日本デフォルト

 年末連続ブログ2日目です。今日もよろしくお願いします。

 真山仁さんの小説「オペレーションZ」を読んだ。国債頼みの国家予算を打開しようと、若き総理が、国家歳出半減を目標に、エリート財務官僚たちを中心にしたタスクフォースが奔走する物語だ。日本デフォルトはすぐ目の前の未来ではないのかと思えるほどの迫力でした。

 財務省のホームページには、「外国格付け会社宛意見書要旨」が掲載されており、それによると、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。」と明言しており、その理由を、「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されていること。また、日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高であること」を上げています。財務省としては様々なリスクシミュレーションも行っているでしょうし、多くの経済学者や評論家が、デフォルトはあり得ないと言っているのだから、先ず問題はないということかもしれません。

 いやしかし、そういうことじゃない。経済的に健康か不健康かという問題ではなく、無いものから有るものを作り出すということは、国家の生きる道としてどうなのかという問題です。まったく無いというのも困りますが、それなりに裕福な国なのだから、国民の「無い我慢」と「有るに変える努力」まで奪ってはいけないのではないかと思います。

 デフォルトとは、一般的には債務不履行のことを言いますが、国家財政破綻もデフォルトという。よく覚えているのは、ギリシャ危機の時だ。IMFに15億ユーロの支払いができなかったことで、もうちょっとで、ギリシャは破産するところでした。まぁ、なんとか遅延で処理されたと記憶していますが、デフォルトは決して、遠い国の話ではないのでしょう。自治体ではありますが、実際に日本でも、夕張市が2017年にデフォルトして、未だに年間10億円の歳入に対して、借金は300億円を抱えているみたいです。御存じでしょうか、夕張市のホームページには借金時計なるものが表示されており、常にあと借金がいくら残っているのかが、時々刻々と表示されています。実に生々しくて、ここまでせねばならぬのかと、痛ましい限りです。

 12月21日に閣議決定された2021年度の当初予算案は、毎回そうなので、もう慣れてしまいましたが、台風じゃあるまいし、また今回も「過去最大」だ。朝日新聞の2面なんか、「膨張予算歯止めなし」との見出しでした。

 私は日本経済が何も分かっていない人間であります。それでも、100兆円を超えたところで、そろそろ打ち止めにしないとまずいのではないかと感じていたのですが、打ち止めどころか、3年連続の100兆円超えで、まだまだ増えて今回は106兆円というから驚いてしまいます。歳入が63兆円しかないのに、あと43兆円を借金、いわゆる国債だ。もちろん、今年の予算案はこれまでとは別格であると言えないこともない。新型コロナ対策にかかる経費は、どれだけ必要かよく分からないから、あれもいるだろうこれもいるだろう、おそらくは、あんなこともあるだろうと、吟味もできずに5兆円予備費が積みあがっている。医療関係だけに限定されてというなら理解のしようもあるのだが、とにかく、分からないからいろいろ物入りだよって、どうなのか。いくらコロナ禍だからって、我が家の家計じゃあるまいしと言いたい。我が家でも、マスク、石鹸、アルコールは、前年比150%の計上であるが、借金するところが無いので、交際費からの捻出でゼロシーリングなのに。日本経済としてどうなのかとか、本当にデフォルトは起こらないのかということに対して意見は言えませんが、一つ言えることは単純です。

 月1000円のお小遣いをもらっている小学生が親におねだりをしている。「ぼく、一所懸命勉強していい成績とるから、ゲーム機買うお金3万円前借りさせて」と、親の答えは大方こうだ。「いい成績とったら、ゲーム機代あげるから、先ずは勉強しなさい」往々にして、ゲーム機を先に買ってしまうと、結局はゲームばかりやって、成績は上がるどころか下がってしまったりする。しかも、子供にとっても、親の財布にお金が入っているから言える台詞で、そもそも財布にお金が入っていなければ、親も借金してまで「ゲーム機代前借りさせてあげるから、勉強がんばりなさいよ」とは言えない。

 ゲーム機とコロナ対策費は違うし、国家予算と家計とは違うが、問題はそこではない。無いものから有るものを生もうとすると、必ずどこかで破綻するし、努力が消えてしまうということだ。国は借金しても大丈夫ということではなく、借金という安易な道に填まってはいけないし、努力の先に道は開けるということだ。苦難の道があまりにも苦しい時は、それを支える資金が必要だが、努力分まで資金を充填する必要はないはずです。

 歳出で省庁が積み上げて来る内容を見てみれば、努力しなくて済む資金までもが上乗せられていないだろうか。どれも大切な施策で、どれにも費用がかかることはよくわかるが、それを抑えるのが政治家なのではないのか。なんとなく、官僚たちが、「今年は楽だったな。ボーナス減ったし、こんなもんでしょ」と微笑んでいるような気がするし、計上された事業は事業で、何がなんでも消費してやるぞと、ほくそ笑んでいるだろう。

 私ごときが、あれやこれやと、各省庁の出してきた予算にいちゃもんを付けるのは良くないが、景気対策として公共事業費も上乗せだし、細かく見ると、「インバウンド復活に向けた基盤整備」なんてのに650億円もついているし、低炭素カーの購入費補助に155億円なんてのもあるが、外国人が本当に来るのかどうかわからないのに道路整備するのかとか、環境に意識の高い人を育てていけば、電気自動車だって黙っていても買う人は買うだろうし、何かおかしい。使わなければ、さっさと返せよ。

 ところで、2025年度までに国の基礎的財政支出を黒字化するという目標は、いったいどうなったのだろうか。基本はスクラップ&ビルドで、国民の立ち上がる努力部分までを骨抜きにしてもらっては困る。本当に困っている人にお金を回すことが重要ではないだろうか。

※どこにも行けないので写真のストックが無くなってきた。写真は20年も前の近江八幡。おだやかな景観だったなぁと思い出す。

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