火星の石

 9月22日、輪島市や珠洲市など石川県内に大雨があり、災害が発生しているようです。1月の地震の復旧・復興の中での追い打ちをかけるような災害で、被災されている皆様のことを考えますと本当に心が痛みます。先ず本文頭で、被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

 来年4月に開幕される大阪・関西万博で、『火星の石』が展示されるらしいです。でも、ニュースをよくよく聞いてみると、これは火星から持ち帰った石ではなく、日本の観測隊が南極で発見した隕石なのだそうです。どういうことなのだろうかとさらに聞いてみると、この石は2000年に南極で発見された隕石で、その後の分析で数万年前に火星から地球に飛来したことが確認されたというのです。

 どうやって地球に辿り着いたのだろうかとか、どうやって発見されたのだろうかとロマンあふれる話ですが、それよりも、この石には水と反応してできる成分が含まれているため、火星に水があることを示す貴重な資料だということで、齋藤経済産業大臣も9月17日の記者会見で「生命の起源を示す学術的な価値も高く、万博のテーマである“いのち”に深く関わる展示となる」と言っていました。なんと高尚な話だことか。

 南極観測隊の皆さんの並々ならぬ努力にも、それを火星由来のものであると検証した科学者陣の努力にも頭が下がります。この石自体に学術的な大きな意味のあることはよ~く理解できます。しかし、平凡かつミーハーな国民の一人である私としては、火星から持ち帰ったものであるというならまだ頷けますが、地球で発見されたと言われるとちょっと複雑な気持ちです。こんな凄い発見に感動しない私は感性不足なのでしょうか。

 1970年の大阪万博が開かれたのは、私が中学1年生の多感な時期でもあり、しかも様々な新しい科学技術の発展によって世界が日進月歩し、生活の質が著しく向上した時期でした。また、日本も高度経済成長を果たして、世界の頂点を目指したイケイケの時代でありました。その中でのアポロ12号が持ち帰った「月の石」の展示は実に画期的で、アメリカ館に朝から長い行列に並んで、背が低かった私は行列に押し潰されそうになりながら人と人の間から光り輝く月の石を観たことをよく覚えています。しかし今回の『火星の石』は由来も含めて、いくら万博の展示の目玉の一つだと言われても、そこまでの気持ちになれません。はやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰った石(砂粒)も展示されるらしいですが、『いのちの起源』というテーマの展示というならば、こちらの石の方がより貴重なような気がしますし。

 大阪万博の後、国際博覧会としては1975年の「沖縄海洋博」、1985年につくばで開かれた「つくば科学万博」、1990年に大阪でやった「花博」、2005年に愛知で開かれた「愛・地球博」でありますが、どれも特別博であり、今回の大阪・関西万博は55年ぶりの一般博となります。万博好きの私はこれまでのどの博覧会も観てきましたが、年を追う毎にだんだんと万博の魅力が無くなって来たように思います。展示そのものが悪い訳では無く、人間側の方が社会とともに変わって来て、博覧会の意味が薄れたということと、私自身の年の問題もあると思います。今になって、『いのち輝く未来社会のデザイン』と言われても、「そりゃそうですよね。それ大事ですよね」って思うぐらいで、ワクワク・ドキドキはしてこない。万博を先導する政府は、日本国民が「万博」に興味を持ち、参加することを期待しているようですが、今の情報社会の中で、人は何に興味を持ち、何に学べと言うのだろうか。大きなイベントに参加すること、一つの観光であると割り切れば良いとは思いますが、それならこんなに税金を使わなくったっていいのであって、国がお金もテーマも関わる以上、これからの社会をどう生きるかにズパッと直球を投げ込んでくれるような、そして、国民誰もが、「万博行こうぜ!」となるような風潮を作ってもらいたいものです。

 一般博となるから”いのち”なんていう大それたテーマに取り組まないと招致できないということなのかも知れませんが、人を呼ぶということなら、特別博にして、テーマも”いのち”に繋がるところで、国際的関心事の高い「食料・農業博※」なんかでも良いのではないだろうか。世界の食料安全保障、環境と共存する農業、世界フードチェーンに向けたテーマは地球温暖化の世界において重要なテーマでありますし、これならなによりも世界の名物料理や珍しいものが食べられそうですし、日本食のすばらしさを世界に発進することもできます。凡人は「石」をいくら見つめても、そうそう学べませんが、食って「美味しかった」ということなら簡単だと思うのですが、ゲスっぽくって駄目ですかねぇ。

 同17日、筑波山の麓でたわわに実る刈り取り前の稲穂を文頭のアイストップ用の写真として撮った。世間ではコメ不足でスーパーに米が無いとか値段が高いとかで「令和の米騒動」なんていう一揆が起こっているようですが、食い物だけは戦争や経済競争の材料に使われず、世界全人類がタダで食えるようにして欲しいものだと感じました。

 もし、「食料・農業博」で「米パビリオン」というのを作ったなら、米俵が見えないほど積まれた圧巻の超高層・超長期保存・低コスト米蔵(その技術も含めた建物:そんな技術があるかないかは知らん)の展示だけで、説明も無しで良くて、しかも、終わった後、これまでの万博のようにパビリオンは壊さずに、天下の台所「大坂」を象徴して、適正備蓄水準の100万トンの枠なんか外して、そのまま政府備蓄米の保存倉庫に貯められるとこまで貯めて、世界のために使ったら良いのではないか。そんなことを考えてしまいました。

※国際農業博覧会は2023年に韓国で開かれています。

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