情報より感覚を信じる農村づくり

 グルメサイトの評価点数が裁判沙汰になりました。読者の皆様も、新聞やテレビでこのニュースをご覧になっていると思いますが、6月16日の東京地裁の判決は、大手グルメサイト「食べログ」を運営するカカクコムに対して、独占禁止法違反を認めました。カカクコムは不当判決として控訴をするらしいので、もう少し裁判は続くものと思われますが、デジタルプラットフォームの運営はより透明性が求められる方向に動いています。

 「食べログ」というのは、日本全国の飲食店の情報が無料掲載されていて、実際に食事をしたユーザーによる感想や写真を口コミとして公開しているグルメサイトで、信頼できる飲食店ガイドとして使われています。読者の皆様も利用されたことがあると思います。

 情報は、地域別やジャンル別に検索できて、メニューや価格が調べられるのはもちろんのこと、店や席の雰囲気なども写真で確認できて、とても便利です。特に、極めつけは、「何を根拠に?」とか「いらんお世話だ!」と突っ込みたくはなりますが、星5つの5点満点で評価されていることです。

 新聞で読む限りでは、「食べログ」は82万店舗について計4千万件以上の口コミがあるそうで、評点は特殊なアルゴリズムで計算されているらしい。今回の裁判の焦点は、このアルゴリズムの変更によって、チェーン店が不利に点数を下げられ、それが収益に影響したことに対しての訴訟だったのですが、これ、そもそもどんなアルゴリズムを使ったとしても、誰かが不利になったり、有利になったりと、いくらでも商売上の影響はある訳です。チェーン店だったから、何億という損益になって問題となっただけで、個人店舗も常に影響を受ける数値となっています。ですから、運営のルールにも問題はあるものの、本質は情報を読む側のリテラシーにあることは明らかです。

 実際に私もお店を選ぶ時に、ここから情報を見ることがよくあります。例えば、食事会の幹事を仰せ付かったが、いつも行くお店ではないところで、食事会を開かなければならなくなった場合、このサイトに限りませんが、いくつかのグルメサイトから情報を得て、決めることがあります。特に、最近のサイトで便利なのは、選択したら、そのままネットで日時、時間の指定までして予約ができることです。

 ネットが無い時代は電話をかけて、店の人に時間や人数をお話して、その時の店の人の対応なども感じ取りながら、いい店っぽいとか、なんかサービス悪そうとかを判断して、「なんとか取れませんか」と無理強いをしたり、「また次にします」なんてごまかしたりして予約を決めていましたが、今は、そういう煩わしさがなくなり、機械的にズバッとこちらの情報を送れば、ズバッと受けてくれるみたいなやり方になっています。電話でもしないと雰囲気が分からないから、やっぱり電話をしてから決めたいという気持ちもありますが、グルメサイトはわずかな電話コミュニケーション以上の情報を引き出してくれている場合もあり、ついつい頼ってしまいがちです。しかも、ハズレ(店が良くなかった時)だった時は、なんだか幹事の責任ではなく、情報の責任にしてしまって、集まってくれたメンバーには、「おかしいなぁ。ネットでは結構いい評価で、評点も3.5はあったのになぁ」なんて言い訳をして、他人事にしてしまう。

 考えてみりゃ、外れて何の弊害があるというのだろうか。確かに、思った味と違うとか、ホール係の態度が悪かったとか、頼んだものがなかなか出て来なかったとか、文句を言えばいくらでもあるし、コスパが悪かったということもあるが、そういう失敗も含めて、やっぱり最後は自分で選択しているのであって、その失敗があるからこそ、次はもっといい店を選ぼうとする訳では無いのか。もう幹事したくないとか、外食は二度としたくないと思うほどの大きな失敗はしたくないが、グルメサイトの選択ぐらいで、立ち直れなくなることは先ず無い。評点なんかに惑わされず、もっと自分の感覚で決めて、自分の感覚で失敗していいじゃないか。そして、メンバーには堂々と、「今回は済みませんでした」と謝れば良いのではないか。どうしても気になるなら、自分の足を運んで、確かめればどうだ。

 農村づくりは、基本、失敗の連続です。なんどもなんども挑戦しては挫折するものです。情報をしっかり見極めることが出来れば、失敗リスクの回避力は向上しますが、最初から失敗を恐れて、何も選べなくなってもいけない。農村づくりの現場でよくみる例は、情報を分析しすぎて、「何をやってもうまく行かないだろう」と決めつけていることだ。情報は大切だが、それがすべての情報ではないことを認識しないといけないし、グルメサイトの件のように、情報には必ずバイアスがかかっていて、100%の信頼は得られないということも分かっていなければならない。何よりも生の情報をできる限り足で稼ぐ癖をつけるべきだ。

 また、情報を出す方も出す方で、「アルゴリズムで勝手に計算したものです」とか「AIで出た結果ですので責任は持ちません」とは簡単には言わないでほしい。AIに嘲笑されたり、酷評されたりする時代が将来的には来るかもしれませんから、説明責任もあるはずです。 農村づくりを進めるのには、情報や周りの評価は大切ですが、これに惑わされてはいけません。受け取る側の能力を鍛えて、自分自身の感覚を信頼して、挑戦すべき心を持ってほしいものです。

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。