少子化対策を農村と繋げて異次元へ

 若い世代の所得が多くなれば、子供を産み、育てる家族は本当に増えるのだろうか?

 出産・育児・教育費に金銭的な補助を施して、育児・保育環境を整えて不安を払拭すれば本当にみんな子供を育てようと思うのだろうか。

 家族関係社会支出(出産・育児・教育などにかかる社会保障費のこと)が増えれば出生率も増えることは経済学では常識だそうですし、若い世代へのアンケートからも、出産・育児に関する最大不安要因はお金のであるのは明確なので、ここにテコ入れすれば出生率は上がるということでみたいです。でも、本当に効果のある少子化対策を打ちたいのなら、お金だけに終始してはいけないように思います。もう一歩先に踏み込んで、子育ての面白さの価値観に触れるような夢ある政策が必要だと思うのです。

 フランスは少子化対策が成功した国だと言われていて、日本もこれに習い、遅ればせながら、ちまちまと分配政策を展開しているところです。フランスの政策は確かに目を見張るものがあります。N分N乗方式と言われる世帯課税となっていて、子どもが多くなるにつれて税額が減る上、さらに多様な助成制度が使え、3人目以降だと、子どもが成人するまでの間に3900万円ほどの助成を受けることができるようにもなっています。おまけに年金10%加算まで付いてくる。「がんばって多くの子供を育てた人は老後ゆっくり休め」ということみたいです。更に、出産・産後ケアまで含めて無償だし、高校の教育費も無償で、大学以降も返済不要の奨学金も用意されています。

 フランスは1995年から徹底した対策を打って、2006年には出生率2.0に達しましたが、現在は1.8ぐらいまでまた落ち込んでいます。2000年代当初は確かに、若い世代の所得と出産・育児・教育環境と働き方の不自由さに少子化問題の根幹があったので、そこを重点的に改善していくことでそれなりの成果が得られたと思われますが、今も本当にその理屈での施策に効果が期待できるのだろうかということを言いたいのです。

 フランスが30年かけて本当にやれたことは、地道な男女平等政策の実現により、「子育ては女性が中心」という概念を完全に撤廃できたことです。そして今、完全撤廃の域に達した人の意識が逆に、効果の減少方向に変異する出産・子育ての価値観をワクチンのように押さえ込んでいて、出生率1.8に維持できているのだと私は考えます。

 ですから、未だに「女性が社会に進出するから子供を生まなくなる」とか、生産性がどうのこうのと言う政治家がいるような日本において、かつ、家族から始まり、会社、地域に広がる多様なコミュニティが重層的に子供を産み、育てるという意識が醸成されていない日本社会において、表面的にフランスを真似たってうまく行くはずが無い。「子育ては女性が中心」という概念を払拭しなければならない時代はすでに終わっていて、価値観のステージは次に移っているのだが、読み違えをしたまま進んでいるように思う。

 これから問題となるのは、一人でいることの自由さ、人間関係の煩わしさの回避という価値観が社会に根付いていて、所得が上がったから、はい子供産みましょう、育てましょうとはなれない人たちをどうするのかという問題のはずで、これには、経済学者のコストベネフィットだけでは太刀打ちできないのではないでしょうか。子育てに希望を持つ若い夫婦にはお金の支援で事足りるが、それは政策評価がしやすい部分だけで通る理論であり、寧ろ新たな価値観の弊害が施策の効果を鈍化させることをベネフィットとして計算しなければならないのではないでしょうか。これを無意識的に計算しているのが、フランスの意識改革の30年の重みではないでしょうか。

 岸田首相は、『次元が異なる少子化対策』なんてものすごいタイトルを付けちゃったけれど、次元はどこが異なっているというのか。

 今までの少子化対策のロジックを離れられないで、財源だけが問題だと思っているなら、政策は『異次元』とはならない。だって、①若い世代の雇用安定・所得向上、②経済的な不安や出産・育児不安の解消、③働き方改革と保育人材育成、④自由度の高い教育費の無償化などはこれまでも検討してきたものの延長で、未だ『二次元の少子化対策』だとしか言いようがない。

 N分N乗も是非取り入れて欲しいし、高校までの無償化もやればよい。基本は、子供を産むことも育てることも煩わしいことではなく、寧ろ、それの方が得だし、人生も豊かで、自由をもっと得られるのだという考え方なり価値観を社会の中に根付かせることだろう。その定着方式まで考えないと実際には何も解決しない。

 また、少子化問題を少子化問題の中だけで捏ね繰り回しても何もアイデアは出て来ない。異次元っていうのだから、農村の過疎化問題や空き家問題を繋げて、子育て農村移住は住居も含めて子育て費無償とか、農村の高齢者就労として、昔、集落のお年寄りが日がな一日、公園のベンチに座り地域の子供たちを見守っていたように、今ならテレワークを発展させてテレ育児見守り支援をコミュニティービジネスとして取り組んでもらうとか、農村部の教育環境不利条件の解消として、学童保育をもっと拡大して、子供食堂やボランティア学習塾とも連携した高度教育環境を作り、多様な人材が複合的に地域の子供を育てるとか、いっそうのこと、年間を通してフレキシブルな農村里親制度を立ち上げるとか、農林水産省はもとより、全省庁の若手総出で、国民も巻き込んで、中核都市とサテライト農村の圏域議論の中で少子化対策を考えていく必要があるのではないだろうか。そういうのを『異次元』って言うのではないだろうか。

 いゃ~、これぐらいのことは、とっくに考えられていて、低次元過ぎるのかも知れませんが、あまりに『異次元』の文字が無味乾燥だったので、言わせてもらいました。

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