選挙割

 7月10日、参議院選挙の投票日であったが、今回の選挙でちょっと考えさせられることがあった。「選挙割(センキョ割)」のことである。

 「選挙割」というのは、投票所で申告すると受け取ることができる「投票済証明書」や「投票所の写真」などを店舗で提示すると、様々なサービスが受けられるというものだ。もうこの企画が始まってから10年が経つ。横浜市からはじまった小さな取り組みは、だんだんと賛同する店舗や企業が増え、『一般社団法人 選挙割協会』や『センキョ割学生実施委員会』などの組織化も進み、ルールも充実し、今や2,000店舗以上となり、全国に拡大している。

 この取組は、海外でも進んでいて、参加する企業にとってのメリットが大きい上、消費者に対して政治への関心を高め投票行動を促すことは社会的意義があると言える。

 また昨今の選挙では、長引くコロナ禍の影響で、業績が下がっている企業も多いことから、特に飲食業界では「選挙割」によって、来客数が増えることに期待がかかる。まさに、一石二鳥ということで、これからも拡大傾向にあることは間違いないだろう。

 「申し分のないイベントではないか、とても健全ではないか」と言いたいところだが、私の考えは少し違う。こういう取組によって、政治参加を促すことは大切であるが、問題は、目的が取り違えられた場合だ。『ふるさと納税』についても、以前、「暮らしの知を地域活性化につなげる(1)」(2022/1/31投稿)で申し上げたことがありましたが、ふるさとへの想いから納税するのなら良いが、何のつながりも無い地域からお得な返礼品をもらうためだけとなると、これは目的の本質がすり替わっている。選挙割も同じことだ。政治参加を促進するためなら良いが、お得な消費のためとなるとやはり本質ではない。

 こういうやり方は、性善説的に作られているが、人間はそんなに純粋には生きていないということだ。「公職選挙法」に抵触する事案が発生する可能性ももちろんあるが、これはルールを徹底すればなんとかなる。問題は、選挙権を持つ者が純粋に「日本の国をどうしたいという想い」が薄まりはしないかと言うことである。そういう想いは当然持った上での、サービスの享受であるなら何も言うまい。しかし、人間はそんなに純粋な側面だけで生きていないのだ。私自身は選挙割が有っても無くても選挙に行くが、そんな私でも、「選挙に行けば、パスタが半額で食べられるならお得だな」と思ってしまうことへの悲しさである。

 最近の政策や社会活動は、やること成すことがあまりにも短絡的ではないだろうか。そして、そういう短絡さに人はまんまと填まってしまう。巷で「不正」や「詐欺」が当たり前のようにまん延しているが、それらを働いている当の本人は、もうひとつ何が悪いのか分かっていなかったりするのも『短絡の罠』と言わざるを得ない。選挙離れを解消したい、もっと国民の目を政治に向けたいと考えるあまりに、そのためなら、手段は少々外れていても違法でなければ良いということなのか?

 そもそも、「投票とは何ぞや!」である。こんなことを法律の専門家ではない私が述べてもたいした意味はないかも知れないが、「選挙権」は個人の権利であることを再度明確にしておく必要があるだろう。

 選挙権は普通、平等、直接、自由、秘密といった5つの原則を持っているのは皆さんもご存じだと思いますが、特に、「自由投票の原則」は重要です。投票する、しないは自由だということです。自由を行使することは責任が伴い、結構たいへんなことなのです。誘導もあるべきではないと私は考えています。日本の国のことを考えるのに、何故に誘導されないといけないのか。誰に投票するか、どの政党を支持するかが自由であるべきなのは当然だが、投票そのものも誘導されてはいけないと考えます。私の考え方は融通が利かないということでしょうか。違いますよね。自由投票において、選挙へ行った人に割引と言う利益が生じてしまえば、それはいくら投票率の向上のためとはいえ、自由になっていないのです。

 「選挙へ行った人は得したね」と、選挙へ行かなかった人が、それでも私は棄権するということなら問題は無いが、得するのだったら選挙に行くということが発生すると、それは自由ではなくなるし、選挙権の捉え方が違ってくる。

 小学生に勉強をがんばってもらうのに、親が「100点とったら、ゲーム買ってやる」という奴に似ていないか。子供は自分の成長にとって大事だから勉強するのではなく、ゲームが欲しいから勉強するようになると、勉強とは自分のためのものであるという大原則が崩壊してしまわないか。「よくがんばったな」と親が声を掛けてやるのは「愛」で済むが、消費に還元されると、「愛」は「欲」となる。最終的には、何か買ってやらないと勉強しなくなってしまう。

 農村づくりにおいて、参加する住民が様々なアイデアを提案することはとても良いことだ。しかし、多くの人が来てくれるから良いとか、関係人口が増えるから良いとか、儲かるから良いという場合は、是非一端立ち止まって、多方面から「農村づくりとは何ぞや」と、その本質に問いかけてもらいたい。本質であるはずの「住民が我が地域を愛し、誇る気持ち」が別の価値観に置き換わったら、それは、農村づくりではなくなると思いませんか。

 まぁ、素直に選挙割を喜ぶためにも、しっかりと日本のことを考えて、しっかりと政治を見ないといけませんね。

※7月9日 安倍晋三元総理が凶弾に倒れました。政治信条や活動の良し悪しに関係なく、日本のことをよく考える政治家らしい政治家であったと思う。ああいう形で亡くなられたことは大変残念である。心より哀悼の意を表します。

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