稲の虫送り

 日本の伝統行事の一つに稲の虫送りというものがあるのをご存知でしょうか。農村地域において、主として集落単位で行われるもので、稲につく害虫を駆除し、その年の豊作を祈願する行事です。行事名は全国各地で様々あるものの、「虫追い」とか「実盛送り」と呼ばれているところもあります。

 「実盛送り」の名前の由来はたいへんユニークな昔話に基づくもので、平家の武将であった斎藤実盛が、馬で戦場に出ていたところ、田の稲株につまずいて倒れたところを、源氏の兵士に討ち取られ死んだそうで、その恨みゆえに稲につく害虫と化して稲を食い荒らすようになった。害虫は実盛の化身ということで、実盛を追いやるということなのだそうです。

 日本では一般的に、虫による農作物への被害は、不幸な死をとげてしまった人の怨霊によるものだと考える信仰があり、火を焚くのは、「害のあるものを外に追い出す」呪術の一つとされるようです。

 すでに呪術の原型は無くなって、伝承されているところもありますが、基本は、春から夏にかけての頃(おもに初夏、7月の初旬ごろ)、夜間に松明を焚いたり、藁人形をかたどった松明に害虫をくくりつけて、鐘や太鼓を叩きながら行列して村境に行き、川などに流したり、火にくべたりするようです。行事として、松明をかかげて、集落内を練り歩くところは全国的にほぼ共通のように思います。今では七夕の行事と関連をもって行われるところもあるようで、民族学者の方がいたらもっと詳しくこの行事をご説明いただけると思うが、私の説明ではこの程度となってしまいます。申し訳ない。

 私も以前、農村づくりをお手伝いした京都のある地域で、この行事の復活に協力したことがありました。もう30年も前になってしまいますが、その地域は、いろいろと歴史的、文化的遺産がたくさん残っている集落であったので、古い行事はいくつか受け継がれていました。稲の虫送りも、戦後、農薬が普及してくるまでは、重要な行事となっていましたが、農薬の普及で害虫が減り、実質的な意味は無くなり、だんだんと簡素化され、最終的には、松明をもって練り歩くという形だけが残ったようです。しかし、これも昭和四十年代前半まで続いていたそうだが、私が農村づくりの支援で関わった平成元年には完全に忘れられた行事となっていました。

 この行事をやる意味があるのだろうかと迷ったところではありますが、集落消滅の始まりは、小学校が廃止になることと祭りがなくなることから始まると考えていたので、住民の皆さんの中にも、稲の虫送りは地域の結束力を高めるためにも必要だと考え、「稲の虫送り」の復活を支持する人もたくさんいました。

 復活させるに当たっては、いろいろと議論があったが、区長さんの思い入れが強く、なんとしても、将来の集落を担う子供たちを主役にして行きたいということで、この集落では、子供が松明をもって練り歩く祭りに仕立て直しました。

 年に一度、子供たちが結構大きな火を扱えるということで、遊びなら、薪をやっただけでも怒られるのに、この日だけは、だれにも文句を言われず、しかもかなり激しく松明振り回せるとあって、ほとんどの子供たちがこの活動に参加しました。

 この行事は、その後ずっと現在まで続いており、今はかなり大きなイベントで、松明コンクールなども開かれていると聞いています。

 火で炙り出さねばならぬほど、田んぼには害虫がいる訳ではないし、効果の程もよく分からないので、行事の意味そのものを子供たちがどれほど認識しているかは定かでありませんが、昔の人がどんな思いで田んぼを守ったのかという気持ちだけは十分伝わるし、行事に参加するだけで、集落の一員であると言う意識は芽生えるだろうと思いました。

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