イノベーションの普及

 昭和12年、佐賀平野の水稲反収が10a当たり394kgを記録し、明治末期に240kg前後であった反収を昭和8年から12年の5カ年で一気に上げて全国一となりました。これは、農業の研究や技術開発に携わる者なら誰もが知っている歴史事象であり、「佐賀段階」と名付けられた日本の近代農業史に残る未曾有の農業技術革命です。このような、主として技術の革新を元に社会のあり方そのものを大きく変えるような変革のことを「イノベーション」と呼んでいます。

 さて、この研究会は農村づくりを進める地域自治組織や多面的機能直接支払の実施地区の代表、または自治体の農村づくり担当者を対象に情報発信していますが、今回は、少し技術者寄りの硬いお話で、イノベーションを普及していくことの難しさにについて触れたいと思います。それでは話を戻します。

 この「佐賀段階」と言われるイノベーションは、明治32年制定の耕地整理法に基づく圃場整備技術と多肥多収性品種の普及、金肥の増投、集約栽培法、乾田化などの総合対策によってもたらされたものですが、特に大きな役割を果たしたのは、電気灌漑事業による電動揚水ポンプの出現でした。まさに、新技術と事業、制度を統合したイノベーションの成功であると言えます。

 当時、佐賀において営農意欲を最も削いでいたのは三化螟虫による米の減収被害でした。早・晩二期作にその原因があることは早くに栽培研究で分かっていましたので、その回避のために晩稲一期作へ統一したかったのですが、田植時前後の揚水のための足踏み水車の労力を分散調整するためには、どうしても早・晩二期作でなければならなかったようです。それまでの水稲作では、足踏み水車が主に使われていて、農家は夜中から水揚げに行き、クリーク(水路)に水が少ないときは、一家総出で水揚げ作業にかかります。私も博物館にあるレプリカを試しに使って見たことがありますが、水揚げの足踏みは重労働中の重労働です。10分も踏んでいると、私のような軟弱な人間だと、靴を履いているにも関わらず、足の裏がすぐに痛くなり、膝もガクガクとなって、踏めなくなってしまいます。強靭な体力を持っていた昔の農家の方でも、この水車では、10a当たり揚水労力は7~10日かかっていました。

 しかし、これが電気灌漑事業で整備された電動揚水ポンプだと2日程度で済む訳で、この技術によって、晩稲一期作となり、三化螟虫駆除へと繋がり、わずか5年で佐賀平野全域に一連のイノベーションが普及したのです。

 イノベーション普及に関する研究で有名なアメリカの農村社会学者であるエベレット・ロジャースと言う人がいますが、彼の代表的書籍である「イノベーションの普及」を読んでみますと、イノベーションとは、「個人あるいは他の採用単位によって新しく知覚されたアイデア、習慣、あるいは対象物」であるとしています。イノベーションの最初の提唱者である経済学者のシュンペンターが「もの・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすこと」と定義したのと比べると、技術やアイデアが新規である必要性は無く、アイデアが個人にとって新しいと認識されれば、それはイノベーションであるとしているところが興味深い。また、ロジャースは社会学者らしく、イノベーションは技術クラスターと言われる複数の技術要素とその普及システムより構成されており、イノベーションを社会に普及しようとする行政や行政から委託された専門機関、企業等がチェンジ・エージェント機関となって、コア技術から周辺技術、社会実装のプログラムまでをパッケージにして普及を促進することが多いとも言っています。

 「緑の革命」が、高収量品種改良、化学肥料、農薬、種子の密集栽培法、灌漑等の技術クラスターとして普及され、大きな農業イノベーションに繋がったように、佐賀段階も同様のイノベーションの例ということになります。

 さて現在、IoT、AI、ビックデータ等のICT技術を農業農村におけるイノベーションの技術クラスターの一つとするための開発が急ピッチで進められていますが、ロジャースのイノベーション普及学を学ぶところでは、これらの技術を普及するために必要な要件を学術的に表現すると、イノベーションが経済性、利便性等において相対的に有利になっているとする「相対的優位性」と導入段階での社会システムや価値観、慣習と両立できる「両立可能性」等を高く維持していることが普及速度をコントロールしており、技術がイノベーションを興すのではなく、寧ろ「技術の社会性」(社会へのなじみ度みたいなものでしょうか)がイノベーションを興すのだと考えられます。

 簡単に言いますと、どうも単体、個別の技術そのものの優秀さや使いやすさよりも、地域の文化的背景の元で、いかにユーザーに技術とその普及の仕組みを知覚してもらうかが重要だということです。

 佐賀段階で言うなら、人力エネルギーが電気エネルギーに成り代わった相対的優位性も然ることながら、電気代の経済的圧迫で優位性の低下を凌駕するだけの家族総出の農作業文化からの脱却を求めていた価値観が農作業は家族で行うものという既存社会の価値観と両立していたものと思われます

 「両立可能性」の障壁を超えるのはなかなか難しく、これまでの価値観とのすり合わせ、個人が新しいと認知しその価値を認めることが問題となります。ICTを使わなくても今までの方法でなんとかやっていける。金を出して使うほどのことではないと思っている社会が一般的だとすると、ここから脱却して、使うのが普通だと感じる社会をつくることの方が技術を作る以上に重要だということになるのではないでしょうか。

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