例大祭に参列して

 4月9日の日曜日、山形県河北町畑中稲荷神社の例大祭神事式に参列させていただきました。例大祭は祭神や神社に由緒のある日に行われる年一回の重要な行事であり、畑中稲荷神社では毎年、4月の2週目の日曜日と決まっている。私が参列を賜るのは今回で4回目となります。

 この祭りは神社の公式行事ではなく、氏子たちの五穀豊穣・無病息災を祈願する自主的な行事であると聞きます。この神社の氏子ではない私が参列をさせていただけるのは、おそらくは、結婚式や葬式等と同様、議員、市・町長や大学の先生等の来賓参列による式の権威付けの意味もあるのでしょう、私の席には元農林水産省幹部とちょっと誇大な肩書が張られていました。それはそれで大事な役割ではありますが、単にそれだけではなく、研究者としてこの集落の発展に少しは貢献した者として認められていると、自分勝手に受け止めさせてもらっています。本来は恐れ多いことで、参列を賜るのは光栄の極みです。

 いつも、神様の前に座ると、「おまえ誰や、何でそこに座ってるんだ」と思われているのではないかとヒヤヒヤしているのが実際のところです。

 このような集落で執り行う神事式も珍しくなって、ここまで本格的に受け継がれているのは全国的にも数少ないのではないかと思います。花火の打ち上げを合図に、代々受け継がれてきた住民による雅楽奏から始まり、集会所から神社まで集落のメイン道路を、宮司を先頭に総代や村の主立ちが練り歩く。6年前に参加した時は、集落の子供たちも一緒に歩いたが、今年はまだコロナの影響で参列できなかった。神社に着くと、社殿に入る前に修祓(しゅばつ)がある。その後社殿に入り全員着席し、宮司さんの開扉の拝礼があり、「かしこみかしこみ・・・」の祝詞、献饌へと移っていく。献饌では、総代が高坏に盛られた米、酒、餅、野菜、鯉、乾物などを次々と神棚へ供える。そして、いよいよ総代、参列者らによる玉串奉奠(ほうてん)の儀。ここはひとり一人呼ばれ、玉串を供えた後、二礼二拍一礼をしていく。

 私は、右腕がうまく動かせず、拍手が上手くできない上、音も出ない。おまけに股関節も良くないので、まともに正座すると起き上がる時に一旦足を崩して寝ながら起き上がることになります。神前でそんな恥ずかしいことはしたくないので、少し片足を浮かせた状態で座るしかなく、様式どおりの何も完全にできません。神事に事足りない身体となったことを痛感する。神様、先ずこの言うことを聞かなくなった身体をなんとかしてくださいと、「かけもくもかしこき」お願いしたくなりました。

 全部終わると、すぐに撤饌(てっせん)として、献饌した高坏を戻します。これが参列して見ている者からすると結構面白い。その素早さが尋常ではないからです。あの短い間で、神様のパワーが宿るものなのかというぐらいサッサと引き上げられるのです。その後、閉扉の拝礼があり、神事はここまでで、後は、境内で記念写真を撮って、集会所へ戻り総代挨拶で式は終わります。

 たいへん厳かな式祭であり、これなら五穀豊穣、家内安全も叶えられようと思います。

 どう表現するのが最もふさわしいかというと、それは間違いなく「美しい」であります。きらびやかとか、和装束の形式美とか、雅楽の響きのことではありません。神と人との繋がりが見えることそのものが美しいということで、どの一部というのではなく、何から何まで全体が「美しい」のです。

 そして、外部者であっても十分に感じることがあります。それは集落の人の繋がりの強さです。神社に向かう道々に参列しない住民も出てきて、「ご苦労様です」と声を掛ける。神事の始めと終わりに太鼓を打つが、あの音は集落中に響き、住民が家の中で聞くと、「いよいよ今年が始まったなぁ、さあ、農作業がんばるぞ、仕事頑張るぞ」となるのだろう。

 この集落も、過疎高齢化と厳しい農業情勢に晒され、常に瀬戸際にあるが、なんとか「人の繋がり」と「知」でそれを乗り越えようとしている。人の繋がりの強さが儀式を存続していくのか、儀式の存続が人の繋がりを保つのか、それは同時にあるものだ。苦しくても残し繋いでいかなくてはならないだろう。「文化の伝承」などと教科書にあるような言葉を使ってはいけない。伝承と言った瞬間に神が離れるような気がするからです。

 今年は東北の地にも、駆け足で桜前線が登ってきました。例年は桜は咲いていないが、今年は境内の桜も家々の桜も満開で綺麗でした。前夜雪が降ったこともあり、道端や屋根には少し雪が残っていました。花冷えのする日曜日の午前中、しんと張りつめた空気を割いて、笛の音色が集落に響き渡っていました。

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