選挙は押し活か?

 もうあと何回選挙に行くことになるのか、だんだんと歳を取ってくると、もうすぐ死ぬのに、若者の築く未来に茶々を入れる票になってしまうかもって思ってしまって、自由に票を投じにくい。人生100年時代なんだから、年寄りは年寄としての思いを政治にぶつけて、自分の年金のどうのこうのも言いたいところですが、変に聖人じみて、若者や社会弱者、社会全体、世界のことも考えてあげなきゃなんてことも頭をよぎる訳です。

 また、古い人間なんでしょうね、そもそも、政党とは確固たるイデオロギーを有することにより他党や有権者に対して自らの立場を明らかにすることが先ず基本にあると考えてしまう思考方法が固定してしまっていて、個別の政策やアジェンダの方向性から考えることが苦手になってしまっています。イデオロギーは、アメリカの政治学者ダウンズによると「よい社会、およびそのような社会を建設する主要手段に関する言葉によるイメージ」と定義されているようですが、まさにこの部分、「あなたの政党はどの方向へ社会を持っていこうとしているのですか」というところが一番大切だと考える癖がついてしまっていて、単純に政策一つ一つの好き嫌いを言えなくなったみたいです。

 そういった中で、多様化時代の政党を見ていると、イデオロギーがまったく見えてこない。しかも、イデオロギーの上に立っているはずの自民党や立憲民主党などの既存政党でさえ、政党多様性の中に埋もれてしまっていて、難破船のように私には見えてしまいます。いやいや、政治音痴の私がいいかげんなことを言ってはいけない、もちろん、国民それぞれはちゃんと見えているのかもしれないし、各政党ともしっかりとしたイデオロギーの上に政策実現を位置付けていて、私の勉強不足というだけなのでしょう。

 今回は、選挙の前に北海道に遊びに行っていたので、各党の政見放送やメディアでの党首討論もちょこっとしか見ていないし、マニュフェストも本気で読んでいなかったということもあって、各政党がどんなイデオロギーを持っているのかがほとんど理解できないまま選挙当日まで来てしまいました。『参政党』のマニュフェストを見ると、その基本的姿勢としては、『日本とそこに暮らす人々の事を第一に考える「日本人のための政党」です。』とあるだけで、まぁ、自然に考えて、トランプのアメリカ至上主義の日本版だな、リベラリズムの閉塞感の打破としてはポピュリズムが国民を手っ取り早くまとめやすいということなのかなと思ってしまいます。『極右保守』がイデオロギーっちゃイデオロギーなんだろうけど、政治的統制を強めれば、戦争への道も簡単に作れてしまうということを考えれば、単純に「はい、よろこんで賛成(参政)」とも行き難い。『立憲民主党』も、『「自由」と「多様性」を尊重し、支え合い、人間が基軸となる「共生社会」を創り、「国際協調」をめざし、「未来への責任」を果たすこと』を基本理念としていて、リベラリズムに寄っていることは理解できるが、結局、表舞台にある「物価対策、消費税ゼロ」の政策が基本理念の上に成立しているようには見えない。政権をとってからの勝負という見方もできないことは無いが、政治ってそんなに簡単なものじゃない。一度やったから分かるでしょって言いたくなってくる。『自民党』なんて、中道だからそうなるのかも知れませんが、もっと政策中心。『日本を動かす 暮らしを豊かにする』って、なんだそりゃ。頭ふにゃふにゃの先に政策という足がくにゃくにゃしている蛸みたいな状態で、そんなのどこの党だって一緒だろう、大切なのはそこに至る手段の哲学、所謂『骨』はどこにあるんだと言いたくなってくる。

 ちょこっと勉強したぐらいじゃ、今の政党の意味はなんなのかよく分からないのです。比例代表なんてまったく意味をなさなくなってきているように思えます。だから、極端なやり方にはなってしまいますが、政策をアジェンダにのせて走らせるということなら、政党をすべてやめて、個人の政策選択で、政党交付金も個人と言う議員にばら撒いてしまえばどうよなんて思ってしまいます。もちろん、それが議会ルールとして無理なことも、政治的合意制度として弊害があることも理解できますが、「もう、いいんじゃない、難しいから。推しが決まれば・・・」なんて思いに至るのも事実です。という訳で、今回は本当に、参政党や国民民主党の台頭をしり目に、そんじゃあ、ジジイとしては安定感で『自民党』をとも言えない状態に陥りました。政党がまるで次から次から出て来るアイドルみたいになってしまっていて、総国民がかっこ良さやかわいさの押し活になっているのはやっぱり困るんですよね。『かわいいだけじゃだめですか?』『ダメ―』です。

 ダイワハウスのCMで、注文住宅・分譲住宅の二者択一ではないということを言うために、「敵か味方かとか、バンかライスかとか、ウニかいくらかとか、キャビアかフォアグラか、すぐどっちかに決めたがるけど、世の中そんな単純じゃないだろう、どちらか一方じゃなくて、その間のちょうど良い感じのところに俺たちの落としどころがあるんだ」って、俳優松阪桃李さんが叫んでるけど、選挙となると、あの候補に0.3票、この候補に0.7票みたいにパンとライスを同時にちょうど良い選択をするのは難しいんだよね。しかたないから多比率と割り切ってしまっても、政策選択が0.5を超える候補が選挙区内に見つからなかったりすると、いよいよ選びようがないってことになります。だからこそ、政党に明確なイデオロギーの位置づけは大切なような気がします。

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