農村づくりと先祖神

新年あけましておめでとうございます

 本研究会の会員の皆様、農村づくりに携わる全国の皆様並びにホームページの読者の皆様には、旧年中は、一方ならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

 本年も、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げますとともに、農村づくりや多面活動の運営に向けて、研究会として皆様のお役に立てるようがんばって参る所存でありますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 昨年末から日本全国、極寒の日が続きますね。特に、北陸、東北地方をはじめ、日本海側の皆様にとっては、寒さだけでなく、大雪の連続で、たいへんな日々を過ごされていること、大変憂慮しております。是非、この記事を読まれている方とそのご家族の皆様が被害なく、御健康に日々を送られることを切に願います。

 さて、皆様は初詣は行かれましたか。私は信仰心が厚い訳ではありませんが、毎年欠かさずに初詣に出かけます。当家がいつもお参りするのは、茨城県竜ケ崎市にある女化神社です。真の意味で、決して、ここが氏神様でもなければ、ここの氏子でもありません。真の意味と言ったのは、私が本当に信仰するという意味での血縁一族の先祖神が祀られているところではないからですが、この地域一帯を守っている神様としては信仰しています。両親の最期の地となった牛久市の近くで、二人がよく参拝していたことや、父が商売人でもあり、商売繁盛の代表格である稲荷大明神を崇拝していたようなので、この神社を詣でることにしています。

 考えてみれば、私は兵庫県の尼崎市に生まれましたが、両親は徳島県と愛媛県の出身ですし、就職して茨城県のつくば市へ来てからすでに40年になりますし、妻も千葉県出身です。家制度に捕らわれない彼女からすると、「当家」とか「一族」がどうのこうのなんて言うと、「私の一族の先祖神はどうなるのよ」と言われ、ややこしい話になって来そうです。こういう場合、私の先祖神はどこに御座(おわ)すと考えれば良いのでしょうか。一族の氏神様のところに一緒に居ると言われても、一族がどこからかがよく分からない。おそらく高松市の何処かなのかも知れないが、それも定かでない。生前に両親からどこの氏子なのかを聞いたことがないし、お宮参りにどこに行ったのかもわかりません。

 そこでとりあえず、おそらく父と母の霊がここに間借りしているだろうと、「是非、当家もよろしくお願いします」と、女化神社をお参りさせていただいているというところですが、父と母はもう四国に帰ってしまったのでしょうか。一度、私のようになんとか先祖神をお参りしたい場合どうすれば良いのか神社庁にでも聞いてみないといけないと思っているところです。

 農村部は都市部よりも先祖神の所在が明確で、すばらしい、羨ましいと思うことがあります。もちろん、都市部でも、下町などでは氏神や先祖神が明確なところもありますが、新興住宅地などではどの神様が地域を守ってくれているのかよく分からない。

 私が言うところの『農村づくり』においては、農村は地理的な地域資源の共有社会としてだけではなく、村落のような地縁的な人間関係を含む社会的・文化的な繋がりの維持と拡大とその密接性の充実はとても大切だと考えています。ですから、地域を守っている土地神様や氏神様の所在を知ることはその地域に暮らすための第一歩のように思います。

 家族の住む地で子供が生まれれば、お宮参りもその地域の神様に報告すべきで、有名で豪華な神社に行けば良いというものではないのではないかと思うのです。だって、その子供はしばらくその地で成長していく訳ですから。その地の神様に守ってもらわないと、有名な神様だってそんな遠くまで出張するのは大変でしょう。

 苦しい時の神頼みではなく、地域の日常に寄り添う神様の存在とそれを維持する集団は地域のコミュニティの根底にあった方が良いのではないかと思います。 

 氏子会がしっかりと残っている場合は、地縁としての繋がりが固過ぎて、排他的になる場合もあるようですが、今や農村には地縁的につながりの無い人もたくさん暮らしていますし、農家も少なく、農業と密に繋がる数々の神事を滞りなく行えない場合も多くなってきています。これからの氏子会では、寧ろ、地域の自治会や農村づくり推進組織とうまく連携して氏子集団を維持していくのも大切ではないかと思います。実際に、氏子関係人口を増やしているような氏子会もあるようです。

 元東京大学、現福島大学食農学類長の生源寺真一先生は、『ふるさと資源の再発見』の中で、「農村には農村社会に継承されているルールを遵守する気風や農村社会に備わった合意形成力を有する農村コミュニティが存在するとし、そのコミュニティを支えている要素は、①地域資源が地域社会の共同活動によって守られ、②定住性の高い社会であり、③地域の歴史に育まれた様々な伝承が重要な役割を発揮していると述べられています。私もその通りだと思いますが、農村社会のあり方の中で、これらを言葉にしてしまうと「文化」とか「伝承」とか、「柄」とか「気風」とかの平易な表現になってしまいがちですが、その深くにあるのは先祖から脈々と繋がる地域を愛する心の共有・共感性というものではないかと思い、それを形成し、強くしていくことが『農村づくり』ではないかと思います。

 若い時はそんなことはほとんど感じませんでしたが、六十歳を過ぎて、自分自身の地元の神様との接点の薄さに気づき、寂しくなってしまうと、その重要性にようやく気づきます。農業をしていなくても、土地への愛着はあり、その地に住む者として、神様との近い関係を作れるとき、本当にその土地の人と成れるのだろう。そんなことを感じた今年の初詣でありました。

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