ゴールデンウィーク

 『ゴールデンウィーク』の名称は、昭和26年に大映と松竹が同名で競い合い作成し、同時上映となった「自由学校」が、5月初旬に公開したところ観客の最高動員成績を上げたということで、その後、映画会社の宣伝戦略として使われた用語なんだそうです。私は、映画は見ていませんが、獅子文六作品は好きなので、『てんやわんや』も「自由学校」も読みましたが、ドタバタの中のコミカルが小気味良いですよね。

 さていよいよ、平常なのかどうか分からないまま、ゴールデンウイーク(withコロナ)がはじまりました。祝日法の改正により、振替休日の規定が変更されて以来、ゴールデンウィークが延びて、毎年、今年は得か損かみたいなことになっています。あまりにも連休が長すぎて、何日が何の日だったかなんてことはクイズ問題みたいです。

 今年、令和4年は有休を2日取れば、4/29~5/5まで10日連続休暇となりますが、毎年、有休をうまく使えば10日前後はなんとかなる。これを利用して海外旅行や長期クルーズなんてのも考えられるし、実際にそういうバカンスを楽しんでいる方々もそれなりにいらっしゃいますが、この物価高の中、満足のいくバカンスを過ごすほど金にゆとりがない場合もあり、かつ、どこへ行っても混んでいるということもあって、結局は、2~3日は家族や子供で近場に遊びに行くものの、後は、「寝正月」ならぬ「寝ゴールデン」となる場合が多いかもしれない。

 世間のお休み気分の中、何日連休かなんてことを言っていられないのが稲作農家です。年間最大のイベントである田植えがあるため、休んでいるどころではないのです。昨年、一昨年と、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、息子たちが帰省できなくて、田植えの手伝いの人手も確保できないという現象があったようですが、今年はようやく息子たちの帰省で、人手も確保でき、稲作農家の皆さんもほっとしていらっしゃることだと思います。

 集落の互助や近くの親戚ももちろん頼りになりますが、人手があれば良いということでもなく、頼りないけど、ちょっとは役に立つ息子と、お客さん気分の娘や嫁(いやいや息子以上に頼れるかも)と、目に入れたら痛いはずのかわいい孫という組み合わせが大切で、そうでないと田植えのモチベーションが上がらないだろう。

 兼業農家の方から聞いた話では、都会に離れて暮らす息子や親せきを呼び集める口実にもなり、会社に迷惑をかけないで、尚且つ皆を呼び集められるタイミングとしてゴールデンウィークは都合が良いのだそうだ。会社側も兼業農家の農作業休みなんか自由に取らせてやればとも思うが、下手すりゃ解雇されてしまうことも未だにあるそうで、半X半農(敢えて反対にしている)への道は険しいものだ。

 地域によっても異なるが、田植えは、本来は二十四節気の「芒種」と呼ばれる6月6日以降、夏至の21日の前後ぐらいで終わらせるもので、昼間の時間が一年で一番長くなるこの時期というのは、田植えの作業のたいへんさから言うと理にかなっている。それが今となっては、なんとなく、稲作の暦から祝日法の暦にあわさなくては行けなくなってしまったという感じだ。もちろん、気候変動による災害対策のため早生への切り替えもあるのかも知れません。

 考えてみたら、働き方改革が進み、テレワークも浸透していく中で、どうして、国民全体が同じように休まないといけないのだろうか。確かに、みんなが休む時に一緒に休まないと、社会が回りにくいことは確かだが、農家には農家の、サラリーマンにはサラリーマンの、商人には商人の休み方があっても良いのではないだろうか。

 私はカメラ屋の息子でしたが、カメラ屋は、基本、正月、ゴールデンウィーク、夏休み等、みんなが休む時はかき入れ時で休めなかったので、子供の頃は、父に命じられて店頭でフィルムの販売を手伝っていました。フィルムを売っては、友達が海外旅行に出かけるのを見送っていたのだ。

 店頭に立つ私に中学の同級生が近寄ってきて、「今から沖縄いくんだ!」。私が「いいなぁ。沖縄か、言ったことないんだよな」と言うと、楽しそうに「じゃあな、帰ってきたらお土産持ってくるよ」。心の中で泣きそうになりながら、「土産はいいから、フィルム買って行けよ!」

 両親がそんな私を哀れに思ったのだろう、いつもゴールデンウィークが終わると、学校を休ませて、どこかに連れて行ってくれた。「学校を休ませるなんて言語道断」と言う先生方と母はよく言い争っていた。「商売やっている家族には商売に合わせた休み方があるんです」って、強い母だった。一度、休む前日にとある女の先生に油性マジックで、腕に「私は休み魔です」って書かれたことがあって、母がカンカンに怒って、学校に乗り込んで行ったのをよく覚えている。今なら大問題になる。

 旅館だって、イベント会場だって、名所だって、一度に人がたくさん来て、ごみは出るわ、迷子はいるわ、事故はあるわ、物は売り切れるわよりも、1年通して平均的に商売になった方が良いのではないだろうか。維持もしやすいし、安全管理も行き届くのではないか。仕事の仕方も多様なら、休みのあり方も多様でなくっちゃ、働き方改革は休み方改革ということだろう。祝日の『holiday』と休暇の『vacation』は同じてなくて良いと思うのですが、いかがでしょうか。

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