テロワール

 フランス語に「テロワール」という言葉があります。ワイン好きの方はご存じであると思いますが、「風土の、土地の個性の」と訳される言葉です。日本語で無理に当てはめようとするから、薄っぺらく感じますが、実質はそうとう奥深い言葉ではないかと思います。土地の傾斜や周辺の山々や河川の配置、土壌や土質、気候を取り巻く全体的な環境の個性を指しているのが「テロワール」と言えます。

 例えば、日本のテロワールとか余市ワインのテロワールというような使い方をします。フランスワインで言うなら、「ブルゴーニュ」そのものがテロワールです。ブルゴーニュはワインの産地ですが、それ以上にテロワールの名前だと言っていいでしょう。私はワインのことは良く知らないのですが、おそらくそれほど間違った解釈ではないと思います。

 私は、農村づくりを考える時、いつもこの「テロワール」という言葉を頭に描きます。

 国の地域づくり政策の方針などを見ると、都市でも農村でも同様に、「地域の個性を生かした地域づくりが大切だ」とよく書かれています。前々から、「これは曲者の政策だな」と思うところがあります。個性を活かせば良いと言われても、個性が何かがよく掴めないので、困っているのだから、個性を生かした地域づくりではなく、個性を見つけ出す地域づくりではないのかと思ってしまうのです。ワインのように、土地の個性がしっかりと反映しているのなら、飲んでみれば個性は見つけられますが、農村はテロワールだけを追っかける訳にはいきません。

 ある集落の農村づくりで、夜なべ塾を開いて、「私たちの農村の個性ってなんだろう」、キャッチフレーズを作るためにも、何か他の地域にはないものを見つけないとと、あーだこーだとブレーンストーミングをしていた時に、酔いが回って、鍋も脳も煮詰まった中、一人の役員さんが「私らの個性は頑固者ということじゃないのか」と言い出しました。「米がうまいって言ったって、景色が良いと言ったって、山続きで、隣の集落と差して変わらないし、何も特別なものって、見つからないよ。敢えて言うなら、隣の集落よりも山深く、どん詰まりで、みんなここはもうだめだと町の中心部へ降りて行ったし、考えてみれば残った者は、まぁ、経済的な理由や、先祖の土地を守らなければいかんという想いもあったが、押しなべて言えば頑固だったんじゃないのか」と言うのだ。

 そうすると、他の役員さんが、「確かに、それは個性かもしれないけれど、それは農村の個性じゃなくて、人の個性だろう。使えない、使えない。だいたい、『頑固もんの住む村』ってキャッチフレーズで何が売れるんだよ、誰が来てくれるんだよ。もっと水とか空気とか、特定の農作物とか、希少な生物とか文化資産があるとかでないとだめでしょ」と反論した。

 私は、なかなかに興味深い議論をしているなと、傍観していたが、早々に会話は途切れてしまった。頑固者を個性とする案を言った役員さんは、二言、三言反論したが、それ以上は黙ってしまった。

 作家、東野圭吾のガリレオシリーズのドラマで出てくる湯川学教授ではないが、「実におもしろい」である。

 テロワールは土地、特に気象や土壌の特性を表すものであるが、ワインはこれだけでできている訳ではない。作付年度による違いもあるし、ワイナリーというか、作った人による違いもある訳で、テロワールが100%ワインの味を決めている訳ではない。

 テロワールはブドウにだけ関係しているのではなく、そこに住む人の心も作っているはずで、しかも、歴史的な経緯にも関係し、外部へも影響している。陶芸家が土を求めるように、ワイン醸造家も求めてその土地に足を踏み入れるのだから、もし、土地によって頑固な個性が住む人に定着したのなら、その人そのものもまたテロワールのように思うのだ。

 テロワールに、ここまで意味を広げて解釈する必要はありませんが、個性というものを見つけようとするならば、テロワールに本来の土地という個性だけではなく、それによって派生する幅広い個性まで含めた解釈をしても良いように思うのです。

 この頑固者が住む集落で開かれた夜なべ塾には、山形県の普及員さんも同席していたが、この会話を聞きながら、こう言いました。「山本先生、どうして、意見を早々に打ち切ったんでしょうね。全然、頑固者の集落じゃないですよね。寧ろ、互いに言いたいこと言いながら進めているので、『いいたいこと言い合える仲の良い集落』なんじゃないですか」と。

 私はそんな長いキャッチフレーズは使えないだろうと思いながら、そのことについては黙って、農村づくりにおける地域の個性の捉え方の幅広さに楽しさを感じていました。

※お茶もテロワールの反映しやすい作物みたいです。

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