古い奴だとお思いでしょうが

 1970年、大阪万博の年であるが、俳優の鶴田浩二さんが『傷だらけの人生』という曲を歌っていました。♪古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか♪と、最初セリフから入る。もう少し古い60年代の歌だと思っていましたが、それほど古くはなかったんですね。理不尽な御時世の中で、薄れ行く人情に怒りを感じ生きていくやくざ者の哀しみを歌ったものだと解釈して良いと思いますが、その根底に流れるテーマは高度経済成長がもたらす生き難い社会への警鐘なのだと思います。そして、”新しいものを欲しがる”というセリフで分かるように、それでもこの世知辛い世の中を受け入れざる得ない人生のむなしさを表現しているようにも思います。人情を通して世の中を見れば、新しいものなど何処にもなく、ただ希望の持てない闇のような世界が広がっているだけじゃないかということになるのでしょうか。

 先日、テレビを見ていると、最近は『昭和レトロブーム』だということで、新しい奴が古いものを欲しがっているらしい。只、このブームというのは鶴田浩二さんの歌の逆だと、♪Z世代だとお思いでしょうが、Z世代こそ古いものを欲しがるもんでございます♪となると思うのですが、どうも鶴田浩二さんのセリフにあるような深いところまでの価値観の変容ということではなく、昭和という時代に単なるデザイン的な格好良さを感じるということのようです。所謂、義理人情の世の中を懐古するといことではないらしい。「昔の人の繋がりは深くて良いよな」とは思うものの、それにどっぷり填まろうとは思わず、そこは今の薄い人間関係のままであって欲しいようです。心の奥深くを引っ掻き回せば、今の希薄な人間関係の社会に生きづらさを抱いているのかもしれませんが、それを許容するのも、それはそれで難しいのでしょう。あの頃の人の距離感に憧れがあるものの、自分がその中に立てるかと言うとそうはいかない。そこがまた、現代の若者の生きる息苦しさということなのでしょう。

 ただ、そんな息苦しさはいつの時代にもあるのであって、基本的には、昭和とか平成とか令和とかいうことは関係なく、時代が次に動くときは、常に未来という時代への「不安」と今という時代への「憤り」と過去という時代への「安心」が渦巻く訳です。そして、今への「憤り」が大きいと、過去への「安心」に懐古し、未来への「不安」は大きくなります。また、今への「憤り」が小さいと、過去への「安心」を求めるよりも、未来への「不安」を「期待」に変えようとします。この行ったり来たりの心情がスパイラルに時代を進めているということなのでしょう。

 さて、いよいよ総選挙が終わりました。この結果からすると、時代がもしかしたら次へ動くのではないかというところですが、さあ、どうなるのでしょう。実際には、どの政党を選択したとしても、『前より悪い国民生活にしよう』という目標を掲げる政党は無いので、みんな我が党の政策を選択すれば、未来への不安はなくなりますよと言うのだけれど、それは、今に対する怒りと連動しているため、この怒りが大きければ大きいほど、未来への不安も大きくなってしまいます。それがこの結果をもたらしたのでしょう。

 それぞれの政党のかかげるマニュフェストに希望が持てるか否かではなくて、今に対する「怒り」の大きさが政党選択の判断の基準となってしまうのは、スパイラルに飲み込まれているだけで、本当は良くないとは思いますが、古い奴ほど、新しいものを欲しがるものです。新しいものなど何も無いことを知っていながら、なんとか新しいものを探そうとして、結局、そこには何も無かったりして、「昔は良かった」と懐古することは、不安からの逃避ともなりかねません。

 新しい時代には新しいものがあってしかるべきだと思います。そうあって欲しい。それは、有権者を惑わす小手先の施策での「新し感」ではなく、本物の政策であって欲しい。でないと、”どこに新しいものがございましょう。今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか”と自分なりの政治レトロブームを招いてしまうことになってしまいます。時代が変われば変わったで、「不安」が一杯なのであります。今回の投稿は、世の中を読み切ったかのようなことを言ってしまいましたが、稚拙にも、思いのまま筆を走らせてしまうとこうなってしまいました。申し訳ない。

※明治村で古い建物をたくさん見て来ました。アイストップの写真は旧帝国ホテルの中央玄関です。こういう芸術的な建物は古いと感じない。常に新しく感じる。

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