大阪のエスカレーター

 高校時代、天文部に所属していた。その初めての同窓会が卒業以来47年ぶりに開催されたので、母校のある大阪を久しぶりに訪れました。

 昨年の夏に骨折した右肩が完治せず、腕が十分に動かせないので、身体のバランスが悪くて、安全な歩行には支障がある上、骨粗しょう症でもあるので、転げてまた骨折なんてことになるといよいよ健康年齢を縮めてしまいかねません。そこで、日頃の上下移動にはできるだけエスカレーターやエレベーターを利用しています。只、歩く練習も必要なので、混雑していないところでは階段も使いますが、駅の階段などでは必ず手すり側を歩きますし、エスカレーターでも、常に手すりベルトを掴めるように配慮しています。気をつけてさえいればなんとかなるので、最近では東京へも頻繁に出かけますし、春先には一人遠出で山形県へも行けました。よって、今回も問題はないだろうと大阪市内を歩いたのですが、思わぬことに出くわしてしまいました。エスカレーターの乗り方です。

 エスカレーターの乗り方の暗黙のルールが大阪と東京で違うというのは皆さんご存知ですか。そもそもエスカレーターは優雅な乗り物で、元々は百貨店でゆっくりとお買い物をされる方のためのものであったので、ほとんどの方はエスカレーター上ではじっと立っているだけでした。急ぐために歩くという行為自体がナンセンスでした。しかし、高度経済成長期に入ると、エスカレーターが、百貨店だけではなく駅などにも多く設置されるようになり、人々が忙(せわ)しなく移動するようになって、エスカレーターを歩いて登り降りする人が増えたようです。

 そこで、大阪の阪急梅田駅では先を急ぐ方のため、左側をあけるようアナウンスを流すようになったらしく、このアナウンスに影響されたルールが広がり、大阪では今も続いているということみたいです。世界標準の道路交通法に基づいて、右側を走行車線としての「立止まりルート」、左側を追越車線としての「歩きルート」としたという説もありますが、それは1970年の大阪万博で訪れる海外客に対してルールを徹底するためで、普通ならば、日本は日本の道路交通法に従うはずで、東京ルールである左側が走行車線、右側が追越車線となるのが道理であるようにも思います。ですから、大阪ルールはやはりアナウンス効果が大きかったのでしょう。ちなみに、大阪ルールも日本の道路交通法通りだという解釈もあるらしい。大阪は歩くが普通なので、左側を走行車線としていると言うのだが、そうなると、右側は走らないといけなくなりそうだ。

 徹底するなら全国でアナウンスすれば良かったのでしょうが、エスカレーターには道路交通法は適用されませんし、人間は車両ではないので、結局今でも、人によってルールはまちまちです。しかも、そもそもどちらも間違いで、安全上、基本的にエスカレーターで歩いてはいけないのです。

 久しぶりに大阪を歩いて、実はこれにはそうとう戸惑いました。私は右腕が不自由なので、左手でエスカレーターの手すりベルトを掴むために、左立ち、すなわち東京ルールが体にフィットしていますし、不自由になる前も40年以上関東圏内に居住しているので、左側の立止まりが当たり前です。しかし、梅田近辺でエスカレーターに乗ると、多くの人が右側に立っていて、歩く人用に左のレーンが空いています。知らず知らずの内に、いつも通りに左に乗っていると、後ろから「ちょっといいですか」と声がかかった。何のことか分からず、後ろの人もそれ以上は声をかけて来なかったので、無視をしていたところ、「そうか大阪は右側の立止まりだった」とようやく気づいた、そそくさと右に寄ると、即座に後ろの人はちょっと不機嫌そうな顔をして、歩いて登って行った。

 それ以降は、意識して右側で立止まりをするのだが、如何せん、右腕が不自由なものだから、なんとなく右手で手すりベルトを掴むのは違和感があって怖い。私のような軽度の骨折による不具合でも怖いと思うのだから、障害の方などはたまったものじゃないだろうと思います。

 「エスカレーターを歩くことがそれほど危険なのか」と言う方は大勢おられるだろうし、「どっちかのレーンに寄れよ! 世の中には急いでいる人がいるんだから」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私も自分がこの身になるまではそれほど気にしていなかったですが、今回初めて、日本エレベーター協会の基本である、”エスカレーターは本来、立ち止まって利用するもの”という安全基準の前提は納得いくなと思いました。

 完全なルールとまでは行かないが、今では、「左右両方で立止まり」を進めているようです。最近では、自他体条例などで歩くのを法的に規制している例も見られますが、暗黙のルールはなかなか法的には規制できていないようです。どうしても歩けるようにしたいのなら、複数レーンがある時は、片側は左右立止まりで、もう一方は歩きレーン有りにしたら良いし、左右のレーンがどちらも詰まっている場合は、歩く人も状況を見て諦めたら良いのではないかと思う。歩いたからと言って何秒得すると言うのだろうか。今回、大事なことだなと思ったのは、障害者や生活弱者の気持ちになってみると言うことの難しさです。私も、自分の腕の不具合があってようやく「我が事」となった訳です。最近の世の中は、なんでも法的ルールで規制していくことで対応しようとする傾向がありますが、その前に、「我が事」として考えてみるということが実に大切なことが分かりました。農村づくりも、結局はこの「我事感」をどう鍛えるかがポイントになるのです。我が事として捉えられない農村社会や環境はいくらがんばっても変えることはできないからです。

※アイストップの写真は阪急大阪梅田駅のターミナルです。私が高校の時から、京都線、宝塚線、神戸線の9番ホーム(頭端式始発駅としては日本最大)のターミナルは変わっていませんでした。

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