仮設住宅から避難?

 被災者のための居住支援対策として建造された仮設住宅の大雨による災害のリスクについて、NHKが能登地方の9つの市と町を対象に6月中旬から下旬にかけて取材したところ、建設予定を含む159か所のうち、42%にあたる67か所がハザードマップなどの洪水の浸水想定区域(想定最大規模)や、土砂災害警戒区域、それに、土砂災害特別警戒区域のいずれかに該当することが分かったというニュースを聞いた。とてもショッキングなデータです。

 順番待ちでなかなか入居できなかった仮設住宅にようやく入れたというのに、その場所もたいして安全な場所ではないということです。被災者からしたら、やっと少しは静かに暮らせると思ったのに、まだ心が休まらないのです。なぜこうした場所が選ばれるかについての理由は様々あるのでしょうが、基本的には、安全な場所はすでに居住地になっているので、用地を確保することが難しいからのようです。安全な場所が見つかった場合でも、今度は買い物や行政サービスの受けにくい不便な土地となってしまい、そんなところでは被災者も暮らしていけないので、買い物がしやすくて、病院が近いところをと希望すると、自ずとハザードマップの警戒区域等の条件不利地域になってしまうということらしいです。担当者からすれば、プライベート空間が確保されるので、避難所よりはマシではないかぐらいの認識で建てているような気もしますが、なんだかそこにリスク回避の計画性がまったくないような気がするのです。そして、継ぎ剥ぎだらけの対応のまま、再度来るかもしれない仮設住宅からの避難については、情報共有などのソフト対策で乗り切り、行政が対応できない不甲斐なさを「がんばろう」の精神論と精神科医などの仮初のコミュニケーションツールで補い、災害関連死のリスクを回避するしかないみたいです。一所懸命、誠意をもって取り組んでいる役所職員や関係者には失礼な言い方になってしまいましたが、それほど外れてはいないような気もします。決して彼らが悪い訳ではありません。国がもっと災害大国としての認識を強く持って、新しい先導的な対策を生み出していないからいけないのです。

 東日本大震災の時も感じたことですが、被災者への対応というのは、いつも問題が起こってから手をつけるために、どうしても条件が悪くなります。かといって、災害が起こる前から仮設住宅を作っておくという訳にも行かず、結局はなるようにしかならないということになるみたいです。いくら注意喚起をしたところで、災害リスクの大きい場所である事実は変えられないため、仮設住宅に住む被災者は、再度避難する準備を整え、いつでも対応できるように身構えておくしかないということになります。でも、そんなストレスのある生活も結構しんどいものです。

 「やむを得ない」と言ってしまえばそれまでで、それは考えたことにはなりません。災害ストレスによる関連死を減らすために、もっと根本的な解決策は無いものだろうかと思います。

 都市部では公共施設の多目的化が進んでいるようなので、すでにそういう施設もあるのかもしれませんが、例えば、役所の新庁舎建て替え時に、2フロアーぐらいは定住スペースに直ぐに変えられるような多目的空間に建築しておくことはできないものでしょうか。なんとなくですが、役所の新庁舎を建てると、職員が前よりゆとりあるスペースでのんびり仕事していて、まるで東京六本木のIT企業のオフィスかと思えるような場合があります。役人もサラリーマンではありますので、ちょっとでもお洒落な良い環境で働きたいでしょうが、公僕でもありますので、災害が無い時は、役所の仕事場や行政サービスの空間としてゆとりをもって使って良いし、更に余っている部屋は宿泊施設として経営しても良いが、被災時はゆとり部分の空間をすぐに開放して使えるようにして、自分たちは狭くなるが我慢して、部屋を仕切れば、水道・ガス・電気の設備が揃った一戸の1LDKの居住地が数十戸はすぐに確保できるとかならないものでしょうか。小中学校の校舎などもそうです。体育館や校庭を避難所にするというよりは、すぐに居住空間に変えられるようなフロアーをあらかじめ設けておいて、日常は子供たちが教室や部室、リクリエーションルームとして多様に使ったり、NPOが子供食堂を運営していたり、ボランティア塾の場として利用し、被災時には仮設住宅の用地として確保できるといった、初めから多目的な用途に使える建築ができないものでしょうか、しかも耐久性も高く。更に、郊外型の大型スーパーの屋上の駐車場がそのまま仮設住宅に早変わりできるように設置されないものか。その場合は、建設時に施設側に行政が補助を行えるようにすることも良いかもしれない。公共施設だけではなく民間も巻き込んだ幅広い多目的空間の確保をしたいですね。

 とにかく昨今は、災害は非日常ではなく日常化してきています。特別な対策とするのではなく、より多目的な空間使いをはじめから計画したり、更には、住宅として使った場合は、管理業務なども日常的にすぐ業務として住民に委託できるような仕組み毎整備しておくというのも良いと思うのです。

 これからの災害に対しては、被災時の考え方を180度変える必要があると思います。人口減少、大災害頻発、インフラ老朽化時代を逆手にとって、リスク対応型社会として、例えば農村地域でも、公共施設として免振タワーマンションを建設して、病院、教育、福祉、行政サービスの一体化した施設整備やインフラの一極集中化による効率的生活スタイルも考えて行かねばならぬ時代に来ているような気がします。また、首都直下型とか南海トラフのような大規模&広域地震となれば、都市部でも仮設住宅は足りません。地域毎に仮設住宅を準備するというよりは、疎開システムのようなもっと大きな枠組みでの都市と地域連携の検討もしておかなければならないでしょう。

※アイストップの写真は2020年の7月に気仙沼に行った時の写真、上記投稿の本題とは異なるが、こういう震災遺構の施設も本当にこれで良いのだろうか。

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。