
どうする?GOミする!
退職してからは、食事を作るのは私の役割となっています。パンとハムエッグと目玉焼きの軽い朝食を摂り、紅茶を飲みながら今日の昼、夜の献立を考える。朝食が終わると近くのスーパーマーケットに買い物に行き、野菜の価格や古古米あるかなぁとかチェックをしながら店内を危ないおじさんみたいに何周も運動がてら歩き回り、その日の昼食と夕飯の買い物をする。日によってはスーパーを2、3軒梯子する。経済的なことを言うと、おそらく一週間分ぐらいの献立を考えておいて、安い日にまとめ買いして、徐々に使っていくのが良いとは思うが、朝のスーパー巡りは、運動嫌いの私が唯一アクティブに動ける時間なので、健康管理の点からも、このスタイルを崩さずにここ6年ほどこの感じでやって来ました。
二人分の1週間3食は簡単なメニューではありますが、元から作ることには拘っていて、サラダも野菜を刻むところからやりますし、ハンバーグだってみじん切りの玉ねぎを炒めるところからやっています。しかし、最近、ちょっと疲れてきまして、カット野菜や冷凍野菜を使うことや、お惣菜を買ってくることも多くなってきました。5人、6人家族で1週間全部作っている家事業の方もいらっしゃるので、「なんだそれくらいたいしたことないじゃないか」とせせら笑われるかもしれませんが、今日は、作るのがたいへんだという話ではないのです。
作り置きの食品を使うことが増えて来たからだと思うのですが、最近ものすごく気になるのがゴミの量のことです。夏になって気温が上がり、ゴミ箱の匂いが鼻につくようになると、いつも以上にゴミ箱が早く一杯になっています。先日、「前からこんなにゴミ多かったっけ」と、ゴミ捨て時にゴミチェックをしてみたところ、定性的ではありますが、容器ごみの量が前より増えていることに気づきました。先ず、一人前用のレトルトパウチやチルド食品を使うことが増え、ここでゴミが増えている。冷凍食品を買って、必要な時にだけ揚げれば良いコロッケを、油で揚げる調理が面倒なので、2つ入りの総菜パックを買ってきてしまい、ここでゴミが増える。2リットルの水を持って帰るのはたいへんなので、最近は水もネットで取り寄せたりすると、これもゴミ、段ボール箱だらけになります。更に、若い時は、「今日は麻婆豆腐だよ」ってなれば、それとサラダぐらいで食事はできましたが、年取ると、黒豆の煮物もちょっと欲しくないかい、お米食べるのに、生たらこか納豆もあったら嬉しいよ。漬物もいるし、ほうれん草のおひたしも一口ってなってきて、倹約のための一汁一菜では満足できない。そして、そういう年寄りのニーズに合わせるかのように、スーパーでも、少量お惣菜のプラスチック容器盛りやパウチ食品が増えている。ゴミが増えるのは当たり前と言うことになります。日本のゴミの総排出量は減少しているらしいが、それは人口減少、資源ごみのリサイクル化の推進、外食化の増大によるもので、我が家の実態とは異なるように思います。
ゴミが増える要因はそれだけではありません。ゴミをどのように管理するのかも大きな要因となります。食品がのっているプラスチック容器は他のごみとは別にして、使い終わったら、洗って同じ大きさのものを重ね合わせておく、牛乳や紙パックは、すべて展開して洗ってまとめておく、ビニール袋類も使えるものは置いておいて、使えないものはまとめて小さくしておく。こういう資源化のための小さな努力をしないから、すぐゴミが増えるのでしょうが、いや、そこまできっちりはしていなくても、それなりに分別をして、整理できるものは整理してゴミの量を減らす努力はしているつもりです。それでもゴミは多すぎるのです。
そういうものを整理するのも家事の工程の一つであり、食事を作るだけなら誰でもできるなんて言われてしまうかもしれませんが、年寄になると、案外、こういうことが面倒くさくなってくる。5年前は、牛乳パックも綺麗に展開して、束にまとめて嵩張らないようにしていましたが、最近は、「もうごめん、このまま捨てるね」と燃えるゴミ用のゴミ箱にポイッて入れてしまうことも多くなりました。洗う-乾かす-開く-まとめるという作業が丁寧にできなくなってくる。プラスチック容器のサイズ合わせも、前はしっかりやっていましたが、最近は、プラスチック容器用のゴミ箱を設置して、大きさ関係なく、上から放り込んでいくもんだから、ゴミ箱はすぐに一杯になり、上から無理やりググっと押しても、クッションのように跳ね返って、ゴミ箱の蓋が「限界です」と根を上げる。
身体の動きが悪くなると、自分の身の回りがだんだんとどうでも良くなってきていることに驚いてしまう。以前に戻ってしっかりと管理すれば良いだけなのだが、その気力そのものが無くなっていることに気づく訳です。SDGsに貢献したいのだが、年寄りはそうは簡単にいかない。『どうする?GOミする!』なのだ。
小・中学校の頃の話ですが、お豆腐は鍋持って買いに行ったし、野菜も新聞とか広告の紙に包んで買い物かごに入れて帰った。場合によっては、買い物かごにそのまま入れることもあった。だから、プラスチック容器なんてほとんど必要なかった。魚も肉も量り売りだった。それだけ人件費もかかっていたし、衛生管理上の問題もあった訳ですが。
そこで未来を考えてみた。客は同じ形状の高機能買い物かごを使い買い物をすることにする。野菜類、肉、魚はビニール袋やプラスチック容器販売はやめて、店頭では種類ごとに積んであるだけ。そこからすべて必要な個数をトングでそのまま買い物かごに入れていけば、精算時にICTやAIにより、自動で種類、個数、重さ等が計測されて、会計ができるようにしたらどうか。買い物かごの肉や魚を入れる場所は衛生上個別になっており、プラスチック容器の使い捨てはやめて、家庭毎の専用トレイを洗って使う方式にする。ここは、昔の豆腐やシジミを鍋持って買いに行く感覚かな。余計に面倒みたい、ちょっとバカっぽいかな。なんにせよ言いたいことは、ゴミを減らすためにどうするかは、流通改革も大事ですが、生活者側の大胆な意識改革と技術革新も必要ということになるような気がします。
※アイストップの写真は現在のスーパーのもやし売り場。昭和30年代では、もやしの専門店というのがあって、量り売りしていた。「豆もやし100g頂戴」って言えば、おばちゃんが大きな樽に積んであった豆もやしを手で適当につかんでクルクルっと巻いた新聞紙に入れて秤にかけていました。それがまた不思議なことにいい加減にやっているように見えるのにちゃんと100gなんだなぁ。
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