鬼滅の刃

 この研究会の読者の方は、漫画なんてものはこの方何十年と読んでいない、アニメなんてものも、進んで見ているなんて方はそんなに多くはいらっしゃらないと思いますが、最近『鬼滅の刃』(きめつのやいば:作・吾峠呼世晴)という漫画が爆発的にヒットしているのをご存知でしょうか。

 ここ数日、毎日のようにそのフィーバー振りがニュースで取り上げられているので、内容は知らなくても、名前だけは聞いたことがあると言う方もいらっしゃるのではないかと思います。

 この漫画は、2016年から週刊少年ジャンプに連載され、2020年の24号で終了したのですが、単行本は21巻までで累計発行部数は6000万部だそうです。2019年は売上不同の一位だったワンピース(作・尾田栄一郎)を抜いたということでも話題になりました。更に、先週の16日からは、映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(外崎春雄監督)が公開され、初日から3日間での興行収入が46億2311万7450円、動員342万493人を記録したという。アニメとしてはかなりのヒット作品である「君の名は」(新海誠)とか「千と千尋の神隠し」(宮崎駿)でさえ、3日間の興行成績は十数億程度ですから、この数字はコロナ禍で不振に陥っていた映画館の救世主となったことはまちがいありません。

 あれあれ、研究会のホームページは農村づくりの話ではないのか。オタクの会長が、漫画やアニメの話を始めたようだと思っている方には申し訳ないが、今日は、このまま漫画の話が続きます。農村づくりの話を期待されている方は、今日はハズレだと思ってください。

 数回に一回、こういう話になってしまいますが、どうしても趣味的に書いておきたいこともあるので、許してください。この原稿は3週間ほど前におおよそ書き上げていましたが、こんなのを「言わせてもらえば」に投稿するのは良くないかもと思い、お蔵入りにしていたのですが、この漫画が、驚くべき経済効果を引き出し、株価を左右するほどまでの社会現象となってしまったので、再度引っ張り出してリライトして投稿することにしました。

 ただ、会長は漫画オタクだと思っている方に対しては先に反論しておきます。私は漫画やアニメにだけ特に興味がある訳ではありません。職業柄、世の中で流行っているものはどんなことでも、日本の文化・芸能に関することは、何にでも興味をもってその動向を見ているというだけです。新聞や雑誌、テレビから情報を仕入れるだけではなく、現在、20代後半で、アパレル関係で働く次男と農産直売関係で働く30代後半の長男の二人からの話は、社会の動きがよく見えるので、常に耳を傾け、「今、何が流行っている」「どんなものが売れ筋なの」のとか、「お客さんの足の運びはどうなの」とか、近くの消費実態をつかんでいます。

 更に、育て方がよかったのか悪かったのか分かりませんが、かなりオタク系の長男は、映画、音楽、アニメについては、多くの人がまだ知らない時から、ちょっと変わったものを見つけてきて、「これからこれ流行るよ」とか「これは見ておいた方が良いよ」と私に助言してくれますので、素直に、それを参考に物色しています。

 この『鬼滅の刃』というのも、2年ぐらい前から注目株として長男から薦められていましたが、忙しくてなかなか見ていられなかった。ようやく、1年ほど前になって、アニメになり、アマゾンプライムで公開されたのを機に見てみました。

 とても面白かったので、家内にも進めましたが、その時は興味がないようでした。でも、家内も塾で小学生を教えているので、子供たちの様子から、徐々に感化されて、つい最近になって、一気に21巻漫画本を大人買いして、3日ほど徹夜して読み切っていました。私もこっそりと彼女の寝室から読み終わった本を借りて来て、漫画本も出ているところまでを制覇しました。

 漫画本を一気に読み込んだり、アニメを一気見したりするなんて、六十過ぎの親父がすることなのかという感じですが、正直、填まってしまいました。

 内容は単純で、大正時代を舞台に、人を食らう鬼と鬼を退治する鬼滅隊の壮絶な闘いの物語で、主人公である青年『竈門炭治郎』が、鬼に襲われ鬼に変化した妹を人間に戻すために、鬼滅隊となり、自らを鍛え、剣の技を磨き、仲間と助け合いながら、鬼に迫り、学び、成長する様子を中心に描かれています。初めは、成長と闘いが中心で、鬼を悪とする勧善懲悪で進みますが、中盤からは、鬼滅隊のメンバーの友情、役割、師弟、家族といった人間関係が強調され、終盤は人と鬼の死闘の中で、それぞれの人生が描かれ、鬼が悪で人が正義ということではなくなってくる。ここにきて、竈門炭治郎の、「鬼は人間だったんだから 俺と同じ人間だったんだから」という台詞の意味が見えてくる。鬼を復讐の対象としていても、鬼を憎みきれない優しさが、しみじみと伝わってくる。

 グローバル化によって、国、地域などの境界を越えて、人類が地球規模で行動を起こそうとすると、必ず逆に、これまで守ってきたものを守ろうとする反グローバリゼーションが台頭する。グローバルが悪で、ナショナルが正義ではないのに、いつの間にかそんな構図ができあがり、グローバリズムによって隠されていた差別が露わになると、反グローバリズムがそれを顕在化させて社会は分断し、曲解されたナショナリズムが正義に成り上がる。そして、その分断は人種差別や経済格差となり、政治的、国家的分断に繋がっていく。

 漫画は、そんな不安な魔の格差社会に陥った世の中を「鬼」と「人」に変えて表現し、そして、竈門炭治郎が超越した優しさで、鬼と人の差を縮めるために、苦しい戦いに身を投じているように見える。生きとし生ける者への思いやりこそが分断を断ち切る力のように思え、竈門炭治郎のように人にならねばと思わせてくれる。

 漫画ですから、読んだ人、見た人がそれぞれに多様に感じ入ればそれで良いのですが、私にはこの『鬼滅の刃』という作品を通して表現されるものが、今の不安な世の中を生き抜くためのテーゼのように感じられます。

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