寄り添えないボランティアは要らない

 私の実家の西宮市の家は、29年前、阪神淡路大震災の直撃を受け、家は半壊しました。ちょうどその前年にたまたま屋根を修理して、軽いものにしていたので、なんとか全壊は免れ、両親も10時間ほど倒壊した屋内に閉じ込められたのですが、命はなんとか助かりました。

 当時、父は西宮の小学校で用務員のアルバイトをしていましたので、そのまま避難所になった学校で避難者への弁当配りなんかを手伝っていましたが、その時にボランティアの質の悪さについて嘆いていました。つくば市に住んでいた私に電話をするたびにボランティアがどうのこうのと文句を言っていたのを、今でもこの時期になると思い返します。その後の東日本大震災なども経て、ボランティアはより効果的、機能的に支援されるようになってきたとは思いますが、阪神大震災では、一般の市民がたくさん災害ボランティアとして参加したことから「ボランティア元年」とは呼ばれていますが、実態はいろいろと問題があった訳です。

 父が一番良くないと言っていたのは、組織の統制が取れていないのを良いことに、弁当だけを食べに来ている人とか、風呂だけに入りに来る人とか、酷い場合は、「旅費出ないんですか」と聞いている人もいたらしい。更に最悪のケースとしては、自分も決して健康ではないのに、なんとなくの使命感に襲われて現地に来てしまい、具合が悪くなって寝込んでいるなんていうのもあったそうです。今はそこまでひどい例は無いとは思いますが、また違った悪例も出てきているみたいで、未だに被災者に寄り添えないボランティアもいるようで、困ったものです。

 ボランティアは自己満足でやるものではありません。あくまでも、被災者がどんな気持ちでいるのかに寄り添う中で、支援できることは「何か」です。しかも、それは「自分がやりたい」ではなく、「組織的に必要とされてやる」であるべきです。なのに、最近の風潮もあってか、SNSで自分がどれだけ貢献したかのボランティアの様子を配信している者もいるらしいですが、あってはならないことではないでしょうか。政治家だってそうだ!報道によって拡散されるのは良いが、自分がやったやったと一時だけ現地に居て、支援物資の前で写真を撮ってSNSにアップするなんて言語道断。誰に褒められなくても、報道されなくても、常に被災者に寄り添っているだけで良いではないか。

 そんな中、当時父が「本物のボランティアだ! あの人たちは凄い」と言っていたのは、重機使いのボランティアさんたちです。彼らは、そもそも重機使いというスキルがある上に、安全性の確保や二次被害への配慮のスキルもあり、無理をしない適正な作業を冷静にやれる技術を持っています。現場の状況に応じて、柔軟に対応できるらしい。最終的には猫の手も借りたいということでの単に片付け人手としてのボランティアの需要もあるとは思いますが、発災からしばらくの間はやはりこういった専門スキルの高い人や資金力、組織力のある人に集まってもらわないといけないでしょう。

 後、父が困ったものだと言っていたのは、支援物資の整理だったらしい。東日本大震災時でも、いろんな地域から支援として様々な物資が送られて来るが、なんだかんだと詰め込んで送ってくるのは支援にならないことは指摘されていた。仕分けに時間がかかり、人手が足りないところに更に人手が要ることになり、逆に支援を妨げているからです。

 父は自分も被災はしていましたが、とりあえず家は直せばなんとかなる程度だったので、数か月の間学校で、ボランティアになっていたのかどうかはわかりませんが、元々の用務員の業務の続きもしていたのですが、ボランティアは難しいものだと言っていました。「俺らはなんもでけへん」と言って嘆いていました。

 ただ、その中で一つ、父からの明るい言葉もありました。「俺とこもやられて、一時期は避難所暮らしもしていたし、これからどうしようという気持ちは被災者と同じだったので、もし俺がボランティアとしてできていたことがあったとしたら、時々、避難所にいる避難者に、『たいへんやなぁ。お宅はどうだったのと。奥さん亡くなったん。そりゃ辛いことやね・・・』と話しかけて、『家で作った芋煮で、お口に合うかどうかわからへんけど食べへんか』と差し出して、美味しそうに食べてくれると、俺の料理のスキルはちょっとボランティアになっているかもな」と思ったそうです。寄り添いとはそういうことではないかと思いました。

 私は東日本大震災の時に、日本農村生活学会大会において、ライフライン復旧以降の技術サイドの「寄り添い型支援」のあり方の3原則を提唱しました。

  • 住民主体で考え進めることを支援し、一方的な技術提供や無理な助言・指導をしない。
  • 住民がこれからの生活基盤の立て直しを考える場合に出る様々な不安や疑問に、科学的根拠とイメージの共有性をもって、総合的に応える。
  • 持続的な支援により、誇り、勇気、感動等の心理的高揚感とともに考える力を養えるようにする。

 今回も集落の存続の問題なども出てきているようですが、是非、一方的な合理性の押し付けなどはせずに、よーく住民の話を聞くところから進めていただきたいと思います。

※投稿とは合致していませんが、集落復興の計画はライフラインが整って、気持ちが落ち着いてから進めます。先ずは、一つ一つ話を聞いて、問題点や要望を出してみることです。急いではいけません。

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