コロナで積読

 新型コロナウイルスの猛威が一向に収まらないですね。収まるどころか、ここ数日の感染者増加の状況を見ると、以前にも増して広がり、また大きな波が来そうな状況です。地震も、本震より余震の方が大きいことがあるし、津波も第一波が最も高いということではなく、第二波、第三波が高いことがあるということですが、なんと、微生物の繁殖拡大もそんなことになるのか。この感染の波は、人為的な要素が多く含まれるので、地震や津波と同じように並べて、波の動きを比べることには意味がないのでしょうが、私のような素人かつ凡人の頭では、どのデータをどう読めば事実が分かるのか難しすぎて、ビックデータを富岳(日本が世界に誇るスーパーコンピューターで「二位じゃだめなんですか」ではない奴)で解析する前に、「自然の猛威というものは、人類が抗おうが抗うまいが、次から次へとやってきて、人の想像を超えてくるものである」と結論付けたくなってくる。

 研究会の活動は、経済活動ではなく、農村づくりのお手伝いなので、私としては、今は最低限の行動範囲で活動することとし、こうして、せっせと机上で農村づくりに資する情報を執筆公表し、ホームページの運営を充実させていますが、それでも、時間的なゆとりもかなりできるので、少しでも多くの知識を得ようと、読書に時間を割くことにしています。

 農村づくりに勤しむ地域リーダーの皆さんは、「With-corona:ウィズコロナ」下においてどうお過ごしでしょうか。本業はリタイヤされた方も多いとは思いますが、農業に携わっている方も多いでしょうし、地元で多くの役職を持ち、結構忙しくされている方もいらっしゃると思います。「東京や大阪などの都市圏とは感染者数の桁が違うし、我が県は問題ないだろう」と思っているかも知れませんが、絶対にこの新型コロナウイルスを侮ってはいけません。人が環境に働きかけた結果の末に、その環境下で発生した自然の猛威は、何度も人類へ襲い掛かる容赦のない猛威であると受け止めて、最大限の注意を払って生活しなければなりません。地域の将来のために、地域の子供たちの未来のために奔走されることは、喜びであり、生き甲斐となっていて、今、なんとかこの活動を前進させたいと思われるでしょうが、ここは是非、ご自愛し、耐えていただきたいと思います。

 農村づくりにとって、動けないことがそんなに悪いことでもありません。ウィズコロナ下で、自宅にいる時間は確実に増えるでしょうから、是非皆さん、その時間を読書に割いて、今のうちに、あなたの地域の農村づくりの理論武装をしておきませんか。読書による知識の蓄積も、農村づくりの推進において、大切な過程です。

 最近、若者の読書離れが進んでいると言われますが、実際には大学生以上に読書離れしているのは高齢者だそうで、ちょっとデータは古いですが、25年度に行われた文化庁の調査によると、1ヵ月に一冊も読まない人は、20代は40%で、60代は47%、70代になると59%にもなり、寧ろ、高齢者の読書離れが進んでいるのだそうです。

 私も現役時代と現在の読書量を比べるとかなり少なくなったと思います。読み始めてもすぐに目がしょぼしょぼしてきて、老眼鏡は疲れます。そこで定年後、よし、もっと読書をするぞと意気込んで、「世の中の字は小さくて読めな~い!」っていきなり渡辺謙さんが怒りだすあのCMで有名なハズキルーペを買って、視覚調整機能に良いと言われるブルーベリーなどのアントシアニンが入ったサプリメントを飲んで臨みましたが、確かに読みやすいし、なんとなく、遠近調整が少し改善したようには思いますが、若い時のようにスラスラと読めるようにはならない。これは目の不調だけが原因ではなさそうです。少し脳の柔軟さがなくなってきているのでしょうか、すんなりと物語や論理展開が入っていかないものもあります。特に、物語を読んでいて難儀なのは、人物の名前が覚えられなくて、しばらく出てこなかった名前などが急に出てきたりすると、これは何をした人だっけと、少し前に戻って、確認しなければならなくなる。

 本を読んで、知識を得たり、考えたりすることは、今抱える問題を解決するためにはとても大切なことであると、皆さん思っていらっしゃるとは思いますが、だんだんと読書が億劫になってきたのも事実ですよね。何の苦も無く読書ができる方は素晴らしい。是非、ずっとその習慣を続けていただきたい。私は、最近はかなり読破できなくなった本が積み重なり、いわゆる積読(つんどく)が増えてきています。

 さて、農村づくりを進めていて困った時、壁にぶつかった時、皆さんはどうやって、その解決のための知識を得ていますか。おそらくは、地域リーダーの方で、専門書を紐解くという方はそれほどいらっしゃらないと思います。多くの方は新聞やテレビの特番などで知識を得ているはずです。また、学者や研究者、専門家の研修会やセミナーに参加したり、シンポジウムを聞きに言ったりして、彼らの言葉の中に、ヒントを見つけ、大切な一言だけを印象に残し、頭に焼き付けて帰り、地域の他の役員や同僚にそのことを話して、知識を広め、解決策を模索していくのだと思います。中には、さらに、その先生に会いに行って、教えを受ける場合もあると思いますが、それでも、その先生の書かれた専門書を読むというところまではなかなか行き着かないと思います。つまり、読書による知識習得のハードルはかなり高いということになります。

 今日の私の、皆さんへの提言は「積読のススメとその読み方」です。

 有識者の経験やノウハウを耳で聞くことも大切ですが、それ以外に、本という情報源も大切にしてほしいということです。インターネットもありますが、情報が断片的な場合が多く、その知識に至った筆者の想いを知り、知識の深さを共有するためにはやはり、「本」です。

 「本が大事なことは分かっているよ。でも、その本を読む気力が出ないから困ってるんだ」と言いたい方、あなた、今そう思っていますよね。

 わかりました。大丈夫、これが答えです。無理に読む必要はありません。ぺらぺらっとめくって読んだ気になること、最初の1ページから読む必要もありません。なんのことか分からなくてもいいんです。どこか一つだけ、なんとなく印象になる言葉を見つけたら、その章や節だけ読む。そして、後は気になったり、たまに開いて読むこととして、積んでおいてください。

 読まない本を買ってきて、机の片隅に積んでおくのも読書の一つで、これを「積読(つんどく)」と言いますが、読書はここから始めましょう。「読めない」と初めから諦め、手を触れなくなったらお終いです。

 イエール大学の研究によれば、本を読む人は本を読まない人に比べて、なんと「約2年間長生きする」という結果が出ています。

 ストレス解消の効果も高い上、目で文字を見て、意味を探し、文脈を解釈し、感情移入するという脳の様々な部位を使う行為であることから、脳全体を活性化させることから、認知能力の維持・回復にも効果があると言われています。「歳を取ったら本を読め」です。

 本は情報ではなく、考えるヒント集なのです。ヒントは閃きですから、本を読んだからと言って、急に知識や知恵が付いたりはしません。何かのタイミングで、本の中の何かの言葉の端くれに引っかかった時に、活路が見えてくるものです。是非、気になる本が新聞の広告欄で見つかったら、買っておき、積んでおきましょう。そこからが読書です。

 最近、私はスマホにダウンロードして読む電子書籍を使うことが多くなったので、この積読感が薄れてきています。本がダウンロードされたら、スマホが少し重くなる機能とか、本体の色がだんだん濃くなる機能とか無いものだろうか。

※定年退職の記念に3冊本を出してみましたが、今となっては人に読んでもらうのが恥ずかしい。私の本だけは読まないように願います。

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