若者は農村づくりに疎い

 農村づくりを推進する地域で、今困っていることはどういうことですかと訊くと、リーダーの後継ぎがいないとか、非農家が積極的じゃないとか、若い人がなかなか地域の活動に参加してくれない等の心配ごとがあげられます。

 特に若い世代は、その一部はものすごく真剣に地域の将来を考えている者もいるが、多くは、達観していて、自分の事として受け入れていない感じだと言うのです。

 「このまま行くと、この集落はつぶれるな!」「うちも限界集落の一つだよ」と評論家のようにさらりと言ってのける口ぶりに対して、「若者もいろいろと考えるところはあるのだろうが、その言い方が気にいらん」と言う長老や地域のリーダーたちもいます。

 もちろん、最近はそんなことも無いと言われる地域もあります。統計的な数値でも、若者の農山村志向は強くなってきており、都市住民の回帰定住願望は特に20代で30%と、数年前と比べ大幅に増えています。願望の数値だから、当然、農村の現実が見えてくると、この数値の歩留まりは半分以下になるのでしょうが、それでも農山村の存在意義の理解が深まっていることは確かです。

 しかし問題は、20代が農山村回帰していることが本当に良い傾向なのかどうかは、若者たちの人生のステージと社会と環境との関係を見ると一概に言えないかもしれません。

 以前紹介した、私の恩師筒井氏に学ぶところでは、人の人生のステージにおける生活スタイルと社会や環境との向き合い方は、一つのパターンがあり、それは、身体の成長と衰え、脳と学習の過程によって定められており、世界的に何処でもよく似ていて、若者というものは、なかなか集落という社会と環境には真っ向から向き合えないようになっているらしいのです。

 人は生まれてすぐは、母親の周りの環境しか見えないし、見ていません。そして、親子なり家族内だけの社会で生きています。しかし、幼年期になると家から飛び出して、近隣社会という新しい社会に入り込みます。すぐ近くの同年代と遊ぶことで社会と関わります。その社会とは集落内の半径数10メートルの領域をもつ環境ですが、これまでの家族の関係とは異なる体験をすることになります。次に、少年期になると、活動空間は近隣から集落そして校区に広がります。近隣のように目で見て触れる空間的広さから、もう少し広い地域にいる級友、その両親、兄弟と知り合うことで、新たな社会を体験するのです。一般的に言われる「ふるさと」とは 、この時期に家族と共に過ごしたこの広がりが中心になるのかもしれません。

 先日、宮城大学の特別講義で、山形県職員でありかつ有名な地域プランナーである高橋信博さんの講義を聞いていると、このことが納得できる事例が紹介されました。ある地域で、「そば祭り」という催しが年に一回あるそうで、その集落で育った若い衆が、その日は都会から戻ってきて、何人かの年寄り組に混ざって、祭りの参加者へそばを振舞うため、半日そばを打ち続けるのだそうだ。彼らは少年期の頃から、そばを打つ集落の先輩方のかっこいい背中を見て育ち、「いつかは、俺も祭りでそばを打つぞ」という思いを募らせ、その想いがふるさとへの愛情となって戻ってきて、それがまた若い世代へ繋がって行くのだそうです。まさに、ふるさとの認識体験ということでしょう。

 しかし、それほどふるさとに愛着を持っているなら、若者はなぜ集落を離れていくのだろうか。家業としての農業では生計が立たないとか、雇用が無いとかいう現実ももちろんあるのでしょうが、それだけではないようです。

 青年期となると、身体と脳が集落には留めさせてくれないのです。筒井氏によると、青年期の活動範囲はさらに広がり、また、教育によって様々な社会の存在とその考え方のあることを知ることになります。日本人だけではなく、世界のどの国においても、若者は地域を見る時間よりも世界や地球を見る時間が長くなるそうで、夢見る青年であり、社会に憤る青年であります。この時期は、他との比較をする力をつける上でも、社会への目はそうとう大きくしておくことが大切かも知れません。よって、青年期のこの時期に特定の地域に目を固定することが本当に良いかどうか難しいところです。

 今、香港の社会運動は若い世代が先導しているし、ベルリンの壁の崩壊もしかり、ソ連の崩壊で銅像を倒していたのも、天安門で戦車の前に立ちはだかっていたのも若者、日米安保反対の学生運動もしかり、明治維新も若い世代の日本という国を考える力が元になっています。一般的に、社会運動に若者が関わらないことはないのではないでしょうか。青年期の社会と環境への目は国内から国外へ、集落や地域から地球に向いているようです。だから、あれだけ真剣に戦えるのだと思います。

 それが、どうでしょう。成人期になると、活動空間は青年期と大差ないものの、後継者は再び地域社会に戻り、見える環境と社会は徐々に収束し、地域社会そのものを身の周りのこととして考えるようになります。家庭をもち、子供を育て、生産活動を行うためには必要なことです。青年期で培った他との比較の目はこれまで以上に確かなものとなり、社会の矛盾や適正化に対して、国内・国際社会の動向に目が向けられ、政治システムでの実現に期待するようになります。

 そして更に、中・高齢期になると、身体の衰えとともに、社会や環境との接点は、国内・国際から完全に地域や集落に戻ってきます。ふるさとやコミュニティーへの関心が高まり、己ばかりでなく家族や住民のこととして地域を考えるようになります。政治システムの使い方も、社会改革というよりは、安定国家の実現に関心が集まってきます。そして、最後の老年期を迎えると、身体は思うように動かなくなり、活動範囲はさらに縮小し、かつての校区、字、近隣という小さな地域にまで狭まります。関心も次第に、集落の催事や祭事、老人会のこと等の身近雑事に移っていくのです。

 若い世代が農村づくりに消極的だと悩むことは無いのではありませんか。若い世代とはそういうものであるのです。人生のステージとして、集落には向かいにくくなっているだけです。

 今や、高齢期、老年期は相対的に人口も増えて、昔よりずっと元気です。それほど「若い者たち、頼む、早く助けてくれ」と急がなくても、その世代だけでもできることは幾らでもあります。

 重要なことは、集落の一員であるという誇りを常に持たせることです。また、もし、なんとしても若者のパワーを使いたいなら、国全体や国際的な課題とのつながりを集落の活動の中に組み込んでおくことです。集落のためだけに働くなんてことはおそらく若者の精神がそうさせないのかもしれません。

 もしかしたら、世界へ、地球へと視野を広げるだけ広げてこなかった若者なんかに回帰されても、地域のための大した戦力にならないのではないでしょうか。

※写真は山形県のとある集落の蔵から出てきた「若者議定書」だ。昭和30年代後半まで、地域環境保全、相互扶助の取り決めや計画を二年毎に皆で確認し合っていた。高橋信博さんに同行して見せて貰った。多くの若者にとって、世界が地域であった時代なのか。(この写真の議定書は綺麗だからコピーだな)

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