保存も重要ですが、法律に基づかない文書や個人の経験談だって重要な情報であり、公的に保存されておらずとも、私文や言い伝え、所謂、記憶を伝承し、後世に残していくことは、現代に生きるもののノルマではないでしょうか。

 災害の記憶は、縁側で、孫が爺様から、昔話の一つとして聞かされていたものが多い。例えば、「橋の袂に石碑があるだろう。そこにはこう刻まれているんだ。昭和八年三月三日・・・・ここに残っている鳥居の柱はその時の恐ろしい津波の傷跡だ・・・」という風に話は始まっていくものです。

 幼い孫も、人が流されたとか、家が燃えたとか、ショッキングな話をドキドキしながら聞き、恐くなって、子供ながらに、お寺の鐘が激しく鳴ったら、高台へ走るんだとか、風上へ逃げるんだとか、解らないながらに感覚的な何かを掴んだものである。

 私は、兵庫県の尼崎の出身です。御存じの方もいるかもしれませんが、昭和30年代は、スモッグ公害の街として有名で、もう一つの特徴が海抜ゼロメートルの低平地帯だということです。特に、私の住んでいた出屋敷なんてところは、ちょっとした台風が来ても床上浸水のある場所でした。気になって、最近のハザードマップを調べたら、なんと未だに、洪水時には1m~3mの浸水となっていました。

 父が経営していた写真屋の店舗がそこにあったので、生まれてから小学校時代まではそこで暮らしましたが、忘れられないのは、台風が来る度に、父親が窓に板を打ち付けて、店の入口に土嚢を積んでいたことです。

 私の家には祖父は同居していませんでしたが、台風の備えの折に、父はよく災害話をしてくれました。伊勢湾台風の時はどうだった、室戸台風の時はどうだった、家の階段の数段目まで水が上がって来たとか、どの時点で、一階の陳列してある商品を二階に運び上げたとか、ボートに乗せたとかを話してくれたものです。同じ内容の話を耳に胼胝ができるくらい聞かされました。その中には、素人気象学もあったりして、「台風がこのコースを通る時で、大型だと言われた時は、早めに避難せんといかん」と自信満々で話していました。私の父の話はこれぐらいにしておきます。ちょっと思い出したので、話させてもいました。ここからが本題です。

 さて、個人としての記憶は誰がどう受け継いでいくのでしょうか。親から子、子から孫へ受け継いでいくだけしかないのでしょうか。自分のこととして振り返ると、私はちゃんと子へ伝承しているだろうか、些か自信がない。また、集落として残された記録は誰がどう受け継いでいくのでしょうか。自治組織が資料を引き継ぐのでしょうが、自治組織が引き継ぐと言ったって、ルールがある訳ではないし、現代社会ではなかなか難しいのではないでしょうか。

 案外、公文書以上に記録や記憶は保存されにくいように思います。

 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。』という有名なビスマルクの言葉があります。歴史に学ぶためには、歴史として認識される記録と記憶が残っていなければなりません。集落として、賢者になるための準備をしたいものです。

 現代社会の良い点は、こういった記録や記憶もICTを利用して、電子媒体で残すことができる時代なので、場所は取らないということです。記録や記憶の保存についてお困りの方は、是非、当会にご相談ください。一緒に考えていきましょう。また、そういう取り組みをやっているという集落組織の方がありましたら、是非、教えてください。

(写真は岩手県大船渡市吉浜の災害記憶の碑)

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