ガストロンジャー

 楽ちん多面Ver.1.4.0.1を6月10日に更新した後、11日~13日の3日間、しっかりと休ませていただきました。すぐに問い合わせのメールをくださった新規購入の皆様には即応できず、たいへんご迷惑をおかけしました。14日の火曜日には全員対応させていただきましたが、遅れましたことお詫び申し上げます。ユーザーよりも休暇を取るのかと言われると「しおしおのパー」ではありますが、働き方改革ということでご容赦いただきたい。

 アプリの更新準備は結構大変なのです。納品された改良プログラムのデバッグをして、操作性を確認して、マニュアルを作成して、何度も調整を繰り返してブラッシュアップしていく作業が2週間ほど続く上、ホームページのコンテンツの追加、修正もあり、予定日に間に合わせるため、老体に鞭打っての徹夜もあります。遊ぶ時間をすべて削って準備をするため、元々遊び好きの私としては『遊び負債』になります。

 農村づくりの研究会を主宰しているぐらいだから、休みは農村へ出かけるのかと思われがちですが、それは仕事でありまして、私の場合の休みとは、自然を満喫して体を休めるというよりは、映画に、歌舞伎に、コンサート、観劇に、美術館に、ショッピングと、文科系に偏ってはいますが、どちらかというと都会の刺激を求めて遊びまわります。今回も、11日、12日は宮本浩次のコンサート「縦横無尽・完結編」の代々木競技場第一体育館の席が二日連続取れていたので、それを観に行きましたし、13日は歌舞伎座での本興行95年ぶり上演となる澤瀉屋(おもだかや)ゆかりの舞踊劇「猪八戒」があり、どちらも妻と二人で楽しんできました。休養にはならず、遊び疲れた感もありますが、とりあえず私なりに英気を養ったつもりです。

 これまで「言わせてもらえば」では、歌舞伎のお話は何度かしましたが、今日は、この宮本浩次のコンサートで感じたことをお話しましょう。と言っても、音楽の話ではなく、客席に着目しての農村づくりの話に落としていきます。

 客席を見てとにかく思うのは、若い人からお歳を召された方まで年齢階層が広いということです。私たち夫婦はたぶん高齢者組に入っているのだと思いますが、それでもまだまだ若い方です。私の左隣にいたお一人様ご婦人は、好きな曲になると飛び跳ねて踊っていて、斜め後ろには高齢者夫婦が、こちらは最後まで座ったままで静かに聞き入っていましたが、どちらもどうみても75歳以上でした。若い女性ファンもいれば、オタクっぽいのもいるし、健康志向型のロックンローラーの中高年層もいる。さすがに小学生以下の子供はあまり見当たらないですが、とにかく年齢層が厚い。

 宮本浩次さんは、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、1988年デビューのエレファントカシマシというロックバンドのボーカル&ライターです。最初は、RCサクセションとローリングストーンに吉田拓郎なんかもごっちゃ煮したみたいな感じの楽曲だった(私の感覚)のですが、1996年に「悲しみの果て」がヒットしてからは宮本スタイルが確立し、特に、2019年からのソロ活動では、クラシカルでメロディアスなヒット曲を連発しています。特に、アルバム「宮本、独歩。」と「縦横無尽」は秀逸です。

 しかし、宮本さんの魅力は曲そのもの以上に、魂を削って、倒れるまで歌うんじゃないのかと思うほどの激唱突っ走りライブと楽曲の幅広さです。「光の世界」、「夜明けのうた」をしっとりと歌い上げたかと思うと、昭和の名曲、久保田早紀の「異邦人」、中島みゆきの「化粧」、アイドル柏原芳恵の「春なのに」を挟んで、「冬の花」みたいな演歌調も歌い上げる。さらに、人生に勇気をくれる歌で「rain-愛だけを信じて」、「風に吹かれて」と盛り上げ、最後は「ハレルヤ」でみんなの幸せを願う。そんな中、ライブで必ず歌うのが、学生運動のアジテートみたいにして歌う「ガストロンジャー」だ。その歌詞には宮本ライブのすべてが詰まっている。『くだらねぇ世の中だけど、世の中を憂えて何が変わるんだ。大切なのは己自身が胸を張って己の道を突き進むために闘うことじゃねぇのか?』と、私たちに問い正してくる。

 客席を見ていると、それぞれの観客が曲毎に自分の人生を重ねて好き勝手に聞き入っている。若者が中心に拳を振り上げる曲があるかと思いきや、中年層だけが拍手をしたり、高齢者層が静かに聞いていたり、女性だけが涙を流していたりする曲もある。多くのライブは、アーティストに虜となったファンが、おおよそ同じ方向を向いてアーティストと一体となっているが、宮本さんのファンは、あっち向いたりこっち向いたりだ。多様な世代と属性に、「多価値ストレス社会を生き貫く上で、それぞれが自分の力で、希望を抱き、立ち上がり自信を以って闘え」と愛を伝えるためにも、楽曲の多元多様さが必要なのかもしれない。「歌がただ単に好き」の向こうにそれはあるようです。

 農村づくりは、農村が好きで、農村だけを見ている人がいてもダメなのだろう。それは農村に多面的な価値を見出せないからだ。もちろん、頑なに農村だけを見る人も必要だが、多くの世代や関係人口までを活用して、参加させ、農村づくりを目指すなら、農村を様々な方向から見て、農村づくりが農村という『世界』だけに捕らわれず、闘いつづけることが必要と言っているのだと私は解釈したくなってきました。

 2日間、音楽を満喫しながらも、何故か農村のことを考えさせるライブとなった。只々、腕を振って、リズムに乗って楽しめばいいのに、こんなことを考えてしまうなんて、ちょっと私も病んでいるのかもしれない。

※農村づくり=宮本の音楽、農村=宮本、多くの世代=階層の広い世代、関係人口=多様なファン

※アイキャッチの写真はライブイベントがあった代々木競技場第一体育館へ向かう人々

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