オオタニさん凄すぎる

 大谷翔平くん凄すぎる。今年はアメリカの大リーグに釘付けである。

 私は、野球そのものにそれほど詳しい訳ではありませんし、スポーツ観戦としては、サッカーよりは野球が好きというくらい、とりあえず関西出身なので、阪神やオリックスの勝ち負けは気になるかなという程度です。テレビのプロ野球中継をぶっ通しで見るなんてこともないし、ましてや大リーグの中継なんて、滅多に見ない。でも、今年のオオタ二さんは、イチロー選手の262最多安打の時以上に興奮して中継を見た。

 一体どんな育て方をすれば、あんな素晴らしい好青年が出来上がるんだろうか。それとも、突然、天から降りて来られたのだろうかと思うほどに、彼の一挙手一投足というか、一振一投が重力下で育った人のものとは思えない。

 コロナ禍の暗い世の中で、「若者に覇気がなくなった」、「最近の若い者はだめだ」なんて、老いぼれが言っている内に、どこからともなく現れて、チャチャッとあんな大それた仕事をやり遂げるので、「若者も捨てたもんじゃないでしょ。若者をもう少し信頼してね」と言われているような気になる。

 羽生結弦くんもそうだし、内村航平くんもそうだ。近頃で極めつけなのは、何と言っても、女子競泳の池江里佳子さんだ。急性リンパ性白血病と言えば、かなりきついがん治療を必要とするもので、池江さんも、合併所のため、骨髄移植までやっているにも関わらず、発症からわずか2年半ほどでオリンピックの舞台にまで帰ってくるというのだから、私なんか、ニュースで彼女の顔を見ただけで涙が潤んで来る。復帰した当時の細い体を見て、潤んでいたら、瞬く間に身体が戻り、日本選手権で優勝してオリンピック内定って、驚きすぎてまた涙である。医療の力、周りの支えももちろんあるだろうが、本人の強い意思なくしてやり遂げられるものじゃない。スポーツだけじゃない。あの将棋の藤井壮太くんもしかり。一体どこでそんな好青年が生まれ、育って来たのか。「こんな逸材どこで」と問われて、「ビズリーチ!」と指を立てても見つけることはできない。

 みんな、共通して言えることはストイック(禁欲的)に追い込んで追い込んで体を鍛えていることは確かだが、それより増して凄いのは、それぞれの競技への情熱だ。好きで楽しくてしかたながないと言う感じだ。成績を残すこと以上に、野球なら野球への、水泳なら水泳への、将棋なら将棋への熱い探求心と情熱が、ストイックさを人に見せずに、微笑ましく映る。

 「彼らは特別だから」と言ってはいけないだろう。特別なのではなく、特別になったのだから。「遺伝子だから」と言ってもいけない。確かにサラブレットの子はサラブレットみたいなことはあるが、その逆だってたくさんある。彼らは彼らの意思であの域に達したのだ。

 昔、とある地域づくりにおいて、若い世代を中心に進めたいということで、区長さんが、若い世代を数人引っ張って、様々な活動に挑戦させるのだが、うまく行かない。若い世代を巻き込んだところまでは良い選択であるのだが、そこから先がなんともならない。若い世代は、じぶんちの農業のことや、同世代との趣味のことで頭がいっぱいで、地域のことなんて何も知ろうとしていない。中には、少し興味を持つ若者もいたが、大半は、嫌々、区長さんや役員について行っているだけで、自分の意思で動いていない。

 私は区長さんに、「これはいくら続けても若者は動きませんよ」と進言した。

「区長さん、農村づくりは、無理やりやるものではないんです。やっている内に分かってくるということもありますが、子供の勉強と同じで、嫌々やっていると、やらないより悪くなることもあります。『楽しくなければ農村づくりではない』、これをどう創るかですよ」

 その後、この地区で、若い人たちと集落環境点検のワークショップをやった後で、懇親会があり、若い人の一人が私にこんなことを言いました。

「先生、集落環境点検なんかやっても、この集落はようなりませんって。何もないところやし、みんな諦めてますから」

 家のことが忙しいのに、やってられない。区長を焚きつけないでくださいと言うことだった。実は、私は何もしていなかった。集落環境点検を区長さんがしてみたいというので、やり方を指導しただけだが、彼は、私が後ろで糸を引っ張っていると見たみたいだ。そこで、私はこう答えた。

「集落環境点検をやったから、集落が良くなるとか、何かお宝が見つかるとかいうことではありません。集落環境点検を通して、何か、関わった人の中で、これは面白いなぁと思うものが見つかるかどうかですから。今回見つからなきゃ、また別の取り組みをやってみたらいいのです。面倒だって言うなら、取組だってしなくても良いんです。いつも、関心を以て、地域の社会と環境を見つめることです。その内に、誰でもが一つや二つはもっている『情熱』って奴に刺さってくるものに出会えるはずですから」

 オオタニさんも、最初はお父さんやお兄さんとのキャッチボールから始まったのかもしれない。もしかしたら、そのうちにお父さんに、または少年チームの監督に、「翔平、球早いなぁ」と言われたのかもしれない。それが誇りとなって、もっと早く投げよう、もっと遠くに飛ばそうとなり、『野球』が自分の持つ『情熱』に刺さってきたのではないでしょうか。

 まぁ、どちらにしろ、誰でもが大谷翔平や池江里佳子になれる訳ではありませんが、一つ教訓として学ぶならば、若者の情熱は年寄よりは強いはず、農村づくりに関係して刺さるものが少ないのは認めますが、無いかと言えばそんなこともない。となると、若者を農村づくりに無理に巻き込ませるのではなく、好きなもの、興味あるものを探している内に、『情熱』に突き刺さってくるものを見つけてもらうことが一番大切なんでしょう。

 この農村づくりを諦めていた若者は、それ以降ワークショップには参加しなかったが、集落での運営ができなくなって、数年前に止めてしまっていた祭りのことを思い出し、人と人を繋ぎ、復活のための賛同者を募り、資金を集め、仲間と共に地域の伝統の祭りを復活させました。その集落の「農村づくり部門・人まとめ」という競技のオオタニさんになったのです。

 凄い若者は初めから天才であった訳ではない。情熱に刺さるものにうまく出会い、強い意思で努力を重ねただけなのでしょう。「天才とは努力する凡才のことである」はアインシュタインの名言ですが、あれに私はもう一言を引っ付けたい。「天才とは楽しく努力する凡才のことである」

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