週末の麻雀大会

 石破さんが総理大臣となり、組閣も終わり、新しい政策の方向性が徐々に明らかになってきています。私の一番の関心事であります『地方創生』に関する施策については、「新しい地方経済・生活環境創生本部」(仮称)の創設や交付金の倍増の話が出ていて、なんだか安部さんの時にもよく似た話はあったと思いながらも、石破総理の手腕は如何ほどかと期待しています。しかし、何しろ現在の内閣支持率は50%程度ですし、総選挙が終わればまたいろいろと事情が変わることもあると思いますので、今は黙ってもう少し静観することとします。で、今回も私事のお話から農村づくりを考えてみます。

 最近、土日に家族4人で麻雀をやるようになりました。以前は、売れ筋から新作までいろんなボードゲームに挑戦してきましたが、結局、麻雀に落ち着いてきたということです。麻雀って実によく出来たゲームです。そして私は実に弱い。おそらく家族の中で父親、家族の大黒柱としての威厳が保てない程に弱い。

 農林水産省に入った当時、新人研修で、農業関連の研究所の職員が何人か呼ばれ、本省(霞が関)で半年間研修を受けました。そのうちの活きの良い4人の研究者が小平にあった公務員宿舎をみんなでシェアして暮らしたのですが、この時に、私以外はみんな麻雀好きで、週末になれば、飲みに行って、帰ってくると麻雀をしていました。私の大学時代は丁度、大学生が麻雀から離れていく時代でしたが、一緒に暮らしたこの3人は、少々バンカラも残っていて、私がハイカラだったという訳ではありませんが、兎に角、時間があれば、酒と麻雀、稀に合コンという感じでした。

 大学時代に麻雀をまったくやったことのなかった私は、かなり戸惑いましたが、3人が一所懸命教えてくれたので、並べ方とリーチと平和(ピンフ)ぐらいまではできるようになりました。でも、こういう勝負事の才が元々無いのでしょう、私が入ると麻雀が面白くなくなるので、終いには、本省から同期の行政職で採用になった麻雀のできる人を呼んできて、麻雀を打つようになり、私は横で見ながら、時々入れてもらう程度となり、本格的に強くなるようには鍛えられませんでした。実力差があり過ぎて私も面白くなかったというのもあって、それほど熱心にはなれませんでした。

 入省した昭和56年は、行政職の働き方改革の夜明けは遠く、国会が始まると、毎日のように全員待機、上司の皆さんは課長席前のソファで酒を飲みながら質問が入るのを待っていて、場合によっては外にまで飲みに行ったり、麻雀しに行ったりして、店に連絡が入ると呼び戻され、「よっしゃ~」と急いで庁舎に戻る感じでした。そして、都道府県の予算ヒアリングの時期になると、今度は毎晩のように、宴会&接待麻雀の日々が続く訳です。行政システム全体がバンカラではなかったかと思います。今の若い人から言わすと、「それってタイパは?」とか「そもそもこれって労働基準法違反ですよね!」っていうことになります。当時一部の職員は「こんな働き方おかしいよ」と言っていたものの、それを修正しようというほどの思いはなく、組合当番で「定時退庁~、定時退庁お願いします」と火の用心みたいに本省廊下を流す姿もちょっとよたれて、このシステムに流されるように働いていました。メールなんて無い時代だったので、官用車で国会議事堂や議員会館まで行ったり、私なんか一度、質問も回答も何が書いてあるか知らされず、ただ10分以内に国会で待っている課長に渡せと走らされたこともあり、ひたすら全速力で走りました。伝書鳩を雇った方が安く済むんじゃないかと思った次第です。

 この働き方自体に疑問はあるものの、新人であるし、何も言えないし、みんなこれを乗り越えていくものだろうと思っていましたが、麻雀だけはどうも私の体質と合わないみたいで、積極的に覚えることが出来ず、接待だからちゃんと勝たせてくれるからと言われても、それもなんだかプライドが許せず、結局覚えず終いで、いや覚えられず終いで、研修を後にし、つくばに戻り、研究生活を送ることになったのです。

 あれから40年、麻雀は一切していませんでした。それが、退職し、老後を迎えて、最近になってようやく始めることとなったのです。長男は誰の才能を受け継いだのかよくわかりませんが、勝負事に滅法強く、どんなゲームでもすぐ覚え、コツを掴み、勝ちまくる。その長男が、認知症対策になるのではと我々夫婦に教え、更に次男に教え、そして、今は家族皆が填まり、毎週末の『家族へぼ麻雀大会』となる訳です。今は妻も次男もそれなりに強くなりました。あれって、性格がそのまま反映されるみたいで、みんなそれなりに大きな役で上がろうとしますが、私はちまちまとリーチ麻雀で生きながらえます。小さい役ですから連続で私が上がることもあるのですが、半荘が終わる頃には結局は私が負けていることが多くなります。最後に覚えた次男なんか、大役で一発逆転に懸けてくるものだからちょっと恐ろしい。

 私の推奨する農村づくりの活動は、地域コミュニティ力が脆弱な場合の始めの一歩を作る活動です。それは、住民ひとり一人が自然を読み取る力である「自然知」、自分の能力や役割を知る力である「身体知」、歴史や先人から学ぶ力である「伝承知」である3つの知、所謂『暮らしの知』を鍛えて、社会や環境の情報を共有認知しながら、協働でコミュニティの力を高みに導くことです。これは麻雀で言うと、自然知を要する「配牌」、身体知が大切な「手牌」、伝承知となる「捨牌」という雀卓上の環境・社会全体の状況を読み取って、聴牌(てんぱい)に持っていくところに当たりますが、麻雀の戦い方を見ていると、それでちまちまと自らの腕を鍛えるだけではだめで、和了(ロン上がり)に向けて動き出すぞという時には、一つでも上の役を目指す勝負に出ることも大切なのだとつくづく思います。それは、農村づくりにおいてある程度の地域コミュニティ力がついた段階で、活性化へ向かう時は、勝負事なので、失敗を恐れず勝負に出ないといけないということを示唆しているようにも思います。

 ということで、『地方創生』の施策においては、地域コミュニティ力を鍛える制度施策と勝負に出るためのばら撒き施策の両方が必要で、そのバランスをどう取るかが石破総理の政治手腕ということになるのかな。でも、でもですよ、私の麻雀、弱いと言っても、4回に一回ぐらいは勝っているのですから、『地方創生』においても、ちまちまと鍛えた地域コミュニティ力はやっぱり大事な訳です。間違っても、勝負事に加勢するみたいなばら撒きに重点を置いた施策推進にだけはしないで欲しいと思いますネ。

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