「ボケ老人か?」

 先日、妻に怒られた。なんだかこういう言い方をすると、滅多に怒られないのに、特別にその日だけ怒られたみたいですが、実は毎日のように細々と、「電気点けっぱなし」とか「外から帰ってうがいしていない」と怒られてはいます。で、今回は、「同じことを何回も言うな」と怒られてしまった。

 農村づくりの活動で、全国いろんなところへ行って、様々な方々とお話をしていると、いろいろな喋り方の特徴がありますよね。理路整然とまとめて話をされる方もいれば、言葉少なく、言いたいことだけしか言わない方もいます。また、文句や反対意見は言うがどうすれば良いかは言わない人もいます。そして特に多いのは、同じことを繰り返し言う人です。

 農村づくり活動の議論の場は、会社や役所の会議とは違います。喋るのが得意な方もいれば、不得意な方もいますし、人前に出ると上がってしまってうまく話せない人もいますから、地域リーダーや議論の場の進行役は、それがどんなお話になっても、少し脱線しても(脱線が大きい場合は少々修正の援助も必要)、その人がうまく意見をまとめられなくても、意見を遮ったり、無視したりせず、最後まで聞いてあげることが大切です。

 でも、議論の場を横で観察していると、往々にして、進行役の人が「で、あんたは結局何がいいたいの?」とか、「それは、誰の意見と同じということやね」というように、ちょっと怒りながら、まとめ上げてしまう人がいます。これは会社の会議ならあり得るのかもしれませんが、農村づくり活動では絶対しない方が良いです。どんな喋り方の人も、議論に参加している限り、言いたいことがあるのですから。その意見には何か意味があると思った方が良いのです。

 同じ意見を繰り返す人がよくいますよね。私も若い時は、そういう意見を聞くと、「○○さん、それはさっき言ったのと同じですよね」とか、「もう、その話は聞きましたよ」なんて言って、遮っていたことがありました。これは良くないんです。同じ意見を繰り返すことの意味をもう少しじっくり考えないといけません。大切なことだから何度も言っているということでもあるでしょうし、ちゃんと伝わったかどうかが不安なので、何度も言っているのかもしれませんし、以前言ったのと、ちょっと異なる部分があったので、言い直したのかもしれません。こう言うとね、「そんな理屈あっての繰り返しじゃなくて、単にボケとんのよ」と言う人がいます。うまく議論が進んでいるところで、前に話を戻されたり、同じようなところで議論が停まったりするのは、進行役やまとめ役からすると、面倒だなと思うのはよく分かります。でも、これを一般会議のように制御してしまうと、農村づくりの活動の真髄である情報共有の精神が崩れます。農村づくりでは、どんな人がどんな意見を持っているかを互いに把握し合うことが重要です。何度も言うと言うことは、それは情報共有ができていないかもしれないという不安から来ているのであって、その人が強迫症や認知症で言ったことを忘れているので、再度言っているということとは違うのです。このことを伝えることが大事で、大事でしかたないということなんです。ですから、少々の老化現象は多めに見てください。

 私も歳行って、家庭内で同じことを何度も言うことが多くなったようです。老化現象が原因ということもありますが、それだけではありません。私の場合は、議論に値する話ではありませんが、先日、妻に言われたのは、「おやすみ」を2回言うとか、「明日朝9時から病院だから」を一日に数回言うと言うのです。はっきり言います。私は何回も言っていることをちゃんと認識しています。で、妻には、「確認のために何回も言うんだよ」と反論します。そもそも、「おやすみ」なんて何回言ったって良いじゃないか。気分が悪くなる話じゃあるまいしと思うのですが、妻からしたら、”ボケ老人”がいるようで、とても鬱陶しいらしい。 私の気持ちはどうかと言うと、夫婦互いに年老いて来て、私は少々耳も遠くなってきましたし、自分が相手から聞き取れていないことがあるように、こちらから言っていることが相手に伝わっていないかもしれないと思いから、再度言ってしまう訳で、そこは、「ボケ老人か?」とタカ&トシのツッコミみたいにあしらわず、何度でも、「はい、はい、爺さんや」と聞いて欲しいものです。

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