クマと遭遇

 今年は、東北を中心にクマ被害が多く、9月末ですでに106人となっており、環境省が統計を取り始めた2013年以降最も多く被害を出した2020年度の158人を大きく上回る過去最悪のペースとなっています。秋田、岩手では20数件の被害が出て、亡くなられた方もおられる。日頃から注意されている東北地域や北海道の方で、山や野生鳥獣のことはよく知っている方でも被害に遭われるほど、いつもとは違った状態になっているということで、これから冬眠までのしばらくの間はそうとう気をつけないといけないみたいです。

 妻はこのニュースを聞いて、「この辺はクマいないよね」なんて言っている。確かにこれまで被害は出ていないし、茨城県は生息場として適していないのかも知れないが、被害の出ているお隣の福島県や群馬県とは陸続きだから、やって来ないとは言い切れない。気候変動で山の植生も変わってきているし、心配ではあります。先日、研究学園の駅近くで、はじめて野生のアライグマを見ました。あれはクマ科ではないですが、「あっ、ラスカルだ!」って近寄ってはいけません。野生のものは結構気性も荒いし、感染症も持っているので、気を付けた方が良い。まぁ、それでもアライグマならまだ逃げようもあるが、自分と同じ背丈ほどあるクマが突然迫ってきたら、これはどうしようもない。走る速度は100m7秒だと言うのだから、ウサイン・ボルトより早いではないか。

 今日はクマとの遭遇にまつわる思い出話です。もう30年以上前のことです。北海道開発局の委託を請け負った土木コンサルタントの地域資源調査に同行を頼まれたことがありました。北海道の余市、仁木近郊の生物・文化・景観全般の環境調査でした。コンサルタント内の臨時調査で、調査方法に関する意見を国の研究機関の専門家から求めると言うことでした。今なら、景観、生態系、文化のそれぞれの専門家が出向くと思いますが、あの頃は、地域環境資源はすべて同じ並びで、生物も文化もごった煮にだったのですね。筒井先生と私に白羽の矢が立って、二人で参加させてもらいました。

 丁度今頃の時期だったと思います。調査の内容は、農業を核とした活性化に向けた農道や施設の整備に関わるもので、現存する生物、文化、景観に関する資源の掘り起こし方と、その価値の評価方法に問題はないかということでした。朝早く、羽田から新千歳空港行きに搭乗し、午前中に到着したのですが、迎えの車が待っていて、「日が短いので急ぎましょう」と、すぐに車に乗り込むと、関係者10人ほどが3台に分かれて余市へ直行しました。北海道の調査は移動時間がかかるので大変です。私はまだ30代前半、筒井先生の後についているだけのペーペーでしたが、北海道の初めての環境調査だったので、なんでも勉強だと意気込んでいました。2時間以上掛かって、ようやく余市について、さぁ、これから現場かと思いきや、何と3台の車は連なって、ニッカウヰスキー工場へ入って行きます。先ずは私たちに代表的な観光地を視察してもらおうと言うことのようですが、蒸溜所見学をした後は、試飲コーナーに案内され、おつまみにホタテの燻製とチーズを買って、筒井先生は試飲と言いながら試飲の域は十分超えていたと思います。私も何種類かを試したつもりが、ウイスキーであることには違いないので、それなりに酔ってしまいました。これは仕事なのだと思いながらも、なんだか後ろめたい気分です。こういう場所がここにあるというだけで十分に調査にはなっているのですが、やっぱり実際に飲んでみないと雰囲気は味わえないと、無理に理屈をつけて飲んでいたら、担当者に、「お昼になるので食事しましょう」とそのままレストランに導かれ、今度は「ワインをどうぞ」となった。同行者の中には開発局やコンサルタントのお偉いさんもいて、上の方たちも飲んでいるので、まぁ良いかと箍が外れてしまった。今ではそんなことは許されないが、その頃はコンプライアンスも軽く、経費も十分使えた良い時代だったのだろうか、食事代は支払ったが、何か安かったような気がした。「まぁ、良いっしょ」と深く考えてはいなかった。大いに反省しております。これが悪しき風習だったと言えばそうなのですが、それなりに意味もあったような気もします。

 食事が終わったのは14時ぐらいだったと思います。ようやく、周辺環境を車中から視察しながら移動し、余市川沿いを登り、活性化施設等の整備予定地域へ着いた。辺りは小高い丘陵で、一面のすすき野原に小道沿いにはクマザサもある。すすき野原をかき分けながら山道を登っていくと、10mほど前を歩いていた若い担当者が急に後ろを振り向いて、「クマいますね 戻ってください」と手で合図しながらこちらに戻ってくる。結構冷静な声だったし、走って戻って来なかったので、クマを見た訳ではないと分かりましたが、担当者が言うには、割と最近の足跡があったと言うのです。北海道の山の日は短く、すでに暗くなっていますし、筒井先生も「クマはいやだよ、帰ろうよ」と言うので、安全第一で、『勇気ある撤退』ということになりました。そして、余市市内のホテルに戻ると、そう時間も経っていないのに、早々と懇親会ということになりました。クマのおかげで一日があっと言う間に終わってしまいました。「工場見学を早々に引き上げて、早い時間に現地に行っていれば良かったしょ!」と言いたいところだが、国の専門家に何を見てもらおうかと一生懸命に考えた担当者には言えるものではない。結局は、夜の懇親会で、膝を付き合わせての呑みニュケーションの充実を図ることで、昼間の分を取り戻すことになった。

 そう言えば、私は、大学3年の時の夏の現場技術研修も北海道開発局の富良野事業所に2週間お世話になったが、あの時も、初日の測量実習で「クマが出た」ということで、急遽測量が取り止めになり、しかたなくそれ以降は、事務所の土質実験室で、ダムのコア材の浸透試験を延々とやることとなった。身体をあまり動かさず、毎晩、焼酎とワインとジンギスカンをたらふくご馳走になるので、2週間で10kgほど増えて62kgになり、神戸の実家に戻った時に、母親が「あんた誰!」と分からなかったぐらいです。

 私は、これ以外にも北海道八雲町の旅館で一回、京極町の調査中にも一回、近辺にクマが出て、移動禁止になったことがあったが、結局はどの時も野生のクマと遭遇しないままでした。本物を見たのは、仕事ではなく家族旅行で、知床の観光船に乗った時の一回だけです。

 クマと遭遇しないで済んだので、よかったということなのだろうが。観光船の中から本物を見た時が一番怖くなかった。それ以外はどれも遭遇した訳では無いのに、ものすごく怖かった。今回は、単に思い出話だけになってしまいまして、どうもすみません。どうぞ、クマ出没地域の皆さんは、気をつけてください。

※アイストップの写真は古いが、その時に撮影した余市のニッカウヰスキーの蒸留所の中の建物。

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