パブリックフットパス

 新型コロナウイルスの問題が発生してから、不要不急の外出を控えて、自宅での待機が続いているため、体を動かすことでストレスを解消することができず、むしゃくしゃしている方も多いことでしょう。今はある程度は辛抱するしかないのでしょうが、三密を避けることができるなら、短時間の公園散策や散歩を止められている訳ではなそうです。

 子供が遊具を使って遊ぶ場合や集団化した遊びになってしまう場合、公園での人と人との適正な距離が保てなくなるほど混んでいる場合は要注意だが、とりあえず健康、無症状で、最近の海外渡航歴がなく、人混みへの外出もしていない家族なら、他の人と離れて、散策するぐらいなら、問題はないようです。

 先日の緊急事態宣言でも、安部総理自らが、「今まで通り、外に出て散歩をしたり、ジョギングをすることは、何ら問題ありません」と言っていましたし、一人一人が環境をよく見て、常に相手の立場になって、適正か否かを考えて行動するなら、公園の散策などは良い気分転換になります。ジョギングは息が早くなるし、汗も飛び散るだろうから、ちょっとどうかとは思いますが、距離が十分取れるなら許容範囲なのでしょう。また、人は一日少なくとも20~30分程度は、神経系の正常化のためにも、太陽を浴びることが重要であるとも言われており、外出をせずに、コロナウイルスが恐いからと、窓もカーテンも閉め切って引き籠ってしまうのも精神衛生上は問題があります。

 公園は、目を和ませるように樹木を配置し、安全性の高い遊具を配置し、休息する空間としてのベンチや東屋も配置してあり、池のある公園なら、せせらぎの音が聞こえ、人に対して癒しを提供するように設計されているので、散策には最適であるだろう。最近の公園は、年代による利用のゾーン分けもされており、高齢者がゆっくりと歩けたり、休んだりするゾーンと、若者や子供がちょっとしたスポーツを楽しめるゾーン、ジョギングのコースなどが用意されているところもあります。

 しかし、環境形成の観点から言うと、公園だけが散策する場所ではなく、本来は地域の空間の様々な機能をうまく配置していくことによって、家の前であっても、散策として有用な空間となり得ます。無理して、混んでいる公園に出かけることもなく、自分の家の周りにも散策を楽しめる空間はいくらでもあるのではないでしょうか。

 都市では緑や農地や水辺がどこにでもある訳ではなく、公園というある意味特定の施設を作る必要がありますが、農村部では、家を一歩出ると、田があり畑があり、水に触れることのできる水路や川があり、緑もあって、そして近くに故郷の山々も眺めることができます。そういう空間を全く持たないのは大都市の一部であり、農村部とまではいかないまでも、地域都市でもそれなりの自然空間を持っています。もうすでにそこは公園と言っていいのです。なのに、その自分の家の周りの小さな文化や自然の魅力には気づかず、わざわざ混んでいる公園に行って散策をしていたりする。それは良くない。

 皆さんは、パブリックフットパスというものをご存知でしょうか、Public Footpathと英語で書くので、そのまま訳すと、「公共の歩く道」みたいなことになります。イギリスで発祥したものですが、本来は、フットパスにはしっかりとした定義があって、「主に歩行者に通行権が保証されている道のこと」、「歩くことを楽しむための道」のことを言います。イギリス国内では、主に農村部ですが、至る所にこのフットパスが通っていて、公共の散歩道となっています。山や草原、川辺だけでなく、農場や自宅の敷地内を通る道もあり、イギリス国民はこれを大切にする文化が醸成されています。

 日本にもフットパス協会という団体があって、フットパスの啓発に努めていて、全国至る所にフットパスがあるのですが、皆さんフットパスを歩いた経験はありますか。

 数か所を歩いてみますと、見どころがあちこちにあってワクワクするし、運動効果も得られて、とても気持ちいいのですが、ただ、これらのフットパスはどちらかというと、地域の持つ自然、文化、景観を楽しみ、環境保護を啓発する役割と、都市農村交流や観光の一環としての位置づけが強いと思います。

 もちろん、フットパスとはそういうものなのですが、私は、現役の研究者時代に、フットパスの計画についての研究をやっていて、その頃に人寄せのためのフットパスではなく、日常的な精神衛生管理上のフットパスの設計が重要ではないかと提言したことがあります。文化や景観に触れることは、それだけで十分癒しの効果があるので、精神衛生上の観点もクリアしているように思われますが、実は、道というのは、景観がシーケンスに展開するだけではなく、心もシーケンスに動くので、単に道路上にそういう見世物が散りばめられていれば良いということでもないのです。シーケンスというのは、景観分野では、移動によって変化していく景観のことを言います。少し思い出してください。海に行こうと思った時、ずっと内陸の道を車で走っていて、初めて海が眺望できたとき、ハッと息をのまれませんか。山だってそうです。木々に覆われた暗い森の中を歩き、木々の間から空が開け、目的となる山の頂が見えた時、スっと癒されませんか。ずっと美しい景観に接していれば、ずっと癒されているというものではなく、道の途中、少し寂しかったり、坂道で苦しかったり、開けてのんびりとしたり、景観に心を奪われたりと、感情のシーケンスがあって初めて、散策の効果は生まれます。

 地域の魅力を住民自身が再発見・創造し、ウォークングによる日常的な健康増進にも活かせ、かつ非日常として来た来客者は、ウォークングを通した現地での体験・交流により地域活性化も図る。これが本当のフットパスの醍醐味です。

 今は、観光はちょっとお休みだということになりますが、日常的にもフットパスは必要だと思いませんか。”どの道”が、”どのコース”が魅力的かとか、俺んちの家の前を通るなら、庭もなんとかせにゃならんなと考えていく、創造する過程、コースを作っていく過程もとても面白いのです。

 農村づくりの一環として、フットパスづくりをあなたの地域でもやってみませんか。もちろん新型コロナ感染の問題が完全に終息してからですが、計画しておげば、いつか絶対に役に立つ時が来ます。計画づくりを業者に丸投げなんて絶対だめですよ。人がいない道を何気なしに歩きながら、「あれ、まだ桜咲いてるじゃないか、違う品種かな。あれ、ここにこんな石碑あったっけ、どれどれなんて書いてあるんだろうか。鳥の声が聞こえるけれど、あれってなんていう鳥なんだろう。最近、鶯の声は聞いていないなぁ」これが、精神衛生上、効果のあるフットパスの楽しみ方です。

※すでに今週初めに投稿し、来週月曜日に公開を予定していたのですが、昨日、今日と接触率8割削減問題の中で、ジョギングや公園散歩の問題が出始めたので、少し早めに公開します。

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