年賀状の季節が、また来ましたね。今年の年賀はがきの店頭発売日は、先週、2020年10月29日(木)から始まっています。コロナ禍で会いたくても会えない方もいらっしゃることと思います。年賀状で丁寧な挨拶もよろしいのではないでしょうか。

 ところで、年賀状の発行枚数は、2003年の44.5億枚をピークに減少し、今や19.5億枚にまで減っているということです。只、民間の調査によると、年賀状が減った代わりに、メール等のデジタル媒体で新年の挨拶を送った人が37%に上っており、最近ではLINE等も増えてきているらしい。減った分がすべてデジタル媒体に流れたのではなく、年賀状そのものを書かない人も増えており、約33%程度はまったく書かないという調査結果もあります。

 年賀状発行数がピークであった2003年には調査がありませんが、2005年で年賀状を出していた人は85%という数値を見つけたので、これを参考にちょこっと概算すると、年賀状を送った人の一人当たりの送付枚数は2003年で45枚程度、それに対して、現在は27枚程度ということになりそうです。

 LINEの友達数の平均は68.3人、Facebookで45.3人という数値もあるので、こちらを使って年賀状を出している人もいる。こちらは、平均何人に年賀を送っているかは分からないが、一斉送信すれば簡単なので、こちらの一人当たりの枚数も50人程度なのかもしれない。まぁ、多い人はもっと多いのだろうが。どちらにしろ、一人当たり平均40~50人程度にはなんらかの形で新年の挨拶をしていると考えても良いかもしれない。

 私自身に照らし合わせて考えてみると、現役時代は仕事関係も含んで、年賀状は200枚程度送っていましたが、今は100枚程度に減っています。まだ少し仕事関係を引きずっているのですが、友達だけとなると50枚程度にまで減り、これから老後の暮らしになると、行動範囲が狭まるので、更に減っていくかもしれません。

 今日は、この新年の挨拶をする人の数が、40~50人だという数字を横に置きながら、農村のコミュニティの適正規模ということについて考えてみましょう。

 私は予てより、「50戸・100ha・150人」、これが、人が環境と社会をよく読み取れる規模であると主張してきました。環境と社会を読み取れる規模とは、自分たちの住む空間に、どういう人が暮らし、どんな問題が発生しているのかがある程度わかり、生産に関わる補完が可能で、日常的な相互扶助が成り立つことを言い、これ以上の大きさになると、掌握できない環境と社会となり、生活不安やリスクは大きくなります。都市の暮らしとは、この不安やリスクを行政サービス(インフラの充実も含む)で補填することでなんとか均衡を保ち暮らしている空間であるということになります。ちなみに、100haは平均経営耕地面積ではなく、山林部を除いた環境行動面積と考えてもらいたい。

 コミュニティは、ある程度「密」であり、ある程度「疎」でなければならず、意思疎通が図りやすい適正な社会距離があるはずだという私の推論は、多くの集落を見て来た経験則だけではなく、なんでも規模拡大し、個を疎かにしていく社会に対しての警鐘も含めたものですが、以下の心理学的根拠もあります。

 実は、人が、環境や社会の状態を知ることのできる距離は、視覚的には、表面の性質であるディティールの見分けがつく距離で、約500mと言われています。また、生活圏として環境を認知しやすい距離も500m程度でしょう。さらに、徒歩行動圏も約500mと言われていますが、日常生活圏は400~800mまでとする論文もあります。半径500mで計算して78.5ha、半径800mで計算して200ha、おおよそ100~200ha程度、間を取って150haが、人が環境と社会を日常的に認識する範囲と言えるのではないでしょうか。

 更に、個々人が安定した社会的関係を維持でき、各人が誰であり、他の構成員とどのような関係をもっているかが理解される理論的認知限界数のことをダンバー数といい、おおよそ150人と言われています。

 このダンバー数というのは、英国の人類学者ロビン・ダンバーが、霊長類の脳の大きさと、群れの大きさとの間に相関関係を見出した研究を人間の脳の大きさに当てはめて計算した結果だそうで、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であると提唱しています。しかも、そこには階層があり、第0階層:3~5人(危険な時に駆けつける、お金の相談をする、助けを乞う、秘密を打ち明けられる親密な友達)、第1階層:12~15人(月に1回程度会うような親密な友達)、第2階層:45~50人(距離のある友達)、第3階層:150人(友達の限界)ということになり、これがダンバー数です。

 狩猟採集社会の集落の平均規模は150人だったと言われていますし、開拓時代のインディアンも集落の連合体はあるようですが、一集落単位としては150人程度、アメリカにいるアーミッシュ(ドイツ系移民の宗教集団)は、今でも、一つの共同体の構成員が150人を超えると、共同体を分ける風習があるらしい。これは、宮古島での村落の「村立て」や日本の昔の分村みたいだが、こちらはコミュニティの適正ではなく、もう少し政治色が強い。また、日本の相互扶助の基本である自治会(町内会)の規模も、最も多いのは20~40世帯辺りです。

 よって、コミュニティの単位としては、この辺りの数を基準とするのが適正ということではないかと思います。ものすごく簡単に言うと、「長老の言葉が届く範囲、村のルールの徹底が図られる範囲」ということになるだろう。

 また、年賀状とは少し意味合いは異なるかもしれませんが、アメリカで、毎年クリスマス・カードを送る相手とその家族を合計した人数の平均は154人という数値があるらしい。

 これらのいくつかのデータを見る限り、やはりダンバー数150人はそれなりの意味がありそうだ。年賀状を送る枚数が 50枚程度となるのは、日頃ご無沙汰している友達にということで、第2階層の距離にある友達50人というのが当てはまりそうだ。

 一方、農業集落センサスのデータから、集落の規模を紐解いてみる。農業集落あたりの世帯数は、1960年は平均68戸だったものが、2015年には200戸となっており、一つの集まりの単位はかなり大きくなっています。経済地帯区分別(北海道は別)に細かく見ると、都市的地域は、2000年に638.8戸が2015年は619.9戸と規模が大きくなっているのに対して、山間農業地域は、2000年に51.8戸が2015年は47.9戸と規模が小さくなっています。

 平均としての見方なので、一概には言えませんが、1戸当たり3人として、都市的地域は1800人を超え、ダンバー数を超えた人間関係の中にあり、山間地域は50世帯で、150人程度に留まり、十分に人間関係を適正に保てるダンバー数を維持していることになります。

 「50戸・100ha・150人」と表現しても、「100ha・150人」と表現しても似たもので、幅はかなりあるが、この辺りが、人が環境と社会をよく読み取れる適正な規模だとした場合、この数値より人数が小さくなったり、また、逆に、面積が大きくなるとどうなるのか、それは、環境を読みとれなかったり、管理できなかったりするということになると私は考えています。そういう意味では、山間、中間地域の方が適正な人間関係を築き、適正な資源管理ができると言って良いのではないでしょうか。

 コロナ禍で、三密を避けるためにソーシャル・ディスタンスを取るように言われていますが、あれは、本来の「ソーシャル・ディスタンス」の使い方としては間違いで、本当は「フィジカル・ディスタンス」と言わないといけないだろう。集落社会としてのソーシャル・ディスタンスとしては「100ha・150人」が「ほどよい」ということではどうだろうか。 現実には、一集落50戸以下の集落は全体の約半数になるので、厳しいと言えば厳しいが、限界集落に陥る前に、「100ha・150人」の規模の集落は、まだまだ頑張れる、やれることはたくさんあるというのが、私の見解です。もちろん、高齢者の割合がもう一つの限界軸になってくるので、単純ではないし、自治コミュニティのあり方は多様なので、これ以上大きいとダメということでもないが。

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