日常で伝えること

 とある地域で、とっても迫力のある人物に出会った。その地域で自然環境保全などに携わっている団体の代表者であった。いつものように農村づくりについてお話を伺っていたところ、彼はこう言いきった。

 「僕はこの地域のことについて知らないことは何もありません。裏山に何匹のイノシシがいて、どこに山百合が咲いていて、自然薯が自生している場所から、カブト虫のよく採れるところまで全部知っているよ。なにせ、子供の時から田んぼで遊んで、野っぱらを駆け回ってたんだし、今も毎日見ているからね」

 自信満々に、捲し立てる。この地域では、彼のグループが中心になって、子供たちへの環境教育を進めていた。活動はいつも盛況で、子供たちの受けもとても良い。また、それだけ自信をもっておられる方だから、お話もたいへんうまく、私もどんどんと引き込まれていった。

 彼は、元々から昆虫や植物のことが大好きで、しかも、単に生物の名前を知っているとか生態を知っているということではなく、自然の成り立ちと共にその生態を把握していて、農業や生活との繋がりまでも理解されていて、素人とは思えず、大学の生態系の先生と話しているみたいにすごい。次の時代に地域を担う子供たちに、この地域のすばらしい自然と農業の重要性を伝えねばと、私財も投資していた。

 ある日、私は、たいへん期待をして、子供たちとの活動に参加させてもらった。 何が始まるのかなとワクワクしていると、二十数名集まった子供たちに、先ず講義が始まった。確かに子供たちが前のめりになって訊くような楽しい講義だ。おそらく、どの子も、授業が全部こんな感じだったらと思ったことだろう。いよいよ、野外学習になった。その日は、昆虫採集というのか、裏山に入って、ある地点を中心にして、子供たちに自由に探索をさせていた。

 すぐに何人かの子供は知らないものを見つけて、「これ何」、「これ気色悪い」、「なんか臭いぞ」と騒ぎ、ある子は虫を捕まえて、彼のところに持っていき、ある子は手を引いて、彼をその場所まで連れて行っていた。彼はひっぱりだこだ。虫が苦手で、まったく近づけない子も若干いたが、流石は長年やっているだけのことはある、彼が優しく指導して、帰るまでには少し虫が触れるようになっていた。

 しかし、見ている内にだんだんと疑問が生じてきた。あれっ、これは、たいへん優秀な理科の先生の授業と似ていないか。講義では、農業と生き物の関係などについても話していたが、考えてみれば、あれも理科の授業のちょっと高度なやつかもしれない。

 地域にどんな昆虫や植物が生息しているのかを知ることは、農村づくりにとってはとても重要なことである。よって、環境保全活動として、彼の取り組みは素晴らしいし、必要だと思う。只、私が感じた疑問は、教えるとか伝えるという行為は、生産や生活が伴う行為の中であってこそ、その意味が伝わるものではないかと言うことだった。

 例えば、裏山の下草刈りをしている最中に、「ああ、これは○○の幼虫だね」とか、田植えをしている最中に、「豊年エビがいるね、今年は大量発生だな」とか、下校の道端で、「最近はヒグラシの鳴き声が少なくなったね」と実感していくことが重要なのではと思ったのだ。

 活動が終了した後で、彼に率直にこの疑問をぶつけてみると、彼はこう言った。 「山本さん、その通りです。本当は、子供たち同士や親子で、そういう会話をしてほしいし、機会あるごとに、親が知識を子供に伝えていってほしいんですよ。僕の子供の時の話なんですけどね、親父と風呂入ってたら、風呂の天井近くの窓のところに蜘蛛が巣を張ってて、あまりに足が長く異様だったので、湯船につかってじっと見ていたら、親父が、「何やお前はあれが怖いのか」と少しバカにされて、イエユウレイグモは、蚊捕まえてくれるんだぞと、自分の拙い知識を伝えてくれた。僕は、その時初めて蜘蛛という異様な生き物が自分の生活に関係しているということを実感し、ついでに『のぼせる』ということも初体験しました。でも、山本さん、今、そんな体験、誰がさせてくれます。風呂場には虫はいないし、あれだけ嫌いだったカマドウマもトイレにいなくなった。親父は会社で、飲み会で、子供は子供で、家でゲームばっかりです。母親も、子供に料理の手伝いでも、買い物の手伝いでもなんでもさせればいいと思うのですが、チンで終わる奴ばっかりですし、手伝いより先に勉強と言うものだから、兎に角、家族が地域のことを話す機会がなくなったように思うんです。生き物の話なんて、先ず発生しないでしょ。だから、僕らの団体の活動がどうしても必要になってきてしまいます。農村の生活と繋がるところで無理やり教えるみたいなことになってしまうんです。農家の子供でも田植え知らん子もいますから、田植え体験も、数時間だけ、田んぼに入って手植えなんか体験させてますが、あれも田んぼの感触、臭いを知ってもらうのにはいいのですが、農村や農業とは何かはなかなか伝わらんだろうなぁと思っているんですが、なかなかいい方法が見つからない。本当はトラクターにだって乗せんといかんのかなと思ってます。山本さん何かいい手考えてくださいよ。まぁ、そんなこんな言っている内に、僕らの世代も歳とって、次へうまく繋げるのも難しくなってきました。どこまで続けることができるやら」

 農業や農村の良さ、農村という二次自然の成り立ちを教えるのではなく、伝承するということは難しい。大切なのは、見方、読み方を日常の中で、事例を以って伝えることだ。しかし、その事例となる素材自体とも接する機会は減ってきている。しかし、それ以上に減ってきているのは、日常的な親子の会話かもしれない。

 4月1日、エイプリルフールだ。我が子に、真顔で言いきってもらいたい。

「お前は、家ん中に何種類の蜘蛛がいるか知っているか。父さんは知っているぞ」

(※写真はイメージです。本文の地区の写真ではありません。子供たちが集落点検で何かを発見した瞬間です。)

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