言霊なき新語・流行語

 何でも略せば良いってもんじゃない。『ふてほど』って何だ。ここ数年、とにかく新語・流行語大賞の質が悪いと思っていましたが、今年選ばれたのは、テレビドラマ「不適切にもほどがある」から題名略して『ふてほど』って、それって何って感じです。本当に民衆は、「その発言って、”ふてほど”だよね」とか、「”ふてほど”な行動はやめてよ」なんて使っていたのだろうか。単にドラマの題名を略しただけで、ほとんど誰も使っていない用語が選定されたように思います。これは私の認識不足でしょうか。それとも、まぁ流行ったんだからこれはこれで”適切”と言うことなのでしょうか。平均視聴率8%程度ですが・・・。

 2021年は『リアル二刀流』、2022年は『村神様』、2023年は『アレ(A.R.E)』と、ここ3年の大賞はすべて野球関係の用語になってしまいましたし、今年も『50-50』が10選に入っていました。それより前にも、『神ってる』、『なでしこジャパン』、『トリプルスリー』とか『OneTeam』と、競技は野球以外もありますが、スポーツ関係が新語・流行語大賞に選ばれることが多いですが、そういう年は、スポーツ界での盛り上がりに比べて、新語・流行語としてはなんかもう一つパっとしない感じです。皆さんはどう思われます。

 ほとんどの人が知らなかった用語を大衆が知ったこと、世界的な記録となったことを合わせての受賞ということで、大谷翔平さんの『50-50』を新語・流行語大賞とするのなら、それは良い選択だと思います。でも、それもあくまでも単なる記録の呼び方であって、社会に還元された用語にはなっていないように思います。言葉というものは人によって編み出されるものなのに、なんだか人の温もりが感じられないんですよね。2004年の北島康介さんが金メダルを取った時に発した『チョー気持ちいい』とか、2018年のカーリングの『そだね~』とか、ちょっと古いが、1996年のマラソンの有森裕子さんの『自分で自分をほめたい』の方が、新語・流行語として認知できますし、大谷翔平さんがらみだと『憧れるのをやめましょう』の方が、実際に自分もよく使っていましたし、会話の中でいくらでも応用できて、新語・流行語にふさわしいと思います。どれも名言ですしね。

 また、世間で広く使われたということなら、1994年の安達由美さんがドラマで発していた『同情するならカネをくれ』、2007年の東国原元宮崎県知事の『どげんかせんといかん』、2012年のお笑いタレントのスギちゃんの『ワイルドだろぉ?』とか、2013年の滝川クリステルさんの『お・も・て・な・し』なんかがそれに当たるのでしょう。多くの人が様々な場面で、自分の会話の中に盛り込んで使っていて、実に新語・流行語らしい。

 こういう風に、これまでの用語選定の歴史を見ていくと、年々、民衆の心から湧き上がってくるような言葉は無くなりつつあり、その年に流行った出来事や世相の反映だけを指した用語が選定される傾向にあるみたいに思います。お笑い系が多かった時代もあることから、もしかしたら、お笑い芸人の世間に働きかける力量が低下しているということかも知れませんが、兎に角、ウイットもなく、感情も表現しきれていませんし、民衆の方も、言葉遊びをする余裕が無いみたいにも見えます。

 さて、トランプ大統領がどういうアメリカを作っていくのかはこれから徐々に分かって来ますが、今までの動きを見ていると、偏り過ぎの考え方、独りよがりで、これまた遊びが無さそうです。常にギリギリの駆け引き、のるかそるかで勝負している。ロシアや中国も、イスラエルや中東諸国の動きも、とにかく、やるかやられるか、取るか取られるかになっていて、どっちつかずの状態をたいへん嫌っていて、我が正義を確定したがっている。メディア社会もしかりです。SNSとマスメディアの主導権争いみたいになっていて、世界全体がそういう分断の風潮になってきているように思えてなりません。だからなのかどうかは分かりませんが、この分断の風潮に呼応して、人の心が通うような遊び言葉が社会から消えつつあるように思います。どっちつかずの曖昧さの中で、決め事にはしない別の軸のホッとさせる用語を世間が共有することで、立ち止まって自分たちの位置を測り、考える場を持たせるから、新語・流行語というのは意味があるのだと思いますが、最近の言霊(ことだま)なき新語・流行語にはそれが感じられないのです。

 「不適切にもほどがある」は楽しく見せていただいたドラマではありますが、それにしても、『ふてほど』を新語・流行語大賞とするのはいかがなものか。まだ、そのまま『不適切にもほどがある』とするなら、言霊を感じなくもないが、略してしまうと何も伝わってこないではありませんか。

 今日のお話は、農村づくりとはまったく関係ないみたいですが、実は少し関係もありますので、その話も最後にしておきましょう。私がかつていた研究室では、毎年、忘年会で研究室内での流行語大賞を決めていました。研究室メンバーやアルバイトに来ていた学生も含めて、何も賞金はありませんでしたが、その年によく使った言葉を選定していました。そうすると、今年は何が最も問題となったかや将来的に考えるべき研究要素が見えてくることがあります。そこで我々は、現場で農村づくりを進めている皆さんにも、「あなたの地域でも、地域でよく使われる言葉や、今年よく使った言葉ってなんだろう」と考えてみてくださいと推奨していました。また、ワークショップでは地域のキャッチフレーズづくりには力を入れました。そこに農村づくりを進めるヒントが隠されているかもしれないと考えたからです。繰り返しみんなに使われた言葉だからこそ、言霊としての威力があるということだと思います。是非、『地域の言葉を考えてみることは、地域の将来を考える一つであることだ』と覚えておいてください。

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