カセットテープ(2)

<カセットテープ(1)の続き>

山本「皆さんすごいですね。地域を良くしようという想いがヒシヒシと伝わってきました。正直言って、この話し合いを聞いただけで、この地域は大丈夫だと思いました。さっきから話合いされているのを聞いていますと、あれもダメこれもダメと袋小路に入っているものも多かったですけど、何を使って地域活性化をしようとか、景観を玉にして地域づくりをしようとかいう前に、皆さんが互いに冷静に地域の実情を洗い浚い言い合えることがすごいと思いました」

区長I「そうなんや、これまで話し合いはいろいろやってきたんや。役員だけやのうて、農業部会も入れて議論もしたんや・・・なぁ」

とIさんが言うと、Dさんがそれに付け足す。

副区長D「だめなんよ。先生さっき言われた通り、すぐ袋小路になるんやわ」

山本「僕は袋小路が何度も何度もあっていいと思うんですよ。そんなに簡単に答えが見つかるなら、日本の農村みんなようなりますって。そんなことないでしょ。大切なんは答えを見つけることやなくて、どうしたら答えを見つけることができるかを皆で考えることじゃないですか。例えば、バス路線が廃止になる件も、市に陳情しているんだとは思いますが、ただ我武者羅に、廃止をやめて欲しいと言ったってだめですよね。これからこの集落はこういう活性化のアイデアを持ってるんで、来てくれる人も多くなりますから、なんとかもう少し先延ばしできませんかみたいな説明が要りますよね」

 分かったような分からんようなことを言って少し胡麻化した。Iさんは私のまとまらない意見に胡麻化されず喋り続けた。

区長I「話し合いは大事やと思うてます。Kさんに頼んで、一昨年、補助事業でそういう話し合いを支援するお金が貰えたもんで、そんなんも使って話し合いも結構やったんですわ。普及所にはいろいろとお世話になってますわ」

山本「話し合いで何か決まりましたか」

区長I「楽しかったんは楽しかったけど、ワイワイ言うて御終いになってしもうたわ」

山本「何か話し合った中で実行に移せたものはあるんですか」

区長I「特にないなぁ。あの時はDさんに代表やってもらってたんやけども、Dさんどうやったかな」

 DさんはちらっとHさんの顔を見ながら答えた。その訳はすぐに分かった。

副区長D「なんかあったかいな。おそらくありませんわ。でも結構意見は出ましたわ」

 それまで楽しそうにみんなの会話を黙って聞いていたHさんが口を開いた。

Hさん「Kさんにお世話になって、若妻会で紙漉きの講習会やってもらったりしたんで、和紙で短冊でも作って、桜が満開の時に、桜の下で歌詠み会でもやりましょうや。野点なんかもしますかみたいな話が出て、十人くらいですけど、みんな集まってやりました。若妻会言うても、みんなおばちゃんばっかりやから、先生が思うてはるのとは違うと思いますけど」

話終わるか終わらないところで、Dさんが茶々を入れてきた。

副会長D「あれは趣味みたいなもんやな。Hさんあれは地域づくりにはならんで」

 今度は、普及員さんと私がほぼ同時に、Dさんの言葉を遮るように声を発した。

山本「いや、それでよろしいんだと思います」、普及員K「それがええんちゃいますか」

 みんなの視線が急に私たちに集まった。そして私は先に話を進めた。

山本「若妻会の活動いいじゃないですか。活性化しよう活性化しようと考えず、何か小さいことでできることから一歩ずつ始めれば良いのではないですか。話し合いをもう一回やってみましょうよ。前にその補助事業でやったのはまとまっていないんですよね。もう一度まとめてみましょうよ。そして、一つ一つ丁寧に、実行の可能性を探ってみましょうよ。ここは景観もやっぱり美しいところですよ。だって、Mさんたちが俳句を読みたくなるくらいなんですから。特別な景観ではなくて良いんですよ。皆さんが、ここは景観が良いなぁと思うところを探したりして、楽しいことをしていくので最初はいいじゃありませんか」

副区長D「先生は学者さんやから綺麗ごとで済むかも知れんけど、現場はそんな甘いもんとちゃいますよ。バスのことももっと陳情に行けって言いはりましたけど、役所が決めたことやし、簡単には変わりませんで」

山本「儲けになるかならないかと考えるから袋小路に入っちゃうんですよ。役所だって、ちゃんと分かって路線を決めてるのかどうか。農村づくりはこうでなければならないというのはありませんし、農産物を売ったり、観光で人に来てもらうことばかりじゃないです。綺麗ごとやと言われるかも知れませんけど、儲け話は後にしましょ。外向きに何かするんじゃなくて、住民みんなが楽しく住み続けるためのことを考えて、それがたまたま外部の人に売り物になるんだったら売り込んでいくので良いんですよ。お金のあまりかからんことから挑戦してみましょうや。背伸びは失敗の素ですよ。必ず最後は農業の活性に繋がって来ますから」

 最後はなんとなく助言的にまとめることができた。

 今、テープを聴きながら思い出しますに、会話には最初重苦しい空気が流れていましたが、徐々になんとなく明るくなってきたのではなかったかと思います。この辺りの資料や写真は退職の時に処分してしまいましたが、このテープだけが家の机の片隅に残っていました。

 この集落の農村づくり支援はその後10年に渡って続き、バスの路線廃止の阻止に始まり、圃場整備、特産物の開発、景観づくり、直売所経営に発展していきますが、最初、こんなにギクシャクしていたのかと驚くばかりです。

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