暮らしの知を地域活性化に繋げる(8)

8.「暮らしの知」の鍛錬ツール

 農村づくりにおいては、地域資源は活かすのではなく、結果として活きるような地域の生産・生活スタイルを構築することが大切で、このスタイルを築き上げる技術として、集落規模で、地域住民が三つの「暮らしの知」を鍛錬し、これを使って地域環境の共有認知を行うことが重要であると述べてきました。

 また、昨今よく実施されているワークショップの形骸化の問題についても触れ、住民参加に繋がるワークショップの展開の必要性を述べてきました。それでは次に、これらを成しうるための手法と留意点について以下に述べます。

 まず手法についてです。「暮らしの知」は、子供の頃から、地域の環境に目を配り、地域に根を張って暮らしていくと、自然に身につくものであります。しかし、現代は、「暮らしの知」が自然には身につきにくくなっている時代とも言えます。環境の変容が急速に進み、自然や地域環境に直接接し、じっくりと読み解く機会も少なくなり、核家族化、都市化の進展で、先人から伝承も絶えつつある。さらに、自分の身体についての把握力も低下し、地域での役割も、この個人主義のご時世でしっかりと位置づけられることはありません。となると、どのようにこの力を身につければ良いのでしょうか。

 私は、農村づくりに資する三つの「暮らしの知」を鍛える場が、まさに、ワークショップであると考えます。ワークショップで、地域計画を策定することや環境整備の合意をとることは、すべて派生的に創出されるべき事象であって、ワークショップの真の目的は、暮らしの知の向上とそれによる地域環境の共有認知にあると考えます。地域住民も、行政も、場合によっては、都市住民やNPOも加わり、みんなで取り組める場と機会を持ち、「暮らしの知」のレベルアップを図ることが必要でしょう。ワークショップ実施でやるべきことは具体的に述べれば、次の三つになります。

 一つ目は、個人が気づく環境の変容の諸々の事実を、同じ土俵の上で提示しあうことです。例えば、集落環境点検を行い、環境点検マップを作ると、必ず問題を抱えた場所が抽出されます。個人ひとり一人の自然知は低下していても、補えあえばそれは大きな自然知となる。これがまず大切だと考えます。

 二つ目は、先人から話を聞く機会を作ることです。先人の回想の中には、地域の農業や環境を現況に至らしめた技の数々が詰まっています。これを、しっかりと聞き、読み解く取り組みをしなければなりません。環境の変容を確認するだけでは、現状は掴めても、そこに至る過程は読み取れない場合も多い。よって、お年寄りが、「昔はこうだった。ああなっていた」と言うような、記憶を掘り起こす場を作り、互いが確認し合い、また、若い世代がこれを受けとること、個人から個人へと伝承していく知も大切だが、地域住民みんなが同様のレベルで伝承知を得られる機会を作り出すことが重要でしょう。

 三つ目は、個人の得意な分野を活かしていくことです。自分が地域の中で果たせる役割は、無理に与えられるものではないし、自分の能力上、やれることにも限界があります。日々の暮らしの中で、活動に参加する中で、自分の能力に気づき、共助の精神が宿ります。決して背伸びをせず、やれる範囲を探して、環境保全活動に参加することです。だんだんと自分の地域での役割が見えてくるでしょう。決して、活動という業務に押しつぶされてはいけません。

 次に、行政サイドにおける支援の留意点を指摘しておきます。農村づくりを進める住民を支援する行政の技術力とは何かと言いますと、この三つの「暮らしの知」の充実をどのようにして戦略的に農村づくりに組み込めるかと言うことになります。また、行政自身の「暮らしの知」の修得も必要となるでしょう。農村づくりにおいて、眼前にある目標を達成することに捕らわれてはいけません。それよりも強い力となるのは、地域住民全体としての「暮らしの知」を向上することです。ワークショップを行う場合、行政サイドは、是非、この三つの「暮らしの知」を住民が十分に認識できたかどうかを確認してほしい。また、これらが達成できるようなツールを地域の特性に合わせて検討していってもらいたい。

 ワークショップは、一般的には、住民参加活動による農村づくりの中での1回1回の作業過程のことを示すようです。ワークショップにかかる技術についても、一つ一つの作業が適正に運営されるか否かについて指摘している場合が多い。よって、ファシリテーションの技術、話し合いの方法、ファシリテーターの資質の向上についての問題が取りざたされ、ノウハウ本が出され、人材育成も進められています。

 これらの技術は、行政の計画担当者や農村づくりを推進する者が、住民参加活動の過程の中の一部であることを理解しながら修得している場合は問題ありませんが、ワークショップ1回1回のその時だけの円滑化の手法として用いられると非常に危険です。例えば、住民の意見が出ないからと言って、とにかく意見を引き出すのだと言う考え方は、ファシリテーター側の一方的な思いであり、継続的に続く農村づくりとしては、意見が出ないワークショップがあったとしても、それが農村づくりとして円滑でないとは言えないでしょう。

 「暮らしの知」の向上は、決して、早急に行うものではないし、無理に導くものでもありません。修得と言う用語を用いたものの、修得と言う表現も適正ではないかも知れません。「感じ得る」と言う表現が正しいだろう。また、知を得るためには、住民の力を信じることも必要です。地域住民は地域環境の成り立ちの記憶者ですから、潜在的に知を修得できる素地を元々持っています。よって、ワークショップの方法が「暮らしの知」の向上を促進しているとするなら、それは知の引き出し易さの支援、教科書を巧く読んでいく手伝いと考えて良いでしょう。最も適正なワークショップとは、住民に心が解放される居心地の良い「場」を提供することと言えるかもしれません。

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