大嘗祭

 パレードは延期となりましたが、いよいよ、明日10月22日、新天皇陛下の主要な皇位継承儀式の一つである「即位礼正殿の儀」が執り行われます。新聞報道等によると10月22日には190カ国以上の代表らも招き、陛下が内外に即位を宣言するということです。また、11月14日夕から翌日未明にかけては、天皇が一世一代の大がかりな神事、大嘗祭(だいじょうさい)が古式ゆかしく行われるということです。

 大嘗祭は、皇居・東御苑で行われる儀式で、この神事のための「大嘗宮」を造って行うらしい。昨年の11月に、この儀式は、即位の儀のような国事ではなく、皇室の儀式であるから経費を抑えて、多額の公費を充てるのはどうかと、秋篠宮様が論議を醸した発言があったので、そういう儀式があると覚えている方もあるでしょう。

 大嘗祭に関して、確かに現在法規に記載されているものは何もありません。戦前の旧皇室典範には入っていましたが、戦後の現典範では削られたということです。政府は憲法の政教分離原則「国はいかなる宗教活動もしてはならない」に基づき、大嘗祭を国事行為(国の儀式)にすることは見送りました。GHQの占領下のもと、国家神道の色が強い新嘗祭という名前の祭日を排除し、違う名前の祝日にするよう提案がありました。そこで制定されたのが現在の勤労感謝の日です。

 そもそも、大嘗と記載されているのは古事記で、日本書紀には新嘗と記されているようですが、どちらも太陽神である天照大神へ収穫された新米を捧げる儀式で、冬至が近く太陽の力が最も弱くなる時期に、天照大神に新米を捧げ、食べてもらい、新たに力を得ることで、来年の豊穣を願うものでもあるようです。

 日本では、古くから各地で五穀の収穫を祝う風習があり、元々は民間儀礼であったものを宮中に取り入れられたと書かれたものもありました。

 ここまで来ると民俗学の領域で、私の拙い知識ではとても追いつきませんし、大嘗祭が政治的に云々という話も、様々な受け取り方があるものだなぁと、考えさせられるばかりで、どれがどうとは何も言えませんが、一つだけ重要なことがあると感じました。

 それは、農業の収穫に感謝して生きていくという人の生活の重要性だと思います。農業生産は太陽と水と土を媒体とした持続的な自然循環機能によって行われるもので、その成果は神のみぞ知るものです。最近では、植物工場での水耕栽培もあるので、土地利用型農業のような自然循環機能は感じられないところもありますが、植物が光合成をしている限り、間接的に光のエネルギーを含めた物質の循環に携わっていることは事実で、自然の恵みに由来する人の命にかかわる生産物であることに違いはありません。だからこそ、感謝の気持ちを祭りという形で神に奉納することで、自然のへの敬意と畏怖のバランスを心の中で丸め込むことができるのだと考えます。

 日本の自給率はカロリーベースで35%、生産額ベースでも70%程度、もし、神饌の高坏にのった収穫物を神様が見られたら、「私の神通力によるものではないな」と言われそうだ。

 それなのに、飽食の時代と言われ、食品ロスは800万トンとも言われている。

 私の小学校の頃は、勤労感謝の日には、学校でも新嘗祭の取組があったように記憶している。本ページを読まれている方の多くはご記憶があるのではないだうか。 今はどうなっているのだろうか。独食や外食が多くなり、「頂きます」、「御馳走様でした」の当たり前の言葉さえ聞こえなくなっている。ファミリーレストランで、親子が自給率の低いプレートに向かって「頂きます」と手を合わせることが必要かどうかよくわからないが、もう一度、農産物の収穫に対して、「感謝」の原点を見つめ直さないといけないのではないだろうか。

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