SFなのか政策論議なのか

 今回は、農村づくりの話は一回休みで、巷で話題となっていることについて触れます。

 成田悠輔氏が、少子高齢社会の解決方法について、高齢者の「集団自決」とか「集団切腹」といった過激な表現を繰り返してきたことで、様々なメディアで取り上げられていて、賛否両論飛び交っていることです。話題としてはちょっと古くなりかけていますが、皆さんご存じでしょうか。彼はイエール大学の助教みたいですが、名前や肩書は知らなくても、あのメガネフレームの右が丸で左が四角の漫画みたいな人と言えば、あぁ、あの人かと分かるでしょう。

 特に、ニューヨーク・タイムズに取り上げられ問題となったのは、2021年12月17日配信の「ABEMA Prime」での彼の以下の発言のようです。

『僕はもう唯一の解決策は、はっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないかなと。やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけじゃなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて。過去の功績を使って居座り続ける人が、いろいろなレイヤーで多すぎるっていうのがこの国の問題』

 このABEMAPrimeを私は見ていないのですが、日頃よりいくつかの情報番組でコメンテーターとして出演されている成田悠介氏の世相の切り方を見ていて、ちょっと面白そうな人だったので、今年に入ってベストセラーとなった彼の著書「22世紀の民主主義」を読ませてもらいました。同時に、橘玲氏の「バカと無知」も読んでいて、ちょうど言ってはいけない表現の比較的多い2冊の書籍に接していた折に、「集団自決」の過激表現問題を知ったので、あれあれ、成田さんどうしたんだろう、情報社会を達観して切っていたはずなのに、論客としての権威と注目を求めるがあまり、SNS社会の闇に自ら填まっちゃったのかなと思いました。

 本人は、問題の根本論を引き出すためのメタファ(隠喩)としての発言であったとも言っているそうですが、そのつもりが、SNSのいじめっ子やディスっ子にいじられ、キャンセルカルチャーの壇上に登らされちゃったということみたいですね。怖い世の中であります。実際は、「メタファ」というよりは「キャッチ」のようにも思えますけどね。

 確かに表現は稚拙ですし、思い遣りにもかけます。私も高齢者の階段を正に今登っているところなので、「そんなに後ろから押されたって登れないよ。だからって無理やり落とすなよ」って、腹立たしくなります。でもだからと言って、そんなにキャンセルカルチャーに晒さなくても、「メタファなんですか?読みにくい文ですね」とか「過激表現好きなんでしょ。気を付けた方が良いよ」ぐらい言うだけで終わるようにも思います。

 高齢者の「集団自決」という言葉を聞いて、私なんかは直ぐに思い出したのは、1973年のアメリカ合衆国のSFサスペンス映画「ソイレントグリーン」の高齢者が自らの死を選択するあのシーンです。

 世界人口爆発により食料難となる世界において、食料政策は配給となっていた。そして、もう一つの政策としては、人口を減らすために高齢者は社会での役割が終わったと自分で判断すると、自らホームと呼ばれる安楽死施設に向かうことが提唱されていた。ホームに向かった知り合いの老人の後を追うチャールトン・ヘストン演じる刑事ソーンが見たものは、地球の大自然のドーム映像を見て、ベートーヴェンの「田園」を聞きながら死んでいく彼であり、遺言に従い彼の遺体を追うと、それはソイレント社の工場に運び込まれ、人間の死体からソイレント・グリーンという配給食料が生産されていたというショッキングな真実であった。

 私は、「集団自決」っていう言葉の一人歩きより、あの一本の映画の方がよっぽど怖かった。あの映画は中学生の時だったと思うが、田園の風景が忘れられなくて、考え込んでしまって、2、3日眠れなかったように思う。

 とにかく、成田氏のこの文言は、科学的根拠よりも自己顕示欲が勝ってしまって使ったものであるんだろうと、ちょっとフォローしておきたいと思います。そして、こんなところでいじられてないで、政策流儀に流されても物言えるようにもうちょっと成長してほしいなぁと思います。SF小説家じゃないんだから。

 こういう他愛のない推しでも、成田氏を擁護していると責められるのだろうか。大丈夫ですよね。このホームページは読んでいる人少ないですからね。

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