SDGs

 もっと早くに『SDGs』(エスディージーズと読みます)について、読者や会員の皆様にお話しすれば良かったと思いますが、機を逸してしまい、今回ようやく投稿に至りました。なんとなく繋ぎの投稿みたいになってしまい申し訳ありません。実は、研究会が掲げる農村づくりのコンセプトである『住民自らが考える農村づくり』を進めるに当たって、『SDGs』は切っても切り離せないものであります。

 SDGsの取り組みをユニバーサル(普遍的)で、グローバル(世界的)な目標と捉えるよりも、寧ろ、農村づくりのようなローカルな取り組みの中の目標に落とし込むことで、目標はより我が事として捉えられ、明確になるという意味で、切り離せないと私は言いたいのです。

 SDGsについては、様々なメディアが、毎日のように取り上げていますし、新聞でも、日々どこかの紙面に用語が散りばめられていますので、ご存知の方からすると、いちいち説明は必要ないのかもしれませんが、案外、なんとなく、「気候変動を止めるための世界共通の目標だろう」程度にしか理解していない場合もあると思いますので、ここで、簡単に説明しておきましょう。

 政府の動きとしては、2016年5月から、総理官邸において、総理大臣を本部長、官房長官、外務大臣を副本部長とし、全閣僚を構成員とする「SDGs推進本部」が稼働しています。毎年度、全省庁横並びのアクションプランを立てて、内閣官房と外務省が中心になって動いています。

 アクションプラットフォームが外務省のホームページにありましたので、そこに書かれた『SDGs』の説明を読みますと、「持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された『持続可能な開発のための2030アジェンダ』にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の『誰一人取り残さない(leave no one behind)』ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。」となっていました。

 そして、具体的なゴールは、①貧困をなくそう、②飢餓をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等を実現しよう、⑥安全な水とトイレを世界中に、⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに、⑧働きがいも経済成長も、⑨産業と技術革新の基盤を作ろう、⑩人や国の不平等をなくそう、⑪住み続けられるまちづくりを、⑫つくる責任つかう責任、⑬気候変動に具体的な策を、⑭海の豊かさを守ろう、⑮陸の豊かさも守ろう、⑯平和と公正をすべての人に、⑰パートナーシップで目標を達成しようの17です。気候変動や環境だけではなく、世界の社会全体を持続するための様々な目標が挙げられていることが分かります。

 最近、街中を歩いていると、至る所で、絵の具の色を全部出したパレットみたいなポスターや、色とりどりのチョコスプレーがトッピングされたみたいなドーナツ状のロゴマーク(正式にはカラーホイールと言うらしい)を見かけますよね。ピンズ(バッジ)を胸に付けている方も時々見かけます。あれが、SDGsへ向かう意思表示とでも言えるでしょうか。行政機関をはじめとして、企業、様々な団体が積極的に取り組んでいます。

 意思表示は格好いいのですが、最も大切なのは、この目標を読む力であります。

 こういう風に、誰も文句を言えないほどきれいに羅列されて、しかも、それが国際的な機関の世界共通宣言だと言われると、無条件に、「はい、わかりました。その目標を達成するようにがんばります」と即座に返事をしてしまいがちですが、それでいいのでしょうか。

 この目標を達成すれば、世界は滅びずに済むと思い込んでしまい、社会や環境がどう変わることが本当に世界を存続させるのかという本質をひとり一人が考えずに、単に、社会思想に乗せられて、行動だけが先走りすることが問題なのです。

 企業がSDGsを先導する場合は、表の顔は環境保護を支持しているが、裏で汚水や二酸化炭素を垂れ流している場合、所謂、「SDGsウォッシュ」になっていることもあります。そのように、取り組みが上辺だけになっている企業はいくらでもありそうです。安倍前総理だって、法整備が整っていないことを理由に、2018年6月のG7では、トランプ米大統領と二人だけ、プラスチックごみの海洋汚染対策を推進する『海洋プラスチック憲章』に署名しませんでしたしね。日本政府だって、結構上辺だけかもしれない。

 SDGsウォッシュ企業の製品を買うも、投資をするも、日本を脱出するも個人の自由ですし、いちいちそんなことを考えて生活するのはナンセンスではありますが、何も考えずに行動に出ていては、世界共通目標となる社会にはいつまでも辿り着かないし、気づいた時にはすでに遅しという場合もあるかもしれません。総論賛成しかない目標ほど質(たち)の悪いものは無いということを意識しておきたい。

 また、SDGsの17の目標が『持続可能な社会』を実現するための要素に過ぎないということも意識してかからねばならないでしょう。要素の中にはトレードオフ(何かを得れば何かを失う)の関係もあるため、要素間のつながりを考える思考が大切で、17の目標をそれぞれに分けて個別にチェックリストをつくり、我々は、この要素を達成するための行動をしているので、十分という姿勢には問題があります。

 例えば、ものすごく単純な例で言うと、「海の豊かさ」を守るため、海洋資源の保護をすれば、それで生計を立てている人からすると、「貧困をなくそう」や「働きがいも経済成長も」は達成されないことにも繋がるかもしれません。また、役員の半分を女性にしたので、これで「ジェンダー平等」の目標は達成とか、プラスチックレジ袋を有料にしたので、「海の豊かさ」に貢献したと、達成度をチェックするストーリーも何か違うように思う。

 なかなか難しい問題ではありますが、17の関係性をできる限り総合的に捉えた先に、行動がなければならない。いつまでも分化縦割型の思考をするなら、世界は何も変わりはしないだろう。

 SDGsの本質は、目標達成である以上に、ひとり一人がその意味を考えることと、分化縦割型の思考からの脱却なのではなかろうか。そして、ひとり一人がその意味を考えるためには、先ず、自分を取り巻く環境と社会、すなわち、地域からスタートすべきであろう。

 国際連合広報センターのホームページに、『持続可能な社会のためにナマケモノにもできるアクション・ガイド(改訂版)』というのがあった。

 例えば、『レベル1:ソファに寝たままできることとして、電気を節約しよう。電気機器を電源タップに差し込んで、使ってない時は完全に電源を切ろう。もちろん、パソコンもね。請求書が来たら、銀行窓口でなく、オンラインかモバイルで支払おう。紙を使わなければ、森林を破壊しなくて済む。・・・』と、ひとり一人が行動できることが羅列してあった。この行動に努めることは何も間違ってはいない。この行動を一つ一つ実現していくことは大切です。でも、もしもできるなら、自分の周りの社会と環境を対象に、この項目を考えて、行動できる人になりたいと私は思う。

 「項目を考えて、行動できる人になりたい」なんて言っても、学者でも政治家でもない一般市民が、簡単にそんな人にはなれないように思うが、自分の地域のことなら、考えること、できることはいくらでも出て来ると思う。もちろん、グローバルに考えないと目標達成のための考えや行動に至らない場合もあるだろうが、それに自ら気づくためにも、地域からスタートなのです。

 『住民自らが考える農村づくり』は、正に、地域でSDGsを考える活動だ。『我が農村SDGs』の目標があっても悪くはないはずだ。

※アイキャッチは、街にあふれるSDGs公式ポスター。2つ目の「飢餓をなくそう」の絵がどうしても、「ラーメンを食べよう」に思えて仕方ない。農村づくり・ICT支援研究会は持続可能な開発目標(SDGs)を支援しています。

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