幽霊・妖怪、その類・・・(その二)

山下裕作(熊本大学) 

 僕は民俗学で幽霊とか妖怪とかの研究(口承文芸研究)をしているわけではありません。ですが、小さなころから怪談が非常に好きでした。小学校の頃から給食の時間に怖い話をして同級生をふるいあがらせ、女ナチスのような教員によって実施された「クラスつるし上げ大会」にて、毎度毎度、給食時間にマナーを守らない悪玉の筆頭にあげられておりました。あれ以来、ファシズムとかマナー(自粛警察)とかが大嫌いです。

 その時話していた怪談なんて実に些細なものでした。中岡俊哉や新倉イワオの受け売りです。その後、大学に進学したのですが、その大学が問題でした。暑がりの僕はひたすら北を目指しH大を志望していましたが、数学という難敵の前に、少し南へ転進。岩手大学に進学しました。勉強以外は登山とサイクリングと酒飲みしかすることがない、素晴らしい大学です。盛岡市は市内(はずれの方)で熊が鮭を採ったりしていました。僕も市内(はずれの方)でカモシカに轢かれた経験があります。そこで僕は4年間、1部屋4人~3人の寮で暮らし、毎晩のように寮生同士で飲んで騒ぎ、大学にはちゃんと行っていましたが、行かない日も人並みにありました。そんな行かない日は、ワイルダムパスハンター(レアすぎて誰も知らない)という自転車に乗り、奥羽山脈やら北上山地やら、知らないところにサイクリング(田沢湖とか、色々)しておりました。心から愛すべき母校です。

 熊大生よ!学校来ない日があっても良いのだよ。でもそんな日は山や海へ行け!引きこもってゲームとかすんな!

 岩手大!所在地は当然日本岩手県!(あー!イーハトーヴ!)。小松左京の日本沈没では最後まで海の上に浮かび続け!現実世界ではコロナに最後まで抵抗し、頑張りぬいた!そんな岩手県です。そこには遠野市があります。僕らは遠野物語の空気をなんとなく間近に感じながら、若い想像力を膨らませておりました。そんなところですから、妖怪だって、幽霊だって、そんな類の奴らなら、しこたま現れてくれました。

 例えばです。家庭教師先の少年は、次のような体験をしています。

 「岩手県都南村に住んでいる中学二年生のS君、親戚の果樹園で袋がけの手伝いをしていました。背が高い彼は、ひょいひょいと、脚立を使うまでもなく器用に袋をかけておりました。慣れた作業です。親戚の叔父さん叔母さんが、一休みしよう、冷たいものあるよ、と言っています。薪用の丸太が小積みになっている先に、いくつかその場で手を伸ばしても届きそうにない実がついていました。そこが済めばひと段落。えいやっ!と小積みの上に乗った時、丸太の一本が不自然に暴れ出し、ヒョイと跳ね起きました。あれれ!と、呆気にとられていたら、その丸太、縦のまま飛び上がり、移動します。

 ピョーン!ピョーン!ピョーーン!!

 飛ぶごとに縦に一回転しながら、勢いをつけて高くなり、3回目の跳躍で、果樹園に隣接する民家の納屋の屋根のてっぺんに、すくっと着地!もちろん立ち上がったままの着地です。ごく僅かの間があって、微かに丸太はみじろぎすると、ジリジリと、ジリジリと、ゆっくり回転し始めました。振り返るような回転です。約半周、すっかり振り返ると、かぱっ!と、音がするような勢いで大きな一つ目を見開いた!丸太の真ん中にぽっかり開いた大きな瞳。その瞳で、ジッとS君を見据えると、少し前のめりに、上目遣いで睨みはじめ、そのままピョーンと屋根の向こうに跳ね飛んで行ってしまいました。

 その間、その不思議なモノがたてる音のほかに音もなく、飛び去った後、アイスあるよーと、遠くで呼んでるような叔母さんの声で我に返ったのだとか。」

 妖怪は実在しました!

 その他、寮の先輩が遠野の山に登山して、今はもう無い避難小屋に宿泊した時のことです。山の斜面を削って作ったような避難小屋で、屋根と斜面が一体化しているような感じだったのですが、深夜、何者かが山頂方面より足音高らかに下ってきて、そのまま屋根の上にドンドンドン!先輩が寝ている真上に来ると、バリバリバリィーっとスレートの屋根を剥がしにかかってきます(音)。あわわ!と外に飛び出してみると誰もいない。ただ月が煌々として、濁りの無い空気の中、月影もまっすぐに差し入れて、ただ黒々とした闇をこさえているだけでした。周囲は無音、こわいなー、寝ぼけたかなぁー、と思って再度横になると、「ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!(足音)」「ドン!ドン!ドン!(屋根に上って来て足踏み)」「バリバリバリバリィー!!」と賑やかなことこのうえない。よくよく見ると屋根を剥がしにかかってくる奴の重みで、スレートがワンワンたわんでいる。ええい!眠れんっ!と、そのたわみを内側から思いっきり押し返したり、つついたり、それでもかまわぬ奴なので、デッキブラシを構えて外に飛び出すと、月影煌々でシーン。胆力のある先輩は朝まで見えない敵と戦ってへとへとになっちゃったとか・・・。(ほんとかなぁ?)

 ほらね。妖怪は実在して、襲ってくるのですよ。よくわからない襲い方で。

 他にも幽霊とかも出ていました。僕だって経験したことありますよ。そりゃあ。

 特にその寮がなんとも激しかった。でも、まあ、あんまり幽霊見た見た言うと僕の研究者生命にも影響が出そうなので、いつかお会いした時にお話ししましょう。

 またですね、このサイトの主催者である山本徳司先生だって、名古屋のはずれのホテルで幽霊に襲われています。いびきがあんまり大きくてうるさかったのでしょう。先住者の元人間(故人)が腹をたてて襲ってきたみたいです。返り討ちしたらしいっすよ!徳さん、すげえっす!。

 そしてまた、ですよ。山本先生が茨城県の某農村で調査していた時、田んぼに名前がついていることはままあるのですが、「坊主田」という田んぼがあったそうなのです。昔々に旅の坊主が行き倒れたりしたのかな、と思ったそうですが、それが多分まさに全くもってそのとおり、行き倒れて息絶えた本人が出てくるんだからして、間違いない。生きてそのへん歩いてる人に聞いても由来は詳しく知らないけれど、ファクトとしての「坊主田」なのであります。その田んぼの脇には自動車も通る舗装道があるそうで、そこを車で通り過ぎようとすると、その瞬間にチラッと!

 坊主ならぬ中坊(中学生)やら、喧しい小学生の男子やら、短ランや長ラン着た高校生やらが、通学や、部活や、塾や、ザリガニ取りや、タニシ拾い、カツアゲや、タイマンやらのため、そのへん自転車でかっ飛ばしてると、チラッと!

 チラッと!ではあるけれど、確かにクッキリ!はっきり!しっかり!と、田んぼの中に立つお坊様の姿が見えるんだとか。

 そんなにはっきり存在が確認できるのに、「あぁあぁん!」と、まともにガンくれっとぉ!(40年前の茨城県の言葉:「ちゃんとまともに見ると」という意 注責:筆者[茨城県新治郡桜村出身・非ヤンキーの竹高卒])誰もいない、ただ青かったり、黄金色だったりの稲葉や稲穂が風にザーッと揺れているだけなんだとか。

 みんなが見てるんだそうで、全員一致で「坊主田」という名前に決定!見事な合意形成です。

 いやー。楽しいですね。妖怪とか、幽霊とか、それより強い先輩や山本先生とか、そいつらにビビった、S君とか、ヤンキーとかとか。みんな怖かったでしょうけど、楽しそうだよな。そうは思いませんか?

 村に暮らす人同士、集まったらどんな話をしてきたんでしょうね。若い兄ちゃんたちならば、結構な頻度で若後家さんの話とか、年頃の娘さんの話とか、夜這いしたらどんなかな?っていう妄想世界とか、身近なことからシュミレーションするスケベイな話なんて、当然していたことでしょう。

 或いはまたまた、こんな感じ。

 「おい、麹あるよなぁ、こっそり残しておいた米蒸かしてドブロクにしちまおう、税務署の奴にばれるとやばいから、村はずれの大人があんまり行かないあの辺で。」

 「でもさあ、あすこは大人はいかないけど、ガキどもは魚採りやら川遊びに行く途中で、寄り道したりしているぜ。」

 「そうかい、だったら幽霊が出るって話してやろうじゃないか、いい脅しになって、寄り道なんざしなくなるだろう。」

 とかとか、しばらくの間は効果もあったんだけど、子供たち、幽霊見たさに肝試しに行っちまって、すっごい恐ろしいけど何だかいい匂いがする・・・。って、掘立小屋に侵入し、中の菰をはいでみたら、10くらいの甕があって、えもいわれずの良ーい匂い。飲んでみたら甘くてうまい、もっと飲んでみたらいい気持ち、やれそれもう一杯ってなったら、眠りこけてしまって、村の大人たちが総出で山狩り、なんとなくピンときたお兄ちゃんたちが、ドブロク密造場所に行ってみたら案の定!急いでガキども回収して、神社の祠の前で水飲ませて正気にもどして、あれ変だなってさせて、神隠しから返してもらったことにして一件落着!

 そのすぐ後に、お兄ちゃんたちは、ほんとに人の行かないところへドブロクを移そうと、夜の夜中にヒイヒイ言って夜道を辿り、山中の古墓の方に甕を担いで登って行ったとさ。そしたら、そこに!ボサボサ髪を顔の前にどっさり垂らした白い女が、いきなりドロンと表れて、けたたましい声でこっちを指さしながら笑ってる。本物が出ちゃったよ。転がるように山を下って降りてきて、無事だったのが甕2つ、急いで飲んだら甘酒だった。もうちょっと工夫して、ちゃんとドブロクにしなくちゃね、とかとか。

 きっと、そんなことして、そんな話をしていたのではないですかね。

 地域の農地面積やら、人口やら、家畜の飼養頭数やら、毎度毎度会うたびにそんな話はしなかったことでしょう。村には空気がありますね。それは窒素分が7割超えてる空気ではありません。村は意味ある空気によって満たされています。私は実に空気をよく読む人間です。その空気は、つまらない会議に集まった人たちによって醸し出されて意味付けされます。村の場合、去年一昨年できたばかりの村なんてありません。自分がいて、親がいて、親の親がいて、親の親の親あたりから草葉の陰にいらっしゃる。草葉の陰ってのは、さらにその親親で、また大変に込み合っている。そんな人たちが醸し出した空気こそが村の空気でしょう。その空気に満たされている意味のことを、村の人達は、幼い子供を含めた村人同士でよく話していたんだと思います。それこそが妖怪であり、幽霊であり、その類だったのです。そして、それをすっかりマルッとそのまんま!話してくれたのが佐々木喜善という土淵村出身の若者で、それを聞いたのが農政学者の柳田国男であったわけです。柳田は喜善が語る話の中に、村人にとっての村の真実、いわば郷土人の共有する心(心意現象)が確かに存在するとはっきり感じたのでしょう。まさにその心はエーテルです。濃厚な意味を持つ空気として村の中を満たしています。農業も漁業も林業も、そのエーテルのような空気の中で営まれる生業であり、その生業を含めた村人の暮らし全般が村の空気に新しい濃度を加えていくのです。はっきりとそれをつかみ、皆に分かるような形にすることはとても難しいことです。でもその一端を確実にとらえ、目に見える形にして、私たちの前に、どうだい?おまいらにわかるかい?と、披瀝してくれたのが、遠野郷土淵村出身の佐々木喜善の語る話を、感じたるままに筆写した『遠野物語』であるわけです。

 遠野物語で標本として採取された「エーテルのような村の空気」、別言すれば村に住む郷土人たちの心(心意現象)は、本来どこのどんな村々にも一定の濃度をもって存在します。一度、都会の偉い先生方から持ち込まれた数量的なトリックを交えた言説、過疎化とか、高齢化とか、限界集落とか、消滅可能性とか、まあわかりやすいし、反論する気にもなれないような、そんなどこの村でもあてはまる、どうでもいいような話から離れてみたらどうでしょう。そして、あなたが住む、あなたの村の中にのみ満たされている特有な空気、みっしりとした空気のような郷土人の心に、意識を向けてみてはいかがでしょう。生きてる人が減ったって、かつて生きてた住民たち(祖霊)や、ずっと長くそこにいて、今だってこっちをじっと見ている自然たち(妖怪)、そして何だかよくわからない有象無象(その類)が、村を賑わしている別次元の一面を見出せるかもしれません。そして、その妖怪、幽霊、その類たちは、いままで私たちが気が付きもしなかった村の宝を教えてくれるかもしれません。

※写真:阿蘇高森町清栄山の茅場

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