最近、ようやくセミの声が聞こえてきた。セミの鳴き声は、気温が25度を超える頃、いわゆる夏日となる日が出始めると、羽化し、鳴き始めるとも言われていますが、私は、降水との関係が大きいと思っています。特に、今年のように梅雨期に長雨となる場合は、梅雨の合間にの晴れの日に鳴き初め、明ける頃には最盛期になると思います。

 今年は、梅雨がなかなか明けません。もう8月になったのに、梅雨明けしたのは沖縄・九州~近畿までで、東海以北はまだダラダラとしています。でも、先週中頃から、私の住むつくば辺りでも、ちらほらとセミの鳴き声が聞こえてきたので、そろそろだろうと、素人気象予報をしています。ニュースなどでも、今日か、明日かと発表が待たれています。

 これまで、農村づくりに関するお話の中で、自分たちの農村の空間において、地域資源を探し、評価する場合には、視覚ばかりに頼ってはいけない。聴覚が重要だとお話してきました。特に、景観は「観る」とはついているが、これは「見る」ではなくじっくりかつ広く五感を以って観察することで、サウンドスケープ(音景観)もその範疇に入ると考えています。

 目をつむって、朝靄けむる静かな山里の朝を想い描いてみてください。静けさの中に様々な自然の音が聞こえてきませんか。カッコウの鳴き声、遠くから聞こえる渓流の音、森の中を駆け抜ける風の音、農作業に出かける人の一歩一歩の足音までも聞こえてきませんか。

 これらの里山の自然の音は、夏の蒸し暑さを和らげたり、疲れをいやしたりと、里の人々にやすらぎと潤いのある快適な生活を提供しています。

 一般的に、静かな里山での音圧(音の大きさ)は約40dBで、本当に静かなので、森の奥から聞こえてくる自然の小さな音でも非常に印象的に感じ取ることができます。しかし、都会では、静かだと感じる時でも、感じ取る音源が少ないために、静かに思うだけ、または、騒々しい時との比較で静かに思うだけで、静かだと思ってもどこからともなく聞こえてくる車の音や機械音、耳には聞こえない低周波が集まっているため、意外に音圧は大きく50dB近くある場合が多く、せっかく都会にある小さな公園や樹木からの自然の音は感じ取れなくなっています。

 里山は「やすらぎ」と「潤い」を感じるさまざまな自然の音を持っているとともにそれを感じ取れる最適な場ともなっているのです。音という資源を持っているだけではいけません。それを感じ取る場が重要で、さらに言うなら、それを感じ取れる人でなければなりません。

 「梅雨時期の田んぼのカエルや真夏のセミの鳴き声は、都会よりもうるさいじゃないか。農村は静かで、都会はうるさいということでもないんじゃないのか」という方もいらっしゃいます。確かにカエルの合唱が耳について眠れない夜もあったり、ミンミンゼミのウエーブのような鳴き声で、会話までかき消されるような日もあります。

 ただ、私のサウンドスケープの研究では、農村部での音は、一日で大きく変化し、生物によっては、鳴く時間帯が変化し、ある特定の時間帯にはまったく音のない時間(実際には無音ということではありません、騒音レベルが低いという意味です)が発生したりして、一日の音圧の変化そのものが、生活に潤いを与えている場合があるようにも思います。対象とする騒音の周辺環境に発生している対象騒音以外の総体的騒音のことを暗騒音と言いますが、暗騒音はやはり都会が大きいようです。そういう意味では、やはり里山は静かだと言えるでしょう。

 ところで、本当に、里山に閒こえる自然の音は人に「やすらぎ」や「潤い」を与えているのでしょうか。このことについても研究をした経験があります。

 「カッコウ」や「せせらぎ」などの里山の代表的な自然音を聞いたときの人の評価と脳内の血流を測定したところ、『快適に感じる』と評価された「カッコウ」や「せせらぎ」の音を聞いたときは、脳内の血流量は低下し、リラックスした状態になっていました。また、せせらぎの音とコンクリート水路の音を比較して、その音の周波数特性と人の評価を比較した実験では、やすらぎ感の評価が低いコンクリー卜水路の流水音は1/f2のゆらぎ(音の周波数の特性)を呈していたのに対して、やすらぎ感が高いと評価されたせせらぎの音は、自然物に対して多く現れる1/fゆらぎを呈していました。1/fとか1/f2ゆらぎというのはかなり難しい指標なので、詳しい説明はやめておきますが、簡単に言うと、fは周波数のことで、音の大きさは周波数fに反比例するというもので、周波数が2倍になると音の大きさは半分になる周波数と音圧の関係性が1/fです。1/fは音だけでなく、表面の凸凹や色の濃淡などの自然の素材に多く存在するとされ、自然でやすらぎ感の高いものには1/fが含まれると言われています。

(※1/fはえふぶんのいち、1/f2はえふじじょうぶんのいち、と読みます)

 そう考えると、里山にある自然の音には、やすらぎの効果があるということになります。

 しかし、近年、里山にも都市化が進み、だんだんと自然の音を感じる空間が少なくなりつつあるようです。

「閑かさや岩にしみいる蟬の声」      松尾芭蕉

 小学生の頃、この句を初めて知って、「どうしてセミの声はうるさいのに、静かと言っているの」と女性の先生に聞いたところ、「まだ、きみには分からないだろうな」って言われて、そんな小学生が分からないような俳句を教えないでくれよと思っていてたが、高校生になって、古文の先生が、たまたま松尾芭蕉の研究家でもあったので、同じ質問をしたところ、説明はしてくれず、「きみは感性が乏しいなぁ」と少し侮辱され、結局、疑問のままだったが、六十を過ぎ、最近ようやくちょっとわかってきたような気がします。

 見えないようで見えている音景観である「里山の音」とそれを感じ取る心を大切にしたいものですね。

※写真:農村の環境を知るためには都市の環境も知らないといけない。

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