互助の精神に反する

 最近、私の家内は、「メルカリ」を使ってよく服飾品を売っています。若い時の服を後生大事に取ってあったけれど、歳も行って、もうおそらく着ることもないだろうということで、売っているということでもありますが、ただそれだけでもありません。

 私と家内は、消費生活に対する考え方がまったく正反対で、私は、気に入ったものを少し買って、大事に長く、擦り切れるまで使う派で、要するに基本的にミニマリストです。汗かきのため、下着類等はたくさんあるものの、外出着はものすごく少ない。外出時、家内に、「またそれ着ていくの、いつも同じものばかり着ていると、私が鬼嫁で、旦那に何も買ってあげていないと思われるからやめてよ」と言われます。それに対して、家内は、私に言わせると「去年買ったブラウスとどこが違うの」となるのだが、気に入った服があると、同じようなものでもすぐに買ってしまい、例によって例のごとくタンスの肥やしになるパターンが多い。「ミニマリスト(最小限の持ち物暮らし)」の反対で、「マキシマリスト(たくさんの物に囲まれた暮らし)」とでも言うのか、とにかく、モノに溢れて生活しないと気が済まないらしい。

 その家内が最近填まっているのが「メルカリ」です。置く場所がなくなっての断捨離みたいで、若い時の服だけではなく、最近のものでも使わなくなったら、早めに売っているようです。「メルカリ」は、テレビでも宣伝していますし、最近はテレビのニュースや新聞でも取り上げられることが多いので、なんとなく名前ぐらいは知っているという方も大勢いると思います。本研究会の読者は年配の方が多いと思いますので、名前は聞いたことはあるが、やったことはないと言ったところでしょうか。

 少し説明しますと、「メルカリ」というのは、フリマアプリの経営会社の一つで、代表的にこの名前がよく取り上げられますが、フリマアプリに当たるものは、他にも楽天が経営する「ラクマ」なんていうのもあります。フリマアプリというのは、フリーマーケット・アプリケーションの略で、オンライン上で、フリーマーケットのように、個人間で物品の売買を行えるスマートフォン用のアプリ(モバイルアプリケーション)のことです。「ヤフオク」、「モバオク」などのインターネットオークションは出品者設定の初期価格が、入札者によって希望価格が入札されることで価格が競り上がる形式ですが、フリマアプリでは、出品者が設定した販売価格で、購入者が購入できる仕組みとなっています。価値を個人間で駆け引きする場面が無いので、手っ取り早く売り買いができる点は良いのですが、出品して販売する側が購入側の購買欲求の弱みに付け込むこともできる点で、問題も多いようです。

 そもそものフリマの精神は、『買ってはみたけれど、うまく使えなかったとか、使う場面が無かったとかで、不要になったり、少し使ってみたが、自分としてはもう少し別のものの方が良かったなど、不満を持ったりすることはあるので、それを要らないと言って捨ててしまうと、「もったいない」プラス「環境に良くない」と言うことで、他にそれをリユースで使ってもらって、環境にやさしく』ということではないかと思います。

 只、私としては、「決める時によく吟味していないからそういうことになるんだ」と言いたくなります。吟味して購入しても確かにうまくない時はありますが、「買ったんだから、我慢して使ったらいいじゃないか」とも言いたくなります。しかし、これは価値観の問題らしく、家内に言わせると、「がまんして使っていると、そのストレスが別の消費に回ってしまうので、かえって大量消費の引き金となって、精神健康上良くない」と、到底、私には理解のできない理屈を捏ね回されてしまいます。

 私が誕生日に贈ったものなんかは出品されていないことを、感情的には願うものの、まぁ、そうであったとしても、まったく使わないものであれば、他にその商品の価値を理解してくれる人がいるならしかたないかと、家内の我儘メルカリ生活を許しています。

 しかし、最近のニュースを見ていると、このフリマアプリを使って、マスクやらトイレットペーパーやらアルコール消毒液等を妨害な値段で出している人が多くいるそうで、新型コロナウイルスに発した社会問題となっているようです。

 家内がスマホの「メルカリ」の画面を私に見せて、「トイレットペーパー6ロールセット2000円で出品している人がいて、それをまた買っている人がいるよ」と言う。我が家では、騒ぎになる前にもトイレットペーパーは十分あったし、デマであるということをよく理解しているし、更に言うと、近くのスーパーでは順調に陳列されているようなので、気にはしていなかったのですが、たまたま昨日、ディスカウントショップのコストコへ行ってきて、トイレットペーパーどうなっていのかと見てみると、いつもの30ロール入りがばらされ、6ロールのセットになって417円で売られていました。メルカリで売られていたものと同じものです。家内と私は口をそろえて、「売る方も売る方だけど、買う方も買う方だ、手数料1600円?」

 確かに、ボランティアとして無料で出すほどの余裕はないという方もいるでしょう。郵送費も手数料もかかるので、少々のプラスαはあっても良いのでしょうが、417円が2000円とはあまりにも酷過ぎる。フリマの仕組みを使った消費弱者いじめとしか言いようがない。

 有り余るほどあるなら寄付したら良いし、少し御裾分け程度なら、手数料をもらうとしても、これはあまりにも「互助の精神」に反しています。互助価格というのがあるように思います。

 昔の互助は、隣組の醤油や味噌借りといった隣近所への無料のお裾分けに留まっていましたが、今はICTを使えば、遠くの困った人にも互助の輪を広げられるということで、それはそれで良いことなのかもしれないし、そこに少々のお金のやり取りがあったとしてもしかたないのかもしれませんが、本物の「互助の精神」は明らかに薄れてきていると言えるだろう。

 パニックの時に他の国ではよく暴動や強奪が起こると言われていますが、日本はそれがない国だと言われていましたが、グローバル化しつつある日本ではそんなことは言えないかもしれません。これは一つのパニックに乗じた強奪のような気がします。再度、「互助の精神」を持ってもらいたいものです。

※山村は互助の精神で暮らしていく。人の優しさこそが最高の地域資源だ。(写真はイメージ)

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