高齢者は「働く」より「働き」

 9月21日は敬老の日だった。国民祝日法によると「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」だと言うことです。

 総務省は、ここ数年、敬老の日の前日に、「統計からみた我が国の高齢者-”敬老の日”にちなんで-」と題して、国勢調査の統計データを公表しています。この情報を見て、次の日には、各社新聞が競って、「高齢化率が世界1位」、「65歳以上の高齢者が昨年より○○万人増加」と一面を賑わしますが、「敬愛を祝う」というムードよりは、年々、高齢者にとって厳しい社会になってきていることがクローズアップされます。そして今年は、『働く高齢者4人に1人』という見出しが躍りました。

 今年は、65歳以上の高齢者人口が2020年より22万人増えて3640万人、総人口に占める割合が0.3ポイント伸びて29.1%と過去最高を更新し、就業率は20年で25.1%と9年連続の上昇で、就業者数も2004年以降17年連続で前年に比べ増加し、906万人となりました。もちろん、過去最多かつダントツ世界一です。

 「きんさんぎんさん」姉妹の史上最高齢双子のギネス記録が更新され、小豆島出身の「ウメノコウメさん」姉妹が、なんと107歳と300日となったと、「敬愛し、長寿を祝う」にふさわしく喜ばしいニュースもありましたが、社会としての高齢化の世界一はあまり手放しに喜べないところもあります。

 総務省の統計データもいったいどういう事なのか、一章で「Ⅰ.高齢者の人口」とまとめたら、いきなり二章は「Ⅱ.高齢者の就業」で締めくくってしまい、高齢者の生活実態については何も整理されておらず、『敬老』に応えるデータがありません。このまとめ方だと、とても、「”敬老の日”にちなんで」とは言えないのではないでしょうか。

 働く高齢者も含め、現在の所得補償(年金生活)や医療保障が「敬愛」に値するものとなっているのか、また、現制度下における生活レベルは適正なのか。独居老人世帯数も増加していますが、「家族」や「地域」という場での高齢者の役割と扶助の実態、そして、本当の「生き甲斐ある就業」となっているのかをデータとしてしっかりと捉えて、伝えてもらわないと困ります。

 政府の読みはいつもマクロで大雑把だ。高齢者と言っても、とても健康的で元気だから働けるし、これまでに蓄積された豊富な経験や知恵は日本社会の大きな財産であるから、『一億総活躍社会』の一員として、現役世代の中に入って働いて貰おう。また、統計によると「65歳を超えても働きたい」と8割の方が願っているのだから、高齢者の雇用促進や法整備こそが重点政策だろうと政府は言う。一見正しく聞こえるが、果たしてそんなに単純に考えてよいものだろうか。実のところは、元気だからこそもっと違う経験がしたいし、生活のために働くのではなく、夢の実現や新しい世界に飛び込みたいし、故郷にもっと貢献したいと思っているだろう。でも、そんな余裕はどこにも無い。「働きたいから働く」ではなく、「働かねばならないから働く」と言うのが半数以上を占めるのではないのか。

 超高齢社会の日本において、財政状況は危機的なものとなっているため、高齢者にはGDPの押し上げに貢献してもらうとともに、健康で暮らせれば、年金は徐々に下げて、医療費負担を倍増しても辻褄が合うのではと、政府として都合よく考えたいだけだ。

 「65歳を超えても働きたいと8割の方が願っている」という統計値は、「高齢者の日常に関する意識調査」の結果を踏まえたものらしいですが、実際にこの調査では、「あなたは何歳まで働きたいか」という質問をしたようなので、当然誰もが、「働けるまで働きたい」と答えるに決まっている。「働かなくても、今と同等の生活レベルを保てたとして、働きますか」と質問すると、「働かない」とは言わないだろうが、何を仕事とするかが選択され、「働かねばならないから働く」という意識とは異なってくるはずだ。

 時々、町の人には失礼ながら、いきなり街頭インタビューをやってみることがありますが、先日も、腰が少し曲がっているじい様が、工事現場で覚束ない手つきで旗を振り、交通整理をやっていたので、休息の時を狙って、仕事について話を訊いてみた。現在73歳で、現役の時は、農業の傍ら、今雇ってもらっている警備会社で仕事をしていたと言う。「いつまで仕事するのですか」って訊いたら、「辞めたいよ。今すぐにでも。身体に堪えっぺよ。でも、年金だけじゃ暮らしていけねぇからよ。医者代も結構かかっし」

 自由に時間を選択できる交通整理のアルバイトは、都合の良い仕事だということだったが、健康のためとか、生き甲斐としてやっている仕事ではないらしい。アルバイト代は、年金の足りない部分を補うつもりだったが、結局、医療費と孫のおねだりで消えていくということだ。

 「働きたいから働く」のと「働かねばならないから働く」のは相当違う話だ。

 「働かねばならないから働く」という状況は、現役ならまだしも、敬愛に値する高齢者が選択する仕事ではないと私は思います。また、「働きたいから働く」としても、これまで勤めてきた会社で、現役世代と同じ仕事をすることが、高齢者が担うべき仕事ではないのではないだろうか。会社からすれば、高齢者に少々の自由度を与えるだけで、低賃金で経験や能力が手に入るのだから、「我が社はあなたを必要としています。社会と経済のために、是非、働き続けてください」と天使の声を投げかけるでしょうし、雇い続けるでしょう。

 「生き甲斐となる仕事、働きたい仕事など理想でしかない。みんな歯を食いしばって、文句も言わず、生活のために頑張っているのよ。それも幸せの一つなのよ」と言われれば、それを否定することはできませんが、私は、老人を敬愛するということからするならば、単に働けるという社会ではいけないと思います。

 「家庭」と言う場、「地域」と言う場、「社会」という場で、社会保障も含めて、金のことも心配せず、自分の存在を実感できる仕事をしてもらいたいと思います。家庭の中において、子育てや家事で助け合うのも仕事だし、地域という場において、地域づくりに携わり、コミュニティの中心になって地域をまとめ上げていくのも仕事だし、それを若い人に伝えたり、コミュニティビジネスに繋げたり、ボランティアとして貢献するのも仕事。そして、社会という場であっても、安易に自分の経験や能力を現役時代と同じ場所で提供するのではなく、多様な分野に挑戦して行くのも仕事です。 高齢者の就業は、労働力として「働く」のではなく、「働き」となって活躍できることであるべきで、それが『敬老』に値する社会ではないでしょうか。

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