人の行動をミチゲーション

 皆さんは、ミチゲーションという用語を知っていますか。

 ミチゲーションを辞書で調べると「緩和する」が元の意味であることが分かりますが、一般的には、環境用語として、「開発事業による環境に対する影響を軽減するためのすべての保全行為を表す概念」として使われます。米国国家環境政策法(NEPA)に基づき環境諮問委員会が作成したNEPA施行規則においては、環境への影響の緩和手段には、「回避」「最小化」「修正」「軽減/消失」及び「代償」があると示されています。この手段の分類は、日本でもそのまま使われていますが、分かりにくいので、「回避」「低減」「代償」の3分類で取り扱われることも多いようです。

 簡単に説明すると、事業実施に当たっては、可能な限り事業の全部または一部を実施しないことによって環境への影響を「回避」し、次に事業規模の縮小や程度を制限することによって「低減(最小化)」を行い、それでも残ってしまう自然生態環境の損失などに対し、代用の資源や環境で置換または新たに提供することによって環境影響を「代償」することです。どの措置においても、環境損失を完全にゼロにし、現状維持を代償する思想、これを「ノー・ネット・ロス」と言いますが、これを達成するための手段としてミチゲーションがあります。

 日本の開発行為においても、自然保護等の法的土地規制がある土地での公共事業の場合は、それなりに回避、低減、代償の順での検討がなされていると思われます。しかし、計画変更に伴う社会的コストの問題や密室の政策上の理由で、回避や低減は御座なりにされ、「代償」に大きく偏っているものが多いように思います。

 ましてや、環境について法的規制のない白地的な地域での民間セクトの事業においては、経済効果や公益性を優先するため、「勇気ある撤退」は基本的にはしない。回避以降の措置が採用されることが多くなり、どうしても最後は、「代償」という行為でなんとかしょうとするだろう。簡単に言うと、まぁ、代わりの物を用意するので我慢してもらうということで、なんとなく金銭的に解決みたいなことになる。だから、本来の”影響をゼロにするという考え方”が薄まり、「代償」がミチゲーションのすべてのように思われがちです。

 環境アセスメントは実施されるものの、事業ありきで議論されるため、一般市民として見ると、なんとなく評価が甘くなっているように見えます。アセスに携わる環境の専門家も学者も、事業を止めると地域振興にマイナスだと言われると、「なんとか開発を進める方向で良い策を練りましょうか」ということになってしまうということです。コロナ対策での専門家会議で、医療の専門家が、むやみにロックダウンや外出規制だと言えないのと同じかもしれない。偉い人ほど総合的に考えてしまうのだ。

 さて、この辺りのお話は専門家に任せるとして、今日の論点は環境のミチゲーションにはありません。ミチゲーションは開発行為に対して、自然との折り合いを考えるものですが、人間活動自体のミチゲーションというのは無いのだろうとかという話です。即ち、人間の活動に制限措置をかけることで、環境負荷を緩和(ミチゲーション)するという考え方はないのかと言うことです。例えば、事業の経済効果として、誰でも好きなだけ来訪してくださいというのではなく、計画段階で、予測来訪者数に対して一定の割合の制限をかけて、環境負荷を「低減(最小化)」するとともに、来訪者の環境負荷に対する「代償」を来訪者自身に負担してもらうことまで含めて事業計画に盛り込み環境アセスメントするという考え方です。法的な行動規制ということではなく、事業計画的に地域的な行動規制を行うことです。「事業計画的」というところがミソです。

 もしかしたら、今ではそういうことも考慮された事業計画になっているのかも知れませんが、少し調べる限りでは、計画段階においての制限措置はあまり見当たりません。

 これは、入湯税のような環境衛生、施設整備や観光振興に対して払うものよりもっと積極的に環境に対するマイナス要素に代償金を支払うことになる。バンキングやSDGsの行動にも似て来ますが、それをミチゲーションとして事業計画の中で考える訳です。

 先日のニュースで、ハワイの観光業についての政策転換のことが報道されていた。コロナ禍において、ハワイの来訪者は激減し、観光業界は大きな打撃を受け、廃業に追い込まれたところも多かった。その中で、ハナウマ湾ではこれまで1日に2500~4000人が遊泳し、海を荒らしていたが、9ヵ月間も人が入らないと、水質は42%も改善し、透明度抜群の魅力ある美しい海に戻ってきているという。また、ビーチへの来訪者に環境税を課したり、海浜のゴミ拾いという労働代償まで払わせて、負荷を抑えることで、環境の魅力を持続し、環境の価値を維持している。今までのような「来るものは拒まず」の来訪者数を確保しなくても地域経済は成り立つというもので、更に、余剰雇用を農業などの他の産業へ向けてもいる。

 人が活動しないことを手放しで喜ぶ訳では無い。儲けられるときに儲けておきたいという気持ちはよく理解できる。しかし、人の活動が制限されることで、これほどまでに環境負荷を緩和できることが今回のコロナ禍ではっきりとした。パンデミックのために、仕方なく取らざるを得なかった対策だろうが、だからと言って、パンデミックが終わったら、これまでの経済損失を取り戻すために、無制限に活動を広げるというのもどんなものだろうか。

 自然を享受することや他の地域の景観や文化に触れるということはもっと神聖で厳かであって良く、お金ももっとかかるものであっても良い。昔は旅行も一年に一回行くか行かないかであったし、飛行機代も電車代ももっと高かったので、行こうにも行けなかったように思う。事業によって開発や整備された場所や開発はしていないものの元々の名所(価値のある環境)に来訪者が無制限に来るなら、迎える側が来訪者を選んで良いのだ。

 農村の住環境整備事業において、かつてこんな地域があった。本来は、整備された住宅地は、お金を払えば誰でもが買えるものであるのだが、その地域では、敢えて、建築協定や建築義務を課して、その地域の生活スタイルや景観デザインコードを明確にした上での分譲募集をした。売れるかどうかの問題もあるので簡単ではないが、地域の生活者はもっと我儘に地域をデザインして良いと思うし、誇れる我が地域に入って来るなら、入ってくることで環境に影響した代償を払ってもらってもいいはずだ。人の行動に制限をかけるのは難しいことではあるが、目先の経済的な潤いに踊らされず、長い目での環境損失に繋がるのなら、人間の行動そのものをミチゲーションしておいても良いのではないだろうか。

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