学歴詐称

 これほどまでに多様性の時代で、まだ学歴を気にしているなんて実にナンセンス。一時、学歴偏重をなくそうという動きがありましたが、今はまた学歴重視の社会に戻りつつあり、その傾向は特に若い世代で顕著になっていると聞きます。就職ならまだわからんでもありませんが、選挙という万民に与えられた権利において学歴を主張しなければならないというのはいかがなものだろうか。

 今年5月に、伊東市長選挙で初当選した田久保市長は、先月発行された市の広報誌に『平成4年東洋大学法学部卒業』と記載し、学歴を偽った疑いがあると指摘されました。いろいろと調べたところ、市長自身も認めていますが、『卒業』の確認はできず『除籍』されていたということです。さらに、本当のところは定かではないですが、卒業証書の文書偽造の疑いも出てきています。

 この問題への市長の対応について納得のいかない市議たちは、市長に対する『辞職勧告』と『百条委員会』の設置についての決議案を出すところまで来ています。学歴詐称も私文書偽造もどちらも犯罪であり、一公人である市長がそれを分かっていてやったというなら、これは大問題ですし、もし選挙においても、この詐称をしていた事実があったりすると、公職選挙法235条の「虚偽事項公表罪」にあたる可能性まで出てきてしまいます。

 これから参議院選も始まりますが、参議院立候補者の皆さんは是非、こんな問題を起こさないよう願いたいものです。ただ、今日私が言いたいのは、『嘘をついた市長を断罪せよ』ということではありません。こんなことで嘘をつくとか、嘘をついていなかったとしても、はっきりしない事実を本当のことのように言ってまで、学歴に拘る必要が市民の先頭に立って市長をやってやろうという人に必要なのかということです。

 卒業したかどうかを忘れていたなんて言ういいかげんな人が市長をすることを良しとするかしないかは市民の判断に任されるものだと思いますが、市長は学歴で選ばれたのではないことを明確にしておく必要があるということです。有権者は、「大学卒は市長になって良いが、高校卒はだめ」なんて誰も言っていないし、「どの大学なら良い」なんてことも言っていません。もっと総体的な素質を買って市長にふさわしい人を選んだはずです。卒業とまで書かれていなくても、東洋大学法学部と書かれていれば、卒業したものと勘違いしてしまうではないか、だから市長を選んだんだと本当に言いますか。いや、そんなことで選んだとは思えません。この市長なら市民のために一所懸命やってくれそうだと思ったから選んだはずです。

 それなのに田久保市長は、何を慌てているのだろうか。「本当に正直に申し上げますけれども、大学時代、後半は特にかなり自由奔放な生活をしておりまして、いつまできちんと学校に通っていたのかといわれると、正直『いつまで』ときちんとお答えができるような通学の状態ではなかったというのが、これは本当にお恥ずかしい話なんですけれども事実です」とか、さらに、「今と違って携帯電話もありませんでしたし、私自身がバイクに乗っていろいろな所に行ってしまって住所不定のような状態になっていたりとか、連絡が付かなかった状況もございます」と説明していますが、どうして、ここまで苦しい言い訳をして、なんとか大学に在籍した説明をしないといけないのだろうか。そこに拘る必要ありますかって言いたい。それこそ、スパッと『卒業したと言うのは勘違いでした。遊んでいて、大学へは行っていませんでした。大学へ行き始めましたが、あまりにも面白くなくて、人生経験と自分探しの旅でバイクにまたがり世界中を巡っていました』と言ってくれた方が頼もしい市長像のような気がします。今回のような右往左往するほどまで卒業に拘らないといけない大卒履歴は必要ないと思います。

 学歴が重要だと思い込み、学歴詐称をしたことをなんとか取り繕おうとするから、嘘の上塗りをしなくてはいけなくなって、小学生みたいな言い訳になってしまうし、なんか訳の分からない証書をチラ見せしないといけなくなってしまう。『学歴詐称』そのものより、そっちの方がずっと罪が重いし、信頼も地に落ちます。

 政治家に学歴なんて関係ない。要は『人』です。有権者は『嘘』を見抜くんじゃなくて、パフォーマンスやフェイクに騙されることなく、その『人』の本質を見る目を鍛錬しないといけません。と言うことです。

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