令和の米騒動

 長い間お休みさせて頂きました。4月末に投稿してからですので、1ヵ月以上になりました。只、体調が悪かった訳ではありません。私事でちょっといろいろと忙しかっただけです。これからも引き続き『言わせてもらえば』で、言いたい放題言わせてもらいますので、読者の皆様、今後ともよろしくお願いします。

 さて、この一ヵ月、農業関係の話題については、なんといっても『令和の米騒動』ということになりましょう。農林水産大臣が江藤さんから小泉さんに代わって、瞬く間に備蓄米の放出を手際よく行い、2000円前後の古米、古古米が店頭に並び、最近ようやく米の店頭平均価格も下がってきているようで、騒動は収束しつつあるようですが、このニュースの中で、よく議論となっているのが、米の生産者からみた適正価格と消費者から見た適正価格とはどの程度なのかという問題です。細かい数値はよくわかりませんが、いろいろな情報を整理してみると、生産者としては3500円程度、消費者としては2000円程度ということになるみたいです。私はこの『~として』という感覚がよく理解できんのです。

 以前も『言わせてもらえば』のコーナーでお話したことがありますが、人の命、安全保障上の問題となる主要生産物については、特に日本人にとっては米がそれに当たりますが、これについては、経済的な需給バランスだけで売り買いを考えてはいけないと思うのです。作る人と買う人を分断し、たくさん作ったから安くなり、量が少ないときは高くなるみたいな経済問題はナンセンスです。自分が食べる分は本来自分の労働力を使って生産するべきもので、背中に農地を背負いながら生きているという感覚を常に持たなければならないということです。経済問題ですべて処理しようとするから、流通調整をして価格を上げるような輩も現われるし、極端に安くなったり高くなったりもする。米を生産し、白米にして食べられる状態まで作り込んでくれる労力分、経費分を農家が代替してくれているだけなんだと考えるべきなのです。

 日本における一人当たりの米消費量は、令和5年度は51kgですが、この収量を確保するためには約110㎡の田んぼが必要だと言われています。単純に計算してしまいますが、人口1.2億人とすると、米を作るためには132万haが必要ということになります。現在水田面積は230万haあって、十分足りているみたいに見えますが、実際に主食米が作付けされているのは125万ha程度で、水田そのものの面積が農家の減少で減り続けていることを考えると、ゆとりは全くない。足りていないとも言えます。これらの計算はあまりにもいい加減ですし、地域格差による生産条件もだいぶ違いがありますので、あくまでも参考にしていただきたいだけで、今回言いたいことは米が足りているかどうかと言うことではありません。自分が食べるために作られているのが110㎡分であるとするならば、この土地は、生産者のものであるとともに、消費者のもの(所有の問題ではありません)でもある。もっと単純に言うならば、本来、消費者が自分で生産しなければならない分を生産者が請け負って生産してくれているのだという考え方を持つべき意義です。

 110㎡だけを管理して米を作ることはあまりにも非効率ですので、現実ではありませんが、10a当たりでの田んぼで米を作るのにかかる費用は10~13万円程度と言われており、110㎡に換算すると約1.3万円は必要となります。その後の保存場所と保冷、精米、輸送の経費などを加算していき、更に、持続的な農地の保全管理や昨今の異常気象のリスクも入れると、この3倍の経費を見込んでもおかしくありません。ようするに、51kgで3.3万円、これを5kgにすると3300円となります。生産者からすると、消費者に渡る段階で最低3500円で売りたいという気持ちは妥当な感じです。只、これではまったく採算が合わない地域や小さな経営規模の農家だってあります。ですから、大切なのは、いくらで売ると元が取れるのかということよりも、消費者も生産者も隔てなく、国民みんなで米を作っていくという視点を持つことです。その視点で考えてみて、今のところ、3500円は最低ラインの生産費ということになるのではないかと思います。この値を下げるには、技術革新、インフラ保全整備や流通改革が必要ということになります。そこが確保されれば初めて、それではどんな米を作るのかというところに話は進みます。人によっては、5kg5000円になっても良いから最高級の美味い米を食べたいので、そういう米を生産したい人もいるだろうし、4000円で無農薬米を食べたい人もいるかも知れない。低アレルゲン米を求めている人もいれば、特定の産地にこだわる人もいて、それに伴って価格は変わりますが、この段階となると、それは車を買うのと同じことです。ポルシェに乗りたい人は、トヨタカローラでも十分に自動車として使えるのに、数倍の金額を出してもポルシェに乗る訳です。この部分は本来の生産者と消費者の関係性であって良いのです。大事なのは、車という物を使いたい場合に、最低どれだけの経費が必要なのかです。

 ですから、消費者は出来る限り安い米を買うということではなく、どの質の米を、どの土地、どの農家によって、どれだけの経費をかけて作った米を買いたいのかが重要です。これは、イコール、自分が生産労力として支払える価格はどれほどなのかという問題となります。

 極端な話をするなら、全国民、一年間で家族が食べる米は、生産される前に生産者や精米・保管・輸送経費を担う中間業者、またはすべてを担う生産法人とCSA的に契約して、一年間、自分が仕事を休んで米作りに従事する時間を割いているぐらいに感じながら米が届くのを待つべきではないかと思うのです(全国民と言いましたが、60%程度でも十分)。そのための第一歩として、生産者と消費者が相対する関係ではなく、互いに理解し合える関係性を築くことこそが米問題の根本にあるのではないかと思います。

※CSA (Community Supported Agriculture):生産者と消費者が連携し、前払いによる農産物の契約等を通じて相互に支え合う仕組み。

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