今回は、景観の話をさせていただきます。

 私は2019年7月28日の投稿、「知との心の形成としての景観づくり」で、美しい景観とは、景観の形成に関わる人、特に地域住民の「暮らしの知」の共有と「気遣い」の精神が創りあげる地域の資産だと定義づけました。

 そして、民俗学者柳田国男の言葉である「美しい村をつくろうなどという計画はありようはずがなくて、よい生活をしている村がひとりでに美しくなってゆくのではないかと思われる」をお借りして、景観の美しさは地域をあたたかく見守り育てる人の「なりわい」によって形成されるのであって、特別に景観を設えて作るものではないという考え方を紹介しました。

 もちろん、景観の美しさは、例えば黄金比のようなバランスで成り立っていて、それを設えれば美しくなるのだとも言えるかも知れません。それはそれで否定しようとは思いません。確かに統計的に多くの人がそれなりの美しさを感じる法則はあるからです。ただ、私は、それ以上に大きな要素となっているのは、そこに辿り着こうとする努力そのもののすばらしさであり、これを無視した美しさの法則は無いと言いたいのです。

 そもそも「美しい」とは何かという壮大な美学の問題を、拙いながらも私なりに紐解いてみたいと思います。

 景観づくりを実践している地域へ行くと、「私どもの地域は、沿道に花いっぱいの花壇を作って、美しい農村景観をつくりました。先生いかがですか。とても美しいでしょう」とよく聞かれます。私は「なかなか美しい景観ですね」「良い景観になりましたね」と褒め称えるのですが、私の評価は花の美しさにはありません。誰が花を愛でるのかというと、植えた本人だけではなく、沿道を通る様々な人々であり、それらの人々に綺麗だと感じさせ、安らぎを与えた地域の方々であるので、そこに辿り着くまでの努力の過程にこそ美しさがあると思うのです。

 私の「美」の考え方の基本となっているのは、実は、漢字の成り立ちです。「美」という文字の成り立ちには諸説ありますが、一般的に解釈されているのは、中国最古の字書「説文解字」に載っている「会意文字」としての「羊」+「大」の二文字の構成です。羊は古来より神事の際の献物として供えられていた動物で、大きな羊は献物としての価値が高く、「美しい」とされたということです。しかし、私がもっとも腑に落ちる説は、「羊」を「犠牲の象徴」として読み取る「美」です。

 「美」という字は「羊」に「大」と書きます。「羨」ましいは「羊」に「次」、「義」は「羊」に「我」と書いてあります。漢字の成立は約三千年前からなので、それよりも後にはなりますが、キリスト教でもイスラム教でも、宗教的に「羊」は犠牲を表しています。

 犠牲の精神が最も美徳とされる世の中で、次の順番であるから、先に犠牲を払えた者が羨ましいのであって、自分を犠牲にしても守るべき道理が義理であり、「美」は最大の犠牲の精神を表すという解釈ができます。

 景観が美しいとはどういうことか。最大の犠牲を払ってできた景色だから美しいのであるというのが私の根本にある考え方です。自分の時間や労力を割いて、沿道の花を植える行為をしたこと、自分の仕事を放ぽってでも、田んぼの草刈りをしたこと、自分のためも含んでいるでしょうが、地域みんなのため、訪れる人のため、そして将来の子供たちのため、その景観を享受する国民のため、身を挺して働いたことがその景観を美しくさせているのです。沿道の花植えや草刈りぐらいで、犠牲なんて言葉には当たらないかもしれませんが、なんらかの共助には犠牲的精神は必要です。私は、先ずはこれを「美しい」と言いたいのです。

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