ノーベル物理学賞

 先週は、近年の食料流通システムと食生活において、食品ロス削減やプラスチックゴミ削減等の環境負荷軽減を実現し、少しでも温暖化を食い止めようとするのは難しい問題であることをお話しました。特に、私の現在の生活を例にとって、高齢化が進展する生活では、より思い通りに行かないことを指摘させていただきました。

 久しぶりの環境問題についてのお話だったのですが、なんとその次の日、10月5日、米国プリンストン大学の真鍋叔郎(しゅくろう)さんが、気候変動研究の功績に対して、ノーベル物理学賞を贈られるとの発表がありました。読者の皆様もご存知のことと思います。

 ノーベル賞のこれまでの歴史からしますと、物理学賞というのは「原子」と「宇宙」、素粒子だとかニュートリノだとか、どちらかと言うと、市民感覚としてはなかなか理解しにくく、見えない世界の純粋な物理学の研究に与えられるものでした。これまでに私が身近に感じたのは中村修二さんの「青色発光ダイオードの研究と製品化」と「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」の島津製作所の田中耕一さんぐらいで、後のものは、新聞を何度読み返しても、難しくて理解できないものが多い。

 それが今回はどうでしょう。これまでよりもかなり身近に感じる「気候変動に関する研究」だということでたいへん驚きました。

 温暖化の影響で、世界的な規模で発生している大災害の実態を鑑みるに、人類はもう後戻りできない時点に立っていることは間違いない。新型コロナだって、もしかしたら温暖化による影響でのウイルスの異常拡散や変異なのかもしれない。これからの人類の生き方一つで人類の存続が左右されるのだろうと強く実感し、世界中が未来に責任を感じているところに、非常にタイムリーな分野の選択でありますし、共同受賞したドイツのクラウス・ハッセルマンさんやイタリアのジョルジョ・パリージさんも気候変動に関わりや繋がりのある研究ということで、なかなか思い切った選考であったと思いました。

 正確な言葉は忘れましたが、選考委員の一人が、選考理由を「気候モデリングが、立証された確かな物理理論に基づいているという事実である」と評していたのをニュースで見ましたが、そういう分野も物理学の成果だと解釈して賞を授けたのだと思うと、ノーベル財団もなかなかやるじゃないかと、感動して少々目が潤んでしまいました。

 そして、もう一つ印象に残ったのは、真鍋さんへのインタビューで、「気候変動に対して我々が何をすべきか」との質問に、彼が「自分が研究してきたことよりももっももっと難しい問題だ」と回答したことです。

 気候変動の予測に抗う世界的行動は、国家間の政治・経済・宗教・環境・社会の競争と格差が相まって歩調が合わない上に、ナショナリズムとエゴイズムが幅を利かせ、市民レベルでの分断を招き、物理法則に則ってくれない難しさがある。彼に「100倍も1000倍も難しい問題だ」と言わせしめた。

 しかし、100倍、1000倍を乗り越えるためには、やはり、真鍋さんが大気と海洋と人類活動の間でどんな物理現象が起こっているのかを一つ一つモデルとして組み上げていったのと同じように、行動に責任のある私たち自身が、自分の環境への負荷について明確にして、その影響が気候変動に如何に繋がっているのかを見える化し、我事感として取り組むことが重要に違いない。まだ我々は「CO2が影響する」ということを理解したに過ぎないのだ。今度は、我が身に染みる大気海洋社会モデル(造語:物理モデルにさらに社会や政策による人の活動変容までを予測するモデルみたいなもの)を組み、その染み方を世界が共有できるようにしなければならないだろう。

 前回、食品ロスの話をしましたが、これについては最近、「エコロジカル・フットプリント」という考え方での理解が進んでいるようです。エコロジカルは「環境」、フットプリントは「足跡」という意味で、人間の活動がとれだけ環境に負荷をかけているのかを、地球上での流れを数値的に追って、ネックとなる活動や政策に地球規模で制限をかけることで、環境負荷軽減に努めようとするものです。

 基本は教育であって、世界的な環境教育によって、国家間のしがらみを超えて、倫理的価値観をもたらすものであると私は理解しています。カーボンフットプリントではCO2(二酸化炭素)、窒素フットプリントではNr(反応性窒素)の足跡を追うことができる。特にNrの一つであるN2O(一酸化二窒素)はCO2(二酸化炭素)の約300倍の温室効果を持つ強力な温室効果ガスで、オゾン層破壊の原因物質でもあります。今、世界の食糧廃棄量は消費量の1/3だと言われている中、特に窒素をたくさん含むタンパク食料の食べ残しが温暖化にどれだけの影響になるのかは気になるところです。

 今日は、私の古巣である農研機構の研究を紹介して話を締めくくることにします。農研機構の農業環境研究部門(旧農業環境変動研究センター)の江口先生らのグループは、この窒素フットプリントに関してとても素晴らしい研究をされています。

 彼らは、食の嗜好の変化、タンパク質の摂り過ぎ、食品ロスなどの日本の食生活に関する窒素統計量と食料生産~消費の過程で国内外の環境中で生じている窒素負荷量について過去半世紀にわたる長期変遷を明らかにしました。

 その結果、現在、国内消費向けに供給される「食べる窒素」の内、22%はタンパク質の摂り過ぎ、11%は食品ロスとなっていることが分かったというのです。また、現在とほぼ同程度のタンパク質が供給されていた1970年頃の日本食では、食の窒素フットプリントが現在より19%小さいこと等も推定され、私たちがこれから、現代食から1970年頃の「日本食」に回帰し、食品ロスや食べ過ぎの削減をすれば、最大で46%の窒素フットプリントの削減が可能だと言うのです。

 1970年と言えば大阪万博の年で、世界が『人類の進歩と調和』に向かってはいたが、進歩ありきの調和の模索であり、翌年には、ファミリーレストラン、ファーストフードのチェーン店が次々と日本に出店を始めた年でもあり、食生活が進歩していく反面、急激に、家庭料理の味や食文化が失われ始めた時代です。今や農村部でもファーストフード店は目立ち、コンビニも乱立していますが、都市が直ぐに変われないなら、農村から食生活、食文化を見直し、1970年以上の食生活の手本を見せていってやろうじゃないですか。今は、農村が都市の食生活に追い付かねばと躍起になる時代ではなく、農村の食文化が都市を先導する時代のはずです。

※アイキャッチの写真は見慣れたスーパーの豆腐コーナー。すべてががっちりプラスチック容器で包装されています。リヤカー引いた豆腐屋さんの「プ~ㇷ゚~」のラッパの音に反応し、急いで鍋持って走る生活は今はない。

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