吉浜をラッキービーチにしたリーダー

 私は、現役時代、大船渡市の吉浜地区で、農地復興計画の策定において、数人の仲間と、現場のお手伝いをさせていただいた経験があります。その時に、吉浜の明治三陸津波(明治29年)以来の取り組みにおいて、二人の素晴らしいリーダーが地元に存在したことを知りました。 

 明治29年の三陸津波後の高台移転を指揮した初代吉浜村村長の新沼武右衛門と昭和8年の三陸津波後にさらに高台移転の徹底をした八代村長柏崎丑太郎の二人です。

 前回の「言わせてもらえば」で取り上げた吉田所長とは、時代も、立場も、直面した課題も全く異なりますが、この二人も、現場を指揮したリーダーとして、その判断力、責任感、行動力に類まれなるものがあり、特に、現場である自分たちの土地の現状を、技術者以上にしっかりと理解し、リーダーとしてこれが現場として最良の策であると、自信をもって計画を進めた姿に、時代を超えて伝わる強い意思を感じます。

 『地理と経済』の第1巻3号~5号に連載された田中館・山口(1936)の記述を中心に、他の文献を含めてひも解き、彼らの偉業を見てみます。

 吉浜村本郷では、明治29年の三陸津波において、47戸が流失し、230人が死亡し、全滅家族30戸に及ぶ大被害があった。当時の肝入り(村長)であった新沼武右衛門氏らが山麓の高地へ移動する計画を立て、低地にあった道路を山腹へ変更し、それに沿って分散移動させた。それが効果あって、昭和8年の三陸津波では、其の後低地に移転した10戸と、29年の移動位置の悪かった2 戸に被害があっただけで済んだ。明治の移転では、反対者もいて、完全には移転しきれていなかったし、一旦移転しても、また低地に降りた例もあり、八代目の村長であった柏崎丑太郎は、これら被害者も山麓に分散移動させ、役場前の道路は今回更に高地へ変更した為,郵便局を始め民家8戸も道路の北側に移動し、徹底したらしい。

 この二人の指導者とそれに全面的に協力し、その後もその遺志を継いでいる地域住民の固い意思が現在の吉浜の暮らしを創り、守っていることになります。これらの取組の成功は、世界に紹介され、吉浜は世界最高峰の鮑がとれる産地としてだけでなく、奇跡の浜「ラッキービーチ」としても有名になりました。

 昔のリーダーだからといって、上から強制的に実行した訳ではありません。反対者に対して、科学技術が説明できるほどの知識を提供できない中で、リーダーとしての様々な思考を巡らし、説得し、同じ意思を持つ者を味方につけ、輪を広げ、リーダーの判断に間違いが無いと判断させていった結果による、村長への絶大なる信頼を核とした移転であります。住民に知識や情報が無い時代ですので、反対者にも根拠が明確にある訳ではなかったでしょうが、この移転計画は、この時代において並大抵の計画ではありません。二人のリーダーたちが、地元に住むことで得られる「暮らしの知」と学問を最大限駆使して「地域を読み解く力」を発揮し、判断を下していることを強く感じます。

 そういった、リーダーが持つ強い意思は、時代を超えて影響していきます。この判断が正しいかどうかは、百年後、二百年後に明らかになるもので、直近でとやかく言うものではないでしょう。

 実は,平成23年8月に、現茨城大学の福与先生と私が参加した吉浜農地復興委員会役員会でも、この時代をつなぐ意思を目の当たりにしました。役員の一人が「地域農業の担い手が不足しており,実際,被災した農地にも耕作放棄地が目立っていたため,新たに大きな区画の農地整備を行ってもあまり意味がないのでは」という趣旨の発言をしたとき,すかさず他の役員が「低地部の農地をきちんと管理せずに遊休地にしてしまうと,また低地部に家を建てて住む者が出てくるからダメだ」と応酬していました。(農工研技報213「岩手県大船渡市吉浜地区における農地復興計画作成支援」より引用)

 地域の津波減災に関する基本的な考え方が、新沼村長、柏崎村長の頃から繋がっていることを強く感じた。その当時と違うのは、日常的に住民相互でコミュニケーションを図れる時代であること、そして、コミュニケーションを図るための多くの情報を共有でき,学習し,地域の合意を更新していける時代であることだが、本質に時代を超えてブレがない。

 いつの時代も、意思の始まりは、当事者であり、地元住民の一人の膨大な知識と自信と誇りにあると思います。

 二回に渡って、東日本大震災に関する投稿になりました。最近、少し固いものが続きましたので、次回は少し軽いのを。

※文頭の写真は、田中館・山口「三陸地方における津浪による集落の移動」より掲載(赤線は明治29年の津波到達範囲)

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