ニンギョウトビケラ、怒る

 山口県にかつては錦町という町がありました。今は合併して岩国市になったようです。かなり古い話ですが、その町で、農村づくりを考える上で、たいへん興味深い光景に出会ったので、少しうろ覚えのところもあるのですが、お話しておきたいと思います。

 当時、私の研究室に研修に来られていた山口県の農業改良普及員さんに、錦町の小学校で地域環境保全の取り組みを熱心にやっている先生がいるので見に来ませんかと誘われました。

 私も丁度、全国の子供たちを対象に農村景観の評価会をやっていた時期でしたので、子供たちの環境学習の時間を少し借りて、評価会をさせて貰えませんかと先生にお願いしたところ、たいへん快く引き受けてくださり、1時間ほど時間をいただきました。私がやった景観評価会というのは、そうたいしたものではなく、農村でよく見かける様々な景観のスライドを投影して、5段階評価で評価をしてもらうというもので、全国の子供たちが、どんな景観に農村らしさを感じたり、綺麗だと思ったりするのかを探るものでしたが、このお話は、また別の機会にさせて貰うとして、ここでは、景観評価会の後の小学校の環境学習での出来事についてお話します。

 その活動は理科を得意とする先生が中心となって小学校5、6年生に対して行われていました。

 錦町は、岩国市の観光名所として有名な錦帯橋のかかる錦川の上流に位置し、たいへん美しい川が町の中心地を蛇行して流れていましたが、川にはたくさんの水生昆虫が生息していました。錦帯橋付近にもニンギョウトビケラ(人形飛螻蛄)というトビケラの一種が生息しており、川砂や小石で作った巣が人の形をしていることからその造形は「石人形」と呼ばれ、錦帯橋の傍には岩国石人形資料館もありました。

 錦町にもトビケラをはじめとした様々な水生昆虫が生息していたので、先生は川の水質と水生昆虫との関係を子供たちに教え、川の環境を守ることの大切さを伝えようと張り切っていました。

 私たちが主催した景観評価会では、子供と大人の評価の違いを捉えようと、子供たちの親御さんにも参加していただいたので、この日は、子供たち十数人とその親御さんたち三十人ほどが体育館に集まっていました。

 先生はこれまでも子供たちとたいへん有意義な活動を続けていましたが、これを機に、子供たちの関心を地域の大人にも繋げていこうと考え、子供たちにある課題を与えました。

 彼の課題は、前の週に子供たちと川で採集した水生昆虫を一人一人ビンに入れて家に持って帰らせ、お父さん、お母さんに見せて、これはどういう生き物だと説明するというものでした。この日は、お父さんお母さんの感想も聞ける、地域一帯の環境学習ができ、面白い授業になるものと思って、相当張り切っていました。

 先生はこれまでの取り組みを簡単に紹介し終えると、子供たちに、「はい、みんな、川で見つけた虫たちをお父さんお母さんに見せて説明できたかな」と切り出しました。すると、何人かの子供はすぐに反応して、「見せました」とか、「説明は難しかった」と返事があったのですが、ちょっと期待していたのよりは反応が薄い。先生はもう一度、「どうだった、みんな」と言ったところ、子供たちの中から「気色悪い、そんなの見せないでと言われた」とか「忙しいので後にしてと言われて見てくれなかった」と声が上がったのです。岩国弁だったとは思いますが、そのような内容のことを口々に発しました。

 先生は、これはまずいと思って、後ろの方に座っていた親御さんに向かって、「お父さん、お母さん方、子供たちから説明聞いた方、手を挙げて貰えますか」と問いかけると、なんと、五、六人は手を挙げたが、他の人は互いに目を見合わせながら、あぁ、そう言えばという顔をした。また、中の一人が「虫なんかいくらでも見てるわ」と言わなくて良いことを言ってしまった。

 素直でかわいい子供たちが親に話しかけていないことは絶対無いと思った先生は、瞬く間に顔色が変わりました。

 「お父さん、お母さん、子供たちが一生懸命、錦川に入って採集して、調べて、自分たちの地域にはどんな生き物がいるのか。川の水は汚れているのかいないのか。また、どうしたらこの地域の環境を守れるのか。これらの環境が自分たちの地域の誇りとなるのかならないのか考えているんです。大人が、汚いだとか、知っているだとかで済ませないでください。中には珍しいのを捕まえた子もいるんですよ。見飽きたなんて思っている人が一番自分たちの地域のことを知らないんじゃないんですか。これからも環境学習を続けていきますので、もっと関心持ってください。子どもたちの言葉に耳を傾けてあげてください。親が関心を持たないとお子さんたちも関心がなくなるんです。地域に興味の無いそんな子供が地域に残ってくれると思いますか」

 最後はかなり真っ赤な顔になって、めちゃくちゃ怒っていた。おそらく、喋っている内容は少し私が脚色しているかも知れませんが、少なくとも、私はあの真っ赤になった顔が忘れられない。更に、一瞬、怒った先生の顔がニンギョウトビケラに似ていると思って、印象に残りました。

 親御さんたちはかなりドキッとしたと思うが、そのころ同年代の息子がいた私も、親として、何かものすごく恥ずかしい思いをしたように記憶しています。

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