リタイヤ地域リーダーの心の持ち方

 先日、四国のとある地域の昔がんばった地域リーダーから久しぶりに連絡があり、「今年で年賀状じまいをするので」と言ってきました。話をしている内に、「今のリーダーは何もやれていない。ぼくらがあの頃考えて来たことも違った方向にいっちゃって、市職員も動かんし、県もなんも分かっちゃいない。山本先生とやっていた頃が懐かしいよ」と半分愚痴になってきました。

 農村づくりにおいて、偉大であった地域リーダーは、現役時代に成功した自分の業績があまりにも大き過ぎるため、その後を継いだ次世代リーダーのやり方や考え方に文句を言いたくなる傾向があるようです。これは地域リーダーではなくて、普通のリタイヤ会社員でもそうですが、いつまでも、元の組織に入り浸り、茶々を入れてしまいがちです。指導役になっている場合でも、教えたり、助言したりというよりは、自慢話ばかりになっていたりします。もう次の世代に移っているのだから、放って置いて欲しいと思われるような存在になってしまうケースとなると、これはもう『老害』です。

 農村づくりに真剣に取り組み、大きな成果を上げた地域リーダーは、ルールに基づいた行動によって成果を得たのではなく、彼自身の血のにじむような努力によって成果を得ている場合が多く、新しい挑戦や様々な困難な合意形成も含めて、かなり苦労した経験をお持ちなので、次世代リーダーの動きがのんびりしているように見えたり、思った方向に進展していないようで、気に入らなくなるものです。しかし、時代が変わると、価値観も変わり、技術も進み、その頃とは状況も異なるので、自分が成功した頃とはやり方も変わってきます。助言をするのなら、それなりに自分自身も時代に乗って、新しいものを取り入れていく必要があります。また、時代にはついて行けないし、もう自分はロートル(老頭児)で、役割は終わったのだと認識をしていたとしても、ついつい口を出してしまうことがあったりするかもしれない。人生100年時代となって、健康年齢が伸びると、自分がまだまだやれる、動けるものですから、役割は終わったと自分でいくら納得していても、体が動いてしまうということもあるのでしょう。

 それでも、次世代リーダーと自分との間で考え方の違いなどが出てきて、次世代に迷惑をかけるだけならまだしも、だんだんとイライラしてきて、自分自身にストレスが溜まり、心の問題にまで発展することになると厄介です。私は長い間、農村づくりの研究に携わってきて、こういう問題で心を害したリタイヤ組を見てきました。

 何度も何度も、「もう自分の時代は終わったのだ、若いのに任せておけば良いのだ」と心の中で思ってはみても、どうしても農村づくりにかける想いから離れられないようです。私は、農村づくりの自治組織の形成においては、昔の区長経験者や農村づくりリーダーなどを相談役や顧問に置くことや、死ぬまで農村づくりに携わってくださいと推奨してきましたが、それは、若い世代が困ったときに、「以前は、こうやった記憶があるよ」と助言するためであったり、完全な一兵卒として体を動かしお役に立つためなのですが、人によっては、「そんなことしてもうまく行かん」とか「そりゃ無理だ。こうしないと」と自分の想いをぶつけることが主となり、言っちゃいかんと思いながらも、自分で自分を制御できず、小言ジジイになってしまっている場合もあった。そういう方は往々にして、その内、心のバランスが崩れることが多かったようにも思います。私の見て来た数少ない事例で決めつけてはいけませんが、自分の確立した農村づくりの哲学や地域の将来の夢までも有耶無耶になってくると、「自分がこれまでにやってきたことは何だったのだ」と心が苦しくなることもあるでしょう。

 でも、ここはスパッと割り切りって、こう考えましょう。今だけ見ると確かに、「わしの考えていたことを滅茶苦茶にしやがって」とか「もうこの村はお終いだ。俺がもう少しやれたらよかった」なんて思ってしまうかも知れませんが、大丈夫、『今だけ』しか見ていないからそう思うだけです。あなたの築き上げたものは長い年月をかけてちゃんと継承されていきます。哲学が変わったなんて思ってはいけません。哲学なんて長い時間の中ではそもそも軽いものです。夢も形を変えて必ず次の夢が表れます。リタイヤ地域リーダーの想いは、時代とともに変化しているだけなのです。時代と共に変化するためには、リタイヤ地域リーダーが築いた土台が無くては出来ません。ですから、あなたの哲学は無くなったりしていません。必ずどこかに生きています。ここは『俺の屍を超えていけ』で良いのです。自信を持って農村づくりに取り組んだ時代があったのなら、それで良いではないですか。今度は、元気な年老いた住民で良いではありませんか。それでまた農村づくりを進めれば良いだけです。それが『死ぬまで農村づくり』の真髄です。

 昔、ある地域で知り合った優秀なリーダーが、世代交代した時に、こう言いました。「後継者のリーダーは頼りないし、私が思っていたのとは違う方向へ農村づくりは向かっている気がするが、いやいや、そういう土壌を作ったのも考えてみれば私でした。これからは自分自身の農村づくりの楽しみ方を考えてみたいと思います」

 なんだか、聖人みたいな答えですが、私はこれで良いと思っています。私も、『老害』なんて言われないように、心の安寧を求めて、『自分自身の農村づくりの楽しみ方』を考えてみたいと思います。

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