幽霊・妖怪、その類・・・(その一)

山下裕作(熊本大学)

 こんにちは、熊本大学で民俗学を教えている山下裕作と申します。

 変な題目をつけましたが、まあ、民俗らしいと言えば民俗学らしいですね。こうした摩訶不思議なもの、役に立ちそうにないもの、コンプライアンスに引っかかりそうなもの、くだらないもの、等々の事象を対象にするのが民俗学であると、そういう印象が、最近では一般的であるようです。

 熊大の学生たちなんかもそうでして、これに漫画やアニメが民俗学の対象として入ってまいります。まあいいですけどね。僕も嫌いじゃないし。

 でも、ですね。やっぱり不満は残ります。

 そもそも民俗学は歴史学に近しい学問。多くの場合は歴史学科に所属します。大学に入る時、歴史学を専攻したいという学生は、すでに高校時代から概ね自分の研究したいことを決めてきます。歴史を学ぼうという学生が、日本史にするか、欧米史にするか、東洋史にするか、大学に入ってから決めようなんて話は聞いたことがありません。民俗学も本来そうでした。私の世代の民俗学者たちは、概ね高校時代に民俗学に興味を持ち、民俗学を学ぶために大学を選び入学してくる。そして主体的に4年間、大学院を入れるとそれに+2年から8年間、民俗学を自ら学び修めてきた人たちです。筋金入りです。

 なんでそんな筋金がはいるのか?本当をいうと僕ははっきり分かりません。何故かといえば、私の専門は元々東洋史で、東洋史をするために大学に入ったものですから。民俗学の筋金が無いのです。でも、民俗学を学ぶ先輩や同級生や後輩たちと、酒を飲んで内輪でもめたりしているうちに、なんとなくわかってきました。民俗学を志向する彼らは、我々実証史学よりも、深く真実を求めている。そのために自由であろうとしている。定理や、法則や、理論や、統計といったような、一様に科学において権威をもつ信仰を相対化し、その権威の陰に隠れて見えない真実をつかみ取るべく学問的な身体能力を鍛えあげようとしているのです。

 実にごくろうな限りです。感心しました。私よりも15とか20歳くらい年寄りの先生方は、現在でも、そうした情熱をもって学にあたられているので、その異常な体力には恐懼するしかありません。

 しかしながら、その下の世代になると、だんだんに様子がおかしくなってきた。徐々に虚弱になっていく。今の私たちの世代になると、学生の時のあのソフトボール大会で見せた元気はどこ行った?といいたくなるような元気のなさです。

 多くの先輩・後輩・同級生が、民俗学内部のみに通じる理論やら学問の枠組みを構築しようと躍起になっている。民俗学を、文化研究を行う独自の科学として、周囲に認めてもらおうと、科学として権威ある信仰を作り上げようと、努力されているように見えます。全体としてあんまりうまくいってるようには見えませんが・・・。

 これはこれで立派な試みですが、なんだか迫力が無くなっちゃったなぁ、と思います。偏差値が割と高くて、知的にも物理的にもやたら絡んでくるので、(通常の学問からすると)道端で会うのを避けたい面倒くさいフリーダムヤンキーみたいな奴だったのに、理屈っぽくて面白くなくて、面白くないうえに役にも立たない小柄な後輩君みたいになってきちゃってるようなんですよ。ほんとおもろない。

 僕は今、民俗学に所属します。東洋史を12年間やってきたのにもかかわらず、です。なんでそうなったかというと、ヤンキーになりたかったからではありません。まあ確かにヤンキーと一緒にいた方が楽しいだろうなとは思いました。ですが、実は、もっとまともな理由があるのです。それは、もっと前があるということなのです。民俗学とはそもそも何か、その一番最初があるからです。

 日本民俗学の祖は、多分ご存じだろうと思います。柳田国男(1875~1962)です。実はこの柳田国男、農商務省農務局農政課に所属する農務官僚でした。大学で学んでいたのは東京帝大法科大学で農政学、今風に言えば、東大法学部で農業経済学・農村計画学を学び修めたのです。因みに学生時代、親しかった後輩は河上肇(1879~1946)、日本を代表する実践的マルキストでありますが、その河上をして柳田先輩は(マルキストではないが)過激すぎる(ケンカばっかりしてる)と言わしめたほど情熱的な農政学者でした。

 そしてまた民俗学の仲間というか、民俗学の一領域と言っていいものか少し迷いますが、とにかく血を分けた兄弟分に民具学という学問分野があります。この学問を打ち立てたのは渋沢敬三(1896~1963)です。今度の一万円札になる渋沢栄一の孫で、日銀総裁や大蔵大臣を務めた渋沢財閥の統領だった方です。ニコ没(ニコニコしながら没落する)といって、戦後自ら財閥解体を行い、戦後日本の経済を支えました。

 その渋沢敬三に師事していたのが、宮本常一(1907~1981)です。この宮本常一こそが、民俗学を庶民の歴史学と位置付けた大学者ですが、その歴史をアクティブに現実世界の問題解決のために活用し、積極的に政治活動も行って、各地に林道を敷設し、離島振興法の制定に寄与し、瀬戸大橋はじめ島しょ部に橋を架けました。高度経済成長に伴う地域社会の疲弊を解決するため身を粉にして働きました。

 その他にも、アイヌ民族の自立と、アイヌ文化の保全・伝承のため、旧土民法を廃止せしめた参議院議員萱野茂(1926~2006)なども民俗学者です。

 萱野の場合は、今風に言えばマイノリティーの問題に取り組んだ研究者です。一方、柳田から宮本のやってきたことは、農林漁業や農山漁村の経済問題を解決するための学問研究に取り組んできた、と言っていいでしょう。アイヌ民族の生活問題も広く言えば地域経済の問題に入りうるかもしれません。民俗学は、その根本において、自由に、そしてユニークな方法で、地域経済の問題点を解明し、その問題解決を図る経済学の一領域であるともいえるのです。

 ただ、本稿の題目で掲げた本題に関しては、やっぱり不安に感じる方が多いでしょう。だって「幽霊に、妖怪に、その類」ですからねぇ。経済なんかぁ?と思われているでしょう。でもですね、確かに『時代ト農政』とか『産業組合論』とか書かれていた喧嘩っ早い農政学者の柳田国男大先生が書いた、民俗学の初著作、日本民俗学(諸外国のフォークロアとは異なる学問と僕は思います)という独自学問の最初の著作物ともいえましょう。それは『後狩詞記』(1909)です。

 これは宮崎県椎葉村と言う美男美女が多い(山下私見)、山深いけどなんだか雅(みやび:山下私見)な、すごい僻地(山下私見)における、イノシシ狩りを中心とした生業文化(現在で言うところの経済伝承)について記した名著です。民俗語彙研究と言う独自領域(かつ民俗学では主流領域)誕生の契機にもなった、スーパーな名著なので、経済学と言ってしまうと異論ある先生方が民俗学内で多々おられることと思いますが、まあ山下よ、ギリギリ許してやってもよかろうよ、というレベルでしょう。多分。

 ですが、しかしですね。その次の民俗学の著作物は何か、ご存じですよね『遠野物語』。これは柳田国男が1910年に最初自費出版で出版したものです。読んだかどうかは別として、この遠野物語と言う書名を聞いたことがないという人は、恐らくいないでしょう。自費出版で出されたものが、桑原武夫や宮沢賢治はじめ様々な文化人に読まれ、多くの読者に支持されて、ついには「民俗学の金字塔」とまで言われるようになりました。現在でも、岩波、角川、新潮、等々各社によって文庫化され、ついには京極夏彦という現代の人気作家によって現代語訳版(原典は文語調で書かれています。それが実に味わいがあるのですけどねぇ。現代語訳にされるとちょっと・・・)が出されるという、現代でも高い評価をうける著作です。

 読んだことはありますか?民俗学の金字塔。

 読まれたら少々不思議な気分に陥ると思います。この遠野物語、中身は「こわい話」「不思議な話」「変な話」の羅列なのです。これがなぜ金字塔?というか学術書?なのか、多分思い悩む人は多いと思います。ですが、この物語の舞台、現在の岩手県遠野市というところは、民話の里と言われている。これは民話を収集した書籍なのだ。だから学術的意味があるのだ、と無理やり納得することでしょう。だって、遠野物語そのものが、もはや多くの人たちの支持を受けてきた、一つの権威でありますから、ちょっと前に流行った「忖度」をして無理矢理納得することでしょう。

 しかしながら、民話を集めて並べて、350部、自費出版でドン!。

 それで金字塔たりうるでしょうか?

 金字塔とはピラミッドのことですね。金字塔と呼ばれるのは、それが歴史的に価値のある記念碑的な創造物であるからです。民話集ではだめですね。必ずやほかに意味はあるはずです。

 人間、大人になってしまうと何故か時間も無くなり、体力も衰え、酒量ばっかり増えて妄想はするけど、大切な想像力は弱まってしまいます。怖い話の羅列につき合う時間が惜しいし、その時間に意味があるのか?付き合う前に考えてしまいます。ですが、一度、この遠野物語の羅列に浸ってみてください。じっくりと。できれば部屋をうす暗くして。

 すっかりと浸ることができたら、きっとこの遠野物語の本当の意味が分かるはずです。

 その「ほんたうの意味」は、農山漁村の意味に、エーテルのごとく及び繋がっていきます。そして農山漁村や、農林漁業の振興に、手すら付けていない豊かで多くの手立てが、目の前に、見えにくいけれども、あるのかもしれない、と感じさせてくれます。遠野物語の出版から早120年。その意味を理解している人々も多くいらっしゃいました。その方々は、農山漁村で暮らす、学歴はないけれど、高い知識欲と教養を持つ壮健な若者たちでした。大学に民俗学の講座ができるより前、民俗学を支えてきたのはそうした若者たちです。そして民俗学も、村(故郷)を豊かにしようと、奮闘する若者たちを支えてきました。そうした民俗学を復活させなければならないのですが、それはまた別のお話です。

 次回は、怪談好きの僕が、農山漁村で聞いたり、体験した「村の怪談」をお話しします。いよいよ「幽霊、妖怪、その類」の本番です。

 あっ!『遠野物語』の意味!? うーん。頑張りますが、うまく説明できなくて、ただのお化けの話になってしまったら、すみません。ではまた今度。

※写真:水神さんのお飾りが取水ゲートに施されていた。(菊池川)

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