日本のお山の風景を眺めながら

小林昭裕(専修大学)

 孔子曰く「其の為す所を視、其の由る所を観、其の案ずる所を察すれば、人いずくんぞ,痩さんや」。人の本性は、その言説の字義だけでなく、過去、現在、将来に対する対応、態度をみれば分かるという意味だそう。ところが、どうも日常眺めている風景には、見ているようで観えていないことが多すぎることに気づかされる日々。

 世界でも指折りの人口が稠密な国でありながら、国土の約67%が森林、約70%が山地からなる国は世界の中でも珍しい。それゆえに、日本の農村の風景には必ずと言ってよいほど、山が背景に控える。しかしながら、江戸期には人里に近い里山は、堆肥としての下草、燃料としての枝、炭焼きの間伐や除伐、萱を刈るための萱場作りによって、疎林や草地が広がっていた。今、私たちが見ているような樹木に覆われた山ではなかった。森は家屋の必需品である木材が算出され、煮炊きの原料となる薪炭を提供した。時には蕎麦、粟、大豆、小豆、麦、里芋など多くの作物を育てる場となり飢饉に対する備えともなった。現代社会では単なる丘や山と呼んで、日常生活との関わりは希薄になり,背景に映える”綺麗なみどり“になってしまった。過剰ともいえる利用圧によって森林が失われた山は、保水力に乏しく、日照りが続けば旱魃を引き起こし、大雨が降れば土石流が人々の暮らしを襲ったのであろう。それゆえ、人々は水を恐れ、同時にその恵みを享受するための知恵を絞った。一つは理解の及ぶ處で対処する技法であり、一つは理解が及ばない處に対する宗教なのであろう。

 白山を源流とする手取川は扇状地を乱流する暴れ川、その扇状地に人々は自然堤防上に住まいを構え、自然堤防を活用した霞堤を構えることで、自然の猛威をいなし、恵みを求める生産技法を編み出してきた。雨が降らなければ作物に旱魃をもたらす一方、大量の雨は土石流となって麓の村々を襲った。人が思うように適量の雨は常に降ってくれないし、人は雨を作れない。それゆえに禍を避けつつ恵みを享受するための仕掛けや気づきの仕組みは、他の扇状地ごとに似てはいるが同じではなく、地域ごとの地形地質条件や気象条件に応じて作り上げてきた。

 同時に白山を含めた背後の山々には山の神がいて、山の神は稲作の生産を掌る神、春には山の神を里に迎え入れ、田の神として敬い、秋には山に神を送る祭事をおこなってきた。稲の栽培に不可欠なのは水であるが、それは天から降る雨、川から引く用水に依存した。水を作り出すすべはなかった。春先は山の雪解け水により供給の見込みはたつが、田植えを終えて梅雨になれば、必ずしも十分な水に恵まれるとは限らない。さらに夏、太平洋高気圧に覆われるならば、気まぐれの夕立に依存するしかなく、秋になるのを待つしかないが、その間、干ばつに晒され、実りを失うかもしれない。農民にとって水源となる山であるゆえに、山中の泉に種水を貰いに、或いは山上で雨乞いをした。山麓の湧水には洞や社を造り、神を祭った。それゆえに、水の源である山、水をもたらす山にまつわる信仰、湧水や滝に宗教的な思いを馳せたのである。

 日本の山の景色を捉える視点は修験道に培われ、それが日本人の自然景観を眺める文化的まなざしとどのように関わってきたのかを研究テーマとした縁から、2023年2月、はじめて戸隠を訪れ、戸隠地質化石博物館の専門家に道案内をお願いし、博物館で戸隠のお話を伺いながら、不思議な思いにとらわれた。農耕限界に近い標高1000m辺りまで人々が住み着き暮らしているのだが、11世紀頃には修験者が集まり始め、聞くところによると平安時代末期12世紀には荘園も成立したらしい。戸隠が開山される以前から鳥居川や裾花川の水源である戸隠山は水神、農業神である山の神として九頭竜神が山裾の農耕民から信仰されていた可能性があると言う。戸隠連峰に抱かれた岩壁の窟に九頭龍社を構え、戸隠信仰では、種池という池からお水を戴き、桶にいれて戸隠神社にお供えし、その水を絶対に地につけないように自分の郷里の氏神様の田んぼまで運び、そこで祈願の報告をして、田んぼに注ぐと、恵みの雨を降らせてくれるという伝承があるそう。

 農村景観の議論も、単なる視覚(形、色、大きさ、肌理)主体の議論から、その背後の意味や歴史的文脈を含めた文化的景観として着目され始めている。多くの国民が農業から離れ、農家も用水路が整備され容易に田に水を引き入れることができ、”山“は日常風景の背景になってしまった。農業という生産文化の中で山は農業神の住まう場所であり水の根源であって、恵みと備えを生活の中の技法や宗教という文化的枠組みを構築してきた。現代社会は温暖化という気象変動の真っただ中にあって、従来”これで良し”とする雨水に対処した仕組みに危うさが漂い始めている。降雨という現象に着目しながら、風景の背景になってしまった”山“に対する文化的枠組みを再構築する時期に来ているのかもしれない。それは日本人の山に対する景観の見方や価値を変えることにつながる。

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