山形県沖地震のお見舞い

 6月18日夜遅くになって、山形県沖を震源とするM6.7の地震が発生しました。私の住んでいる茨城県つくば市も結構揺れました。なんとなく、横に長い感じの揺れでした。すぐにテレビをつけると、新潟県村上市では震度6強、山形県鶴岡市でも震度6弱を観測したという情報が流れ、8年前の東日本大震災の記憶が甦り、一瞬ドキッとしました。

 本来なら、当会を代表し、会員の皆様、また全国の農村の皆様に、すぐにでもお見舞いのブログを投稿すべきでしたが、多面的機能直接支払いの報告書作成支援ソフトの開発が佳境に入り、忙しかった上、最近、右肩から右手にかけての関節痛がひどく、新聞、テレビで被災情報は聞いていましたが、時間・体力共に十分でなく、昨日6月21日に至り、ようやく、新聞やネットニュースなどを見直したところであります。

 新潟県、山形県を中心に、宮城県側でも相当な揺れがあったと聞いております。被災された皆様におかれましては、場所によっては、まだ土砂崩れ、道路のひび割れ、家屋の倒壊などの危険が残っているところもあり、たいへん不安な日々をお過ごしのことと思います。昨日もまた小さいものでしたが、山形県沖でM4.1の地震がありましたし、梅雨時でもあり、今後の地震活動や降雨の状況に十分注意し、やむを得ない事情が無い限り危険な場所に立ち入らないなど身の安全を図るように心がけてください。年金は自助は堪えますが、災害は先ず自助からです。

 こんな時に、私事のお話をしている場合ではないのですが、私の父は、一昨年亡くなりましたが、阪神大震災を西宮で、東日本大震災をつくばで被災しました。

 西宮では、当時よくニュースで放送されたのでご記憶の方もあるかもしれませんが、5階が崩落した病院の近くの2階建ての古い一軒家だったもので、ほとんど屋根の瓦は落ちて、ほぼ全壊しました。東日本大震災の時は、宮城県や福島県のような状況ではありませんでしたが、マンションの12階だったので、よく揺れて、家具はほとんど倒れて、父の自慢だった骨董の陶器類はほぼ全滅しました。

 西宮で家が無くなったので、私に呼ばれてつくばに引っ越してきたのですが、また大きな地震に遭遇してしまい、あれ以来、父は、私の行く先へは引っ越ししてくれなくなりました。

 亡くなる少し前ですが、父に、阪神大震災の時はどんな風だったと訊くと、「いや、すごかったよ」とは言うが、被災した内容について、あまり細かいことは覚えていないようです。只、面白いことに、「阪神大震災の時に、水には困ったから、あれから、俺はいつもペットボトルだけは押入れに2リットル入り6本、欠かしたことが無いでぇ。おまえら家族もそれだけはちゃんとしとけよ」と、これだけは自慢げに語っていました。

体験は生きて、必ず将来の生活に繋がります。

 被災された皆様におかれましては、しばらくは気が休まらないことと思います。私からは、何もできず、お見舞いの言葉だけとなってしまいますが、どうぞ、気を落とさずに、がんばっていただきたい。もし、何か、お困りのことがありましたら、「お問合せはこちらから」投稿いただければ幸いです。

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